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なぜぼくはここにいるのか29

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:  家哀歌 上京して十四年になる。そしてこの間、仕事場を含めると十回転居している。そして今また次の転居先を物色中だ。 も
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   家哀歌
 
 上京して十四年になる。そしてこの間、仕事場を含めると十回転居している。そして今また次の転居先を物色中だ。
 もともと放浪癖があるのかも知れないが、しばらく住むといつものっぴきならない事態が発生して転居をやむなく強いられるのである。
 今の家は成城学園前の駅の近くで、一年前、やはり成城内から転居してきた。何しろ急な話だったもので、転居先がなかなか決らない。子供を転校させまいと考えていたので、転居先の範囲が限定され、その上、経済的な予算などがあって、成城ならどこでもいいということで、とりあえず現在の家に転居してきたのである。
 ところが、この家が、小田急線の踏切に通ずる道路に面しており、ほとんど一日中家の前に車がずらっと渋滞して、排気ガスが侵入してくるため、窓もまともに開けられないといった様子で、ついに家族の連中がまいってしまった。
 二人の子供が転校を拒否していなければ、もう少し郊外に転居したいのだが、それもできず、そうかといって、現在の家の近くに借家もなく、ほとほと毎日困り切っている。
 上京した年に郷里の家を売って、買った土地が、成城にあるのだが、どうもぼくの神経が家を建てるということに拒絶反応をおこしており、なかなか妻との間に意見の一致を見ないのである。
 まあ妻にいわせると、ぼくはほとんど一日中外におり、たとえ家の中にいても考えていることは、紀元前のことや、宇宙のことや、死後の世界のことばかりだから、どこに住んでも平気かも知れないが、一日中家の中にいる自分のことを考えてみてほしい、ということになって、設計を始めたものの物価が急騰し、何もかも計画が壊れてしまった。
 ぼくが家を建てたくない理由には、面倒であるということと、家のために自由が縛られるのじゃないかということ、それと一番心配なのは大地震である。
 しかし考えてみれば、この種の理由は妻には通じず、ぼくの想像上の観念でしかない。現実に排気ガスが漂う家の中で生活している家族のものにとってはえらい迷惑かも知れないと、最近は家族の身になって考えはじめた。
 ところがまたまたぼくの想像力がとんでもないことを考えだし、同じ転居するなら、東京を離れ、京都辺りに行ってはどうだろう? いや、いっそのこと外国へ行くことにした方が賢明だろうといいだし、ますます家族は困り果ている様子で、一向に転居先が決らないまま牢獄《ろうごく》のように窓を閉めきった家の中で、テレビを見ている。
 このように年中家について悩み続けているわれわれ家族の一番のガンは、ぼく自身の家に対する関心が薄いためかも知れない。それにしても一体われわれ家族は現在の家を離れてどこへ行こうとしているのだろう。どなたかいい考えがあれば教えてもらいたいものだ。
 こんなに家について頭を痛めている時に、なぜこのような文章で再び悩まされなければならないのか?
 
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