空飛ぶ円盤に興味を持っているぼくは外にいる時はいつも空を見上げている。円盤を発見する目的で空を仰ぐわけであるが、東京の空がきれいだなあと思うことは、一年に一、二度台風が去った翌日ぐらいのもので、あとの大部分の日は、本当に空を見上げるのが憂うつになるほど空が薄汚れており、青色というより、白色、もしくは灰色といった方がふさわしい。
小学生の使用するクレヨンの青色には「そらいろ」と標示してあるが、このことはむしろ灰色のクレヨンに「そらいろ」と標示した方が正確ではないかと思われるくらいだ。
夜は夜でやはり空飛ぶ円盤を発見するために、外に長時間立って夜空をながめるわけだが。
都内でもまだ少しは空がきれいだといわれている成城でさえ、数えることのできる星の数といったら、二十数個あればいい方。時には二、三個という日もあるくらいで、こんな現象は世界中のどんな大都会にいっても見られない。二階にある天体望遠鏡でさがしまわってやっと薄ぼんやりの星ともいえない星を発見して、大喜びするのだが、随分淋しい話だ。
また夜だから空気がきれいだろうと思って思い切り大きな深呼吸をするのだが、どこからともなく排気ガスの臭いが鼻をつき、あわてて息を止めてしまうのだ。
緑の樹木も美しい自然ではあるが、特に夜空に点在する無数の星をながめていると、それらと心が一つになり、人間が本当に大自然の一部分であると同時に、宇宙的な存在であることを知覚し、魂が喜びに震えることがある。しかし、このような感覚を東京ではなかなか体験できない。だからぼくは色々と理由をつけてできるだけ地方に旅行することにしている。
先日も二週間ばかり山陰地方を旅行していたのだが、毎晩旅館の外に出て夜空の星をながめていた。ここには子供のころ見た夜空があった。本当に宝石箱をひっくりかえしたように、東京の空と比較すると、山陰の空はまるで宇宙空間にでもいるのではないかと錯覚するほどの無数の星で、ぼくのイマジネーションは無限に広がり、魂までが浄化されるような気がした。そしてついに東の空が白むまでぼくは星と戯れていた。