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なぜぼくはここにいるのか26

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:  灘本唯人の中の神戸 ぼくが十九歳になったばかりの頃である。神戸新聞社の分室「宣伝研究」で初めての日宣美展に出品するた
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   灘本唯人の中の神戸
 
 ぼくが十九歳になったばかりの頃である。神戸新聞社の分室「宣伝研究」で初めての日宣美展に出品するために、京都の『竜安寺』をテーマにした観光ポスターを制作していた。そんなところに、よく学校の生物の先生が着ていた白い実験着姿の灘本さんが、まるでバレエでも踊るような歩みでひょい、ひょいと軽快に現れた。
 そしていきなり、
「何んや、これ?」
 と、ぼくが制作中の『竜安寺』の渦巻状の石庭のデザインを指して質問した。ぼくが答える間もなく、灘本さんは勝手に判断して、
「あ、わかった! 『金鳥蚊取線香』のポスターやろ?」
 と、ぼくにとっては大ショックなことをいった。ところがぼくの表情から、蚊取線香のポスターではなさそうだと想像した灘本さんは、いきなりぼくの作品を壁の前に持って行き、少し離れたところから、眺めながら、「蚊取線香とちがうわ、『鳴門の渦』や!」
 とまたまた勝手なタイトルをつけてしまった。ぼくはあんまり腹が立ったから、
「ちがう!!」
 と語気を荒くしていった。
 すると、再び壁のところに近より、今度は天地を逆さにして、
「こうして見ると、『竜安寺』の石庭に見えるわ!」
 とひとがまともに描いている石庭をわざわざ逆にして、『石庭』だというのは一体何事だろう? と思ったが、灘本さんにとってはこうして逆さにした方がまともに描いた『石庭』より、より『石庭』らしく見えたらしく、
「横尾くん、何描いてんのか知らんけど、このポスターに横文字で�RYOANJI�と書いて出品したらええわ」
 と親切[#「親切」に傍点]に教えてくれた。結局ぼくは灘本さんのいう通りに自分の意に逆らって、天地逆にして、�RYOANJI�の横文字を入れて出品した。結果は見事に第一次審査で落選した。
 今から二十年程前の話であるが、ぼくはこの時灘本さんの自由自在なイメージの連想的な発想に思わず感動した。ひとつのものをあらゆる角度から観察し、判断するこの才能は、灘本さんのひょい、ひょいとした身軽な体の動きと無関係ではないように思えた。身のこなしの軽い灘本さんは時々、軽業師のようなことをして若いわれわれを驚かしたりもした。このような身の軽さは精神の身のこなしにも自由に作用しているのか、貪欲にも色んな作家から影響を受けながら、それを見事に『灘本唯人』にしてしまう。
 神戸にいる時は灘本さんとよく逢い、色々と指導してもらった。特に色感の悪かったぼくは灘本さんの色感をよく真似たが、色彩の組合せが間違ったり、色の面積の計算ができなかったりして、結局一目で灘本さんのイミテーションとなってしまった。
 灘本さんより一足先に上京したぼくは、後から来た灘本さんの赤羽の団地を訪ねた。滅多にしないことだが、赤羽の駅前で今川焼を十個買っていった。灘本さんはぼくのこんな一面を知って大感動をして、
「そんなに、気ィつかわんかてええのに」
 と、いって、にこにこしながら紙の包を開いた。ところが中から出てきたのは今川焼だ。見る見る形相の変った灘本さんは、
「何や!! これは!! おのれの食いたいものを持ってきて、『灘本さん土産持って来たで』とは!! ひとをおちょくるのもええかげんにせェ!!」
 と、ぼくを目掛けて今川焼の雨が降ってきた。そればかりではない、火のついた煙草まで飛んできた。ぼくはあわてて、身をかわし、畳の上に落ちた煙草を再び拾って灘本さんに投返した。するとまた拾って投返す、こちらもまた負けじと投返す。灘本さんが甘党でないことを、酒を飲まないぼくは知らなかったのだが、この今川焼事件のように打てばすぐ響く灘本さんの感受性は、イラストレーションにも表れ、あのような情感豊かな女性をものにしてしまう。
 また灘本さんは歌も上手く、よく昔は『君恋し』や『メケ・メケ』を低音でしかも振付け入りで歌って聞せてくれた。また大阪の日宣美のお祭りなどにはステージで女装して『テキーラ』を情熱的に踊って見せてくれた。これらの才能はちょっとそこら近所のタレントには真似のできない見事なもので、ぼくはよく『ナダモト・タレント』と呼んでいた。そういえば灘本さんの作品は、芸術というよりむしろ芸能といった方がふさわしく、一見名人芸のような線と色で、われわれを陶酔させ、思わずパチパチと拍手し、「灘本屋!!」とか「よー! 唯人《タレント》!!」と声をかけたくなるほどだ。
 灘本さんの女の絵はどこか玄人《くろうと》的な色気を感じさすが、われわれ二人の間では一度も色気の話をしたことがない。というのも灘本さんを知ったのがぼくがまだ十代の子供の頃だったから、大の大人をつかまえて、色気話を出すのもおかしく、また灘本さんも、未成年に女の話をするのも、どうかと思い、未だにぼくを十代の子供と思っているところがあるのかも知れない。
 ある時灘本さんは一度銀座でぼくのためにまんじゅうを買ってくれたことがある。その時灘本さんは、うら若き女の子の店員をつかまえて、
「おまん、ちょうだい」
 といった。関西ではまんじゅうのことを上品におまん[#「おまん」に傍点]という。ところが店員の女の子はこのおまん[#「おまん」に傍点]を変な意味と連想したらしく、パッと顔を赤らめ、一瞬無視した。灘本さんはきょとんとして、ぼくに、「どないしたんやろ?」と聞いた。そこで上京に関しては先輩のぼくが、東京ではおまん[#「おまん」に傍点]は禁句だから、相手と場所をよく考えてから、口にしなければいけないと教えた。これが灘本さんとたった一回きりの色気話である。
 灘本さんの話をすればきりがないくらい色々とおかしな話があり、今でも時々逢うと、まるで一瞬にしてタイムトンネルを越えて神戸時代に帰り、延々と馬鹿げた話が続き、このせちがらい東京の空の下でお互に、気分が安らぎほっとして、遠いあの日の時間と空間の中に融込んでしまう。灘本さんはぼくにとって東京の中の神戸であり、またぼくのかけ出しの少年の頃の懐しい記憶の焦点でもある。
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