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NR(ノーリターン)02

时间: 2018-09-30    进入日语论坛
核心提示:1「じゃあ、手を出して。違う、そっちじゃない。左」 言われるままに、俺は手を差し出した。 前に座ってるやつはさ、なんか、
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「じゃあ、手を出して。違う、そっちじゃない。左」
 言われるままに、俺は手を差し出した。
 前に座ってるやつはさ、なんか、とても怒っているみたい。俺は何もしてないんだぜ。いったい、どうなってるんだよ。
 俺の手、左腕の上のほうが冷やっとする。幅のあるものが巻き付けられた。
 目の前に近づいてきた黒いものが、俺は気になる。前にも見たことがあるような気がする。
 近づいてくると、それはひとつみたいだけど、ひとつではない。細い糸みたいなものが集まって、ひとつのかたまりになっている。
 不思議だ。
「こら、私のヒゲをさわるんじゃない。おまえは幼稚園児か」
 俺の右手が、払いのけられる。指先に残る、固い糸のような感触。
 言われたとたんに、わかったね。そんなもん、ヒゲに決まってるじゃないの。
 なんで、俺は、男のきったねえヒゲなんか触ろうとしたんだ? 気色悪いぜ。
 笑い声がした。
 怒っているやつの横で立っている、ほっそりとしたひと。
 見上げるとさ、俺のほう向いて、ニコニコしてくれてるの。顔つきが、こっちのほうはすごくいい。
 でね、笑っているその顔にヒゲはないし、ふたりが大きく違っている感じがするんで、なんのせいなんだって思ったら、当たり前じゃないの。こっちは女のひと。
 その立ってる女は、体を曲げるようにしてて、まだ笑いが止まらないみたい。俺の前のヒゲが、横をチラッと見て言った。
「困ったもんだ。意識がもどって、これで三日目だろう?」
 女のひとがうなずく。
 ちょっと待てよ。三日だって? いったい、どこから数えてるんだ?
 俺は、その三日間、何をしていたんだ?
「はい、深呼吸。あ、わからんか。息を吸うんだ、こうやって大きく」
 俺の前に座っている、黒いヒゲをアゴにはやした男が、口を開いて大袈裟《おおげさ》に背をそらすようにする。すると、横に立っている、ヒゲなしの白い帽子の女も、同じように背をそらす。
 だから、俺も言われたとおりマネしてみた。
 変なの。
「おい、息を吸うんだ。かっこだけじゃない。大きく息を吸って吐く。ああ、もう、いい。知らん。計るぞ」
 左の腕に巻き付けられたものが、だんだんと強く腕を締める。ちょっと気持ちいいみたいな妙な感じだ。
 俺の前のヒゲ男は、縦長の器械をじっと見ている。管の中を液が上下に揺れている。
「一〇五の六二。で、脈搏《みやくはく》は五四か。まったく正常だな」
 器械を机の上に置き、キーボードで打ち込んでいる。
「よし、じゃあ、とりあえず一本打っておこう」
 白い帽子の女が、俺の左腕に巻き付けられていた布みたいなものをはずす。そして、小さな柔らかいもので、その下ぐらいのところをこすった。スースーする。
 これだって、やっぱ変だぜ。だけど、もっともっとやってほしい気もする。
 でも、それはすぐ終わりになってしまい、次に、俺に向かって何かが近づいてきた。前にも見たことがある。よく知ってるはずのものだ。
 先がとがってて、光る。そうだ、これは注射器っていうやつだ。
 その瞬間、俺の頭の中を電気が走った。
 何か言わなきゃいけない。
「あの、インフォームド・コンセントってやつは、しないんですか?」
 言葉が飛び出していた。
 俺の目の前の男は、息ができなくなってしまった。
 やったね。ざまあみろ。
「なんだって? もう一度、言ってくれ。いま、おまえは、なんて言ったんだ?」
 アゴヒゲを手で引っ張っている。
「注射の内容の説明ですよ。医者には義務があるでしょ。インフォームド・コンセントは、もはや常識でしょうが」
 驚いたねえ。
 何も考えてないのに、俺の口から、すらすらと言葉が出てくるんだ。
 そうだったな、俺の目の前のやつは、医者だった。ドクターだ。そして、横にいる細い女はナースだ。そんな簡単なことも忘れてたのか?
 ヒゲに手をやったまま、医者は唖然《あぜん》として俺を見ている。
「いったい、おまえの頭はどうなっているんだ? 幼稚園児並みの知能かと思ったら、いきなりインフォームド・コンセントだと?」
 突然、ドクターは、机をバンとたたいた。
「名前は? おまえの名前だ。いいか、齢は? 答えろ! 生年月日はどうだ? 所属は、性別は?」
 俺は首を振った。何回も首を振る。ドクターの言うことに反応できない。ひとつも言葉が浮かび上がってこないのだ。
 怒りで顔を真っ赤にしたドクターが、俺に迫ってくる。
「聞いていることに答えるんだ。いいか、職業は? どこで生まれたんだ。親の名前は? 家族は何人いる。国籍は? まだ童貞か? アレルギーはあるのか? 趣味はなんだ。ツベルクリン反応はいつ陽転した? 三種混合ワクチンは接種したのか?」
 頭が締め付けられるように痛む。
 そのツーンという感覚とともに、俺の頭は完全な空白、ブランクの状態になってしまう。
 からだだって動かないんだ。
 俺の両目から涙が流れ落ちていくのがわかる。
 おいおい、なんで泣いてるんだ?
 悲しいわけなんかじゃ、全然ない。でも、涙が出てくる。どうしてだ?
「手におえんな。おまえは、いったい何者なんだ」
 ドクターは、ため息をつく。
「うーん。その、実は、すべてが演技だったりはしないな? しっかり回復しているのに、忘れたふりをしてるとか」
 ドクターは、もう一度、机を軽くたたいた。
「まあ、いい。気にすることはないんだ。そのうち、なんとかなる。もちろん、場合によっては、なんともならんかもしれんが」
 おだやかな、落ち着いた声になっていた。
 俺の両肩に、ドクターの手が置かれる。
「とにかく注射だ。頭が楽になる注射を打ってやるよ。それが、私のインフォームド・コンセントだ」
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