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なぜぼくはここにいるのか38

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:  あだし野にて 死体置場、あるいは火葬場で「死」について語ってもらえないかという最初の編集部からの依頼に、ぼくはある種
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   あだし野にて
 
 死体置場、あるいは火葬場で「死」について語ってもらえないかという最初の編集部からの依頼に、ぼくはある種の誘惑と同時に拒絶反応が起った。
 死について語ることは、ぼく自身を語ることでもあり、よりぼく自身を知ることでもあり、要するにこのことはぼくのテーマでもある。だからぼくはこの仕事を引受けたくて仕方がなかったが、訪ねる場所があまりにも現実的で、ぼくにとって少々むごたらしい感じさえしたのだ。ぼくはこんな死臭のたちこめている場所より、むしろ山とか、高原とか、海などの美しい自然の中で死を語ることを希望した。
 このことは、明らかにぼくが死を避けている証拠でもあろうが、もし美しい自然のバイブレーションの中で死を語り始めたら、ぼくはきっと「生きること」を積極的に考え、そして死を恐れない考えが湧起ってくるに違いないと察したからである。
 京都の嵯峨に「あだし野」という所がある。そしてここに念仏寺という、数千の無縁仏が境内に眠っている寺がある。ぼくは編集者とそこへ行くことになった。京都駅からタクシーに乗ると、不眠症気味のぼくはすぐウトウトと居眠りを始めたらしい。どのくらいたったのか、ハッと目を覚すと、眼前に青々とした緑の山がフロントガラスいっぱいに映り、その濃い緑と対照的に、真っ赤な「たこやき屋」ののれんが目に飛びこんできた。
 ぼくは咄嗟に運転手さんにストップを命じ、たこやきを編集者に要求した。別にたこやきが食べたくて車を止たわけではないということが、たこやきを口にしてはじめて気がついた。目が覚めた瞬間、突然襲いかかった緑と赤の強烈な原色が、ぼくの意志と無関係に、反射的に口が勝手に、「たこやき!」と叫んでしまったようだ。
 念仏寺の小さな山門をくぐると、すぐ目の前に無数の小さな石仏が、午後の低い日ざしを浴びてキラキラと、そのアウトラインをまるで後光のように燃やしていた。若葉の香りとともに、一瞬フッと目まいを起すような、何ともいえぬ恍惚とした線香の臭いがぼくを包んだ。
 以前、線香の臭いはぼくの中で常に死のイメージと結びつき、とても不快なものだった。ところが最近、ぼくは線香の臭いを嗅ぐととても気持が落着いて、安心するのだ。簡単にいえば宗教的雰囲気の中で無限の時間を感じるのである。そこには生死の境界もなく、ただ永劫の流れの中にあるぼくを発見し、なんともいいがたい幸福を実感するのだ。ぼくは何度も何度も線香の煙を手ですくいあげ鼻の頭にもってきた。
 しだれ桜が美しく咲く下で住職の原辨雄さんの話をきいた。
 死についてなど考えない方がいい、くよくよ考えたって死はいつか必ず誰もが経験しなければならないことなのだから、それより、インドの話をしましょう、ということになり、ついつい厚かましく家の中に上り込み、住職さんのインドやソビエト旅行のアルバムを拝見しながら、話題はいつしかヒマラヤの壮絶な夕焼の美しさに移った。ここ数年インドにあこがれ、インドを思念し続けながらもまだインドを知らないぼくがとても恥しい気がした。
 毎年インド行きの計画を立てるのだが、その直前になると急に怖くなってやめてしまうのだ。もしインドに行けば、ぼくのインドへの夢は破られ、そして仕事ができなくなってしまうのではなかろうか、というケチな料簡からだ。恐らくインドの現実は、ぼくの想像力さえも凌駕し、ぼくを粉々に解体させてしまうに違いない。求めながらも、一方で拒否するぼくの内部には、ますます非現実的なインドが増殖するばかりである。
 インドを想うことは死を想うことであるぼくにとって、インドとの出逢いができるだけ劇的で運命的でありたいと願うし、またそれと逆に、大河ガンジスのゆうゆうとした流れの一部分のように、静かに混りたいという気もあって、いまだにインドを知らないのだ。しかし、ぼくの魂は確実にインドに歩み続けているし、いつかインドは必ずぼくを必要として招き入れてくれると確信している。
 
 いつの間にか陽も沈み、あたりは暗い紫色一色に染めぬかれ、境内のしだれ桜だけが青白く印象的だった。ついさっき、家に入る前出逢ったばかりのチベットの僧侶が立っていた境内のその場所に、あの、僧侶が着ていた燃えるようなオレンジ色の聖衣が、今なお強烈な残像となって紫色の風景の中に浮びあがっていたので、ぼくは一瞬びっくりした。
 住職の原さんに見せられた数枚の宗教画に憑依《ひようい》されたぼくは、これらの作品に導れるように、原さんの御案内で、近所にお住いのその絵の作者、杉本哲郎氏を訪ねることになった。ぼくはこの絵を見た瞬間、本当にぼくの未来が決定したような気になった。ぼくが追求めていたものがここにあったからだ。ぼくはこの瞬間から宗教画家になろうと決意した。
 お話の中で杉本氏は言われた。
「芸術から宗教を取れば一体何が後に残るだろう」
 このたった一言の杉本氏のことばがぼくをいかにふるいたたせ、勇気づけ、ぼくを開いてくれる糸口になったかは想像におまかせする。実際ぼくはいたく感動し、ここに創作の原点があり、これ以上求める何ものもないことを悟ったような気になった。
 ぼくが宗教的なるものに関心を抱始めた直接の原因は、恐らく死の恐怖を避けたいからだったと記憶する。それは、いつまでも生続けたいという肉体に対する執着があまりに強過ぎるため、いつしか死ぬことが怖くて仕方なくなってしまったのだ。ぼくが最も欲しいものは、いうまでもなく死の覚悟である。ぼくを救済するのはぼく自身でしかなく、それは死を覚悟することにより達成されると思う。恐らくこのことはぼくが生きている限り続くテーマであり、もちろん創作もこのことを抜きでは考えられない。
 ぼくが宗教的なるものを創作の素材にしながら一番悩むことは、画面の内側と外側の世界の、あまりの矛盾についてである。宗教的なるものを描くことは、いうまでもなく自我との激しい葛藤であり、矛盾の露出であり、偽善的行為でさえある。しかし、ぼくはもうこのバルド状態(生死の中間状態)から身を引くことさえできない深みに立ってしまっている。聖なるものを求めると同時に本能的なるものを求める——このどちらともつかないバルド状態が、ますますぼくを死の恐怖に追いたてる。
 杉本氏は、「死の恐怖は死の側ではなく生の側にあることを知ればちっとも怖くないではないか。死とは今日から明日に移りゆく午前零時の一瞬に過ぎず、しかもこのような一瞬は無いことと等しい。死の恐怖の克服は愛の精神以外にない」と語られ、ぼくは本当に感心して聞いたものだった。今のぼくにはまさにこのことを知覚し実感すること以外にないのである。しかし、この簡単な真理がなぜ、ぼくのものにならないのだろうか。ゴールが見えているのだが道が見えないのである。
 
 杉本氏が宗教画家になられたのは、宿命的なものが大きく支配している、というようなことをおっしゃった。ぼくは現在、宗教的なるものを愛している。このこともぼくにとって宿命なのだろうか。
 ぼくは死後の世界も来世も信じている。だから、宗教的なるものを愛することもできるし信じることもできるのだろう。今生で達成できなくとも来世で達成したいと願うし、今生におけるさまざまなことは来世にその結果が現れるとすれば、今生の宗教的なるものとの出逢いは、ぼくにとって最高に喜ばしいことででもある。
 カルマの法則を信じれば、ぼくの来世には今生以上の苦しみが待っているような気がして死後の世界も来世も恐しいが、ぼくは「チベットの死者の書」に導れ、自分の宗教画に導れて、杉本氏流に表現すると、自由席から指定席の乗客になりたいものだ。
 杉本邸をあとにしたのは、夜も十時をまわった頃だった。あだし野の空には星がいくつもきらめいていた。この夜、ぼくはどうしたことか朝五時近くまで寝つくことができず、ホテルの窓から京都の夜景をいつまでも眺めていた。夜が白み始めた頃、東山の上に一段と輝く金星が現れた。ぼくは急に疲労を感じ、あわててベッドにもぐった。
 睡眠不足のまま、瀬戸内晴美さんの家を訪ね、秋から連載が始まる新聞小説の挿絵の打合せと、ちょっとした取材の真似ごとなどかねて嵯峨野あたりをぶらぶら。瀬戸内さんの法衣姿が目に沁みるように美しく感じられた。ぼくは惚れ惚れと、瀬戸内寂聴尼をいつまでもしげしげ眺めながら、とてもうらやましく思った。
 夜は大好物の「大一」のすっぽん料理を食べに行き、ついに味付用の酒に酔っぱらい、寂聴尼の法衣のすそに横たわってしまった。
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