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なぜぼくはここにいるのか56

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:  霊魂の歌声 初めて「サード・イヤー・バンド」の音を聴いた時、これは絶対ぼくの音だと思いました。だって、ぼくはこの世に
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   霊魂の歌声
 
 初めて「サード・イヤー・バンド」の音を聴いた時、これは絶対ぼくの音だと思いました。だって、ぼくはこの世に生れてきてズーッと「この音」ばかりさがしていたような気がするんです。それほどこの音は懐しいのです。でもなんだかこの音を聴いていると、急に怖くなってしまいます。というのも「この音」のところにいつか帰らなければならないからです。「この音」はズーッと前に聴いた記憶があるのです。それは夢の中だったか、母の胎内だったか、それともこの前の世界にいた頃だったか、とにかくぼくの細胞の中に「この音」の記憶がちゃんとあるのです。
 だから「この音」は以前ぼくが死んだことがあることを想いださせてくれました。ぼくはいつも心の中でぼくの前世を懐古していたのかも知れません。そしてまた今度ぼくが去《い》く世界も「この音」のあるところです。「この音」を聴いていると死んでもいいような気がします。というより、たった今、死んでいるような気がするのです。丁度この状態と同じ状態が以前にもあったからぼくは「この音」をこんなに懐しがっているのかも知れません。ぼくは死ぬのが非常に怖いのです。それは肉体の消滅の恐怖で霊魂の死滅ということではないのです。霊魂だけになってしまうのが怖いのです。でも「この音」はぼくを肉体から切離して霊魂だけにしてくれます。そして、現界から次現界、そして幽界、霊界へと霊魂だけになったぼくを飛ばしてくれます。こんな時、ぼくは宇宙意識というか、神意識に到達するような錯覚を憶え、もう少しで、神界の光のシャワーに濡れてしまうのです。しかしここまで去《い》くのに、ぼくは地球の時間で何百年も何千年も何万年もかかってしまうのです。でも「この音」は、霊魂だけになっても、現界にいた頃の想念をひっさげたままです。ぼくの想念は大部分がマイナスの想念が支配していた自我がほとんどだったので、霊魂は大暗黒の宇宙に彷徨ったままです。なんていうか、扁桃腺にルゴール液を塗付されたような、苦々しい味、そんなイヤーな想念です。でもぼくの死後の世界はきっとそうなんです。勿論以前に死んだ時だって同じような苦い味だったのです。
 ぼくは死と仲良くするのが大好きです。というのも、それほど死ぬのが怖いからです。死の恐怖をさけるためにはぼく自身が恐怖の対象である死になってしまえばいいのです。そういう意味では「この音」は、ぼくを安心させてくれます。だからぼくは生きていてもいつも死を味わっていたのです。ぼくの生は死の連続です。ぼくの生は死の一部分です。だから反対に生のことを死といってしまいたいのです。ぼくは死後の世界はそう大して嫌いではありません。以前は非常に怖かったけど、今はほんの少ししか怖くありません。でも霊魂が肉体から離脱する時の肉体の苦痛が怖いのです。つまり死の瞬間が怖いのです。
 ぼくはいつだか三度死んだことがあります。その最初は首を切断された時です。一瞬氷のような冷さを首に憶えましたが、次の瞬間は火のような焼けるような熱さに変りました。でもそれもほんの一瞬で、その後は、やはりルゴール液を口にした時のあの苦々しさと同じイヤーな気分でした。首が切断されると同時にぼくの霊魂は肉体から離脱して、暗い、暗い暗黒の井戸のような宇宙に落下していきました。しかも首に受けたあのルゴール液の苦々しい味の痛みを憶えながらです。ぼくの霊魂は死後なお肉体の痛みを記憶しているのですから、ぼくは本当にいやになってしまいました。永遠不滅の霊魂がこんな肉体の痛みを永遠に記憶するなんて、ぼくはよっぽど運が悪いのです。霊魂の落下がどのくらい経ったでしょう? ふと気がつくと、ぼくはぼくの守護霊に連れられて、墓石屋の裏を流れる小川のわきの畦道を歩いていました。この時に聴いた音が、「この音」とそっくりだったのです。
 次にぼくが二度目に死んだ時は、深い川の中に何か大事な品物を落した時です。ぼくはその大事な品物を拾うために川底深く深くもぐりました。いくらもぐってももぐっても川底に到達しません。そのうちにぼくは次第に息苦しくなってしまいました。そこで慌てて水面に浮上しようとしました。ところが、いくらたっても水面に浮上できません。よほど深くもぐってしまったのでしょう。ついにぼくは水面に到達するまでに息が切れてしまいました。どのくらい時間が経ったのか、気がついてみるとぼくは川底近い水中に浮いたままでした。ところが不思議なことに、水中にもかかわらず辺りには水が全くありません。そのくせぼくは、まるで水中を泳いでいるような格好で、水のない川底の空間をスイスイ浮遊しているのです。この時、ぼくは初めて、自分が死んでいることに気がつきました。ふと暗い川底の岩陰を見ると、そこに一人の女性が裸で仰むけになったまま、まるでぼくの体を待受けるようなポーズで横たわっているのです。早速ぼくはこの女性に抱きついていきました。ところがどうしたことか、この女性にも、ぼくにも性器がないのです。それでもつきあげてくるような情欲にぼくはなおも激しく重なっていきました。どのくらい時間が経ったのかわかりません。ふと背後に人の気配を感じて振返ってみると、そこには沢山の霊人達がずらっと一列に遠くの川底まで並んでいました。この時に聴いた音も「この音」そっくりでした。
 そして最後に死んだ時は、ぼくの肉体は全くどこにも見当りませんでした。あるのは霊魂だけで、宙に浮いているような感じでした。辺り一帯はほとんど白い靄に被われていました。しばらくすると、前方の靄が一瞬フッとかき消され、そこに山肌の一部が現れました。それはまるで秋の紅葉のように、赤茶けて見えました。肉体のないぼくはなんともいえない不安感のまま何かに寄りかかっていなければなりませんでした。以前の二回の死の時もそうだったが、今度もぼくは自分が死んでいるということにすぐ気がつきました。ところが以前は死んだことに怖れたり後悔はしなかったのに、どうしたことか今度の死だけは、本当にシマッタと思ってしまいました。何ともいえない恐怖です。もう現界に帰ることができないという、物質世界に対する執着に、ぼくは本当に発狂してしまいそうになりました。そしてついにぼくは大声をあげて泣出しました。ところがこんなに悲しく泣いているのにどうしたことか涙が一滴もでないのです。少しでも涙がでてくれれば、ぼくはこの巨大な悲しみから少しは救われたのですが、ついに涙は頬を濡らしてくれません。ただ帰りたい、という一念だけがぼくを津波のように大きな波動を帯びて襲ってくるのです。やがて、目の前の空間に妻と二人の子供の顔が浮び上りました。ここに至ってぼくの現界への執着は一層激しくなりました。この物質界への拘りとの葛藤に少々疲れてしまったぼくは、しばらくウトウトと眠ってしまったようです。次に目を覚した時は辺り一帯が暗黒の世界です。地球から約五万フィートの地点にいるナと感じました。この辺りは空飛ぶ円盤の母船が滞空している位置なのです。地球人の肉体から離脱したぼくの霊魂は今こうして他の惑星の生物の肉体に、憑依《ひようい》したような気がしました。もうぼくの頭の中には地球のことなどこれっぽっちもなくなってしまいました。この時に聴えてきた音も「この音」だったような気がします。
 こんな具合にぼくの始めと終りには「この音」が必ず現れるのです。だから「この音」はぼくの霊魂の音なのかも知れません。この大宇宙には、無数の音があります。太陽が奏る音、地球や月や金星や土星や火星や、その他太陽系の九つの惑星からそれぞれ違った音を出しています。この太陽系から他の太陽系へと、島宇宙全域に音が充満しています。これは皆なそれぞれの物質の持つ霊魂の音なのかも知れません。「この音」を聴いている時、ぼくはぼくの生が無限であることを知ります。しかし、それでもぼくは怖いのです。無限が怖いのではなく、肉体の有限が怖いのです。残念ながら今のぼくは肉体そのものが魂なのです。自由自在に宇宙の彼方まで飛翔する霊魂よりも、このガンジガラメの不自由な肉体の方を愛しているからでしょう。だから「この音」は残酷な音です。霊魂の音なんてとんでもない、物質界のエネルギーの音です。本当にぼくはどうかしています。「この音」はぼくをまるで幻覚剤のように狂気させてしまうのです。とにかく変な音です。スーッと延びた一直線の道を、どこかで、その端と端をヒョイと結んでしまうのです。それはまるでメビウスの輪のように表裏一体になってしまうのです。そしてぼくはこの空間と時間の永遠の奴隷になってしまうのです。そこは四次元の世界です。メビウスの輪に落込んだぼくは初めてぼくの輪廻を知りました。それにしても「この音」のレコードの音は初めと終りがあります。再び繰返して聴くために、ぼくはいつもベッドから降りてプレイヤーのところまで行かなければなりません。そしてレコードの針を元の頭のところに持ってきてやらなければならないのです。一体これはどうしたことなのでしょう? ぼくにはよくわかりません。
 死後の世界はぼくの意志通りにいきません。ぼくの肉体や官能、それから物欲、こうしたエゴなどの物質的エネルギーが死後の世界を生きていた時と同じように支配するのです。困ったことです。しかしこの物質界でぼくは自分を向上させる自信があまりないのです。どうも霊魂の向上のためには肉体が邪魔するのです。ぼくはときどき、夢の中でこのエゴの化身と闘わなければなりません。夢の中でぼくは少なくとも次現界という現界より少し高いところに行くことができます。もちろん肉眼では見えない世界です。物理でいうとおそらく、分子ということになるかも知れません。でも時には、分子よりさらに小さい粒子でできた原子、いやもっと小さい電子の世界、もうこの辺まで来ると幽界に近づいているのかも知れません。「この音」はどうもこの辺から聴えてくるのです。でも天界の音というより地底から聴えてくる悪霊の音のような気がします。
「この音」は広大な太陽系の彼方から聴くと、他の惑星の発する音より恐しい響きを持っている地球の音なのです。地球の全体が抱いている想念の音です。そしていつかこの地球の音が太陽系のバランスを崩してしまうかも知れません。その時は太陽系の崩壊、そして島宇宙全体の崩壊にもなりかねません。「この音」はぼくの音でもあり、人類の音でもあり、地球の音でもあり、そしていつか太陽系、そして島宇宙の音になる恐れがあるかも知れません。決していい音ではありません。どちらかというとマイナスの想念の音です。今、「この音」がぼくを警告し、人類、そして地球を警告しています。それほど危険な音です。音自体は危険ではないのですが、この音が今、こうして聴えて来たということが危険なのです。
 ぼくはいつか死ななければなりません。そんなことは考えたくありません。でも「この音」がそのことを考えさせてしまうのです。そのためか最近は、死のことばかり考えます。今度再生する時は他の惑星に生れ変りたいです。恐らく他の惑星には「この音」もなく平和だと思うからです。死はもともと平和なものだと思います。ところで地球上で死ぬ限り、どう考えても平和な死後というのは存在しそうにないと思います。他の惑星までの生は、死の安らぎと同等か、それ以上のような気がします。生そのものの長さも地球の時間にしたら二千年位はあるはずです。キリストや釈迦の時代の人が今なお宇宙の彼方で深遠な長老として宇宙の兄弟から崇められています。ぼくの魂はいつもこうした宇宙の兄弟に波動を送っています。しかし、ぼくの音が「この音」のように悪魔的で不安と恐怖に充ちているせいか、あまりかんばしい交信が得られません。それでも二、三度ぼくは夢の中で彼等とコンタクトを持つことに成功しました。しかしこのいずれも、決して平和なものではなく、不安と恐怖に充ち充ちていました。それはきっとぼく自身が作りあげた恐怖と不安だったからだと思います。彼等に対してこのような潜在意識を持続けているぼくの魂は、哀れで貧しいものです。だからってのも変な話ですが、「この音」はぼくと同じように哀れで貧しい地球人のための音です。
 こんな不気味な音が好きなぼくには平和な気分なんてほど遠いのかも知れません。「この音」に魅かれますが、もし「この音」そのものの世界に去《い》くことになった時は、ぼくはたまらなくなってしまうかも知れません。「この音」を聴けば聴くほどぼくは「この音」をぼくの霊魂の中に引込んでしまいます。「この音」から始まって「この音」で終るぼくはどうしても「この音」から逃れることができないのでしょうか。本当に「この音」はぼくの霊魂を痛めつけます。肉体を強く刺激されると痛いように、「この音」を聴くと霊魂がチクチクと刺すように痛いのです。
 ぼくは一体ここまで何を語ってきたのでしょう? 「この音」に関ったためにぼくはまるで夢を見ているような変な感じです。「この音」について語ることはぼくをますます混乱させてしまうことになります。それにしてもぼくの霊魂は本当に「この音」を絵に描いたような姿、形をしています。
 
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