二
月ののぼらぬうちにと、官兵衛は裏口から外へ出た。強《た》って断ったが、与次右衛門も浜まで行くというし、お菊も、どうしても舟まで見送りに行きたいという。
「あとから来い」
官兵衛は大股に町を通り越えて、浜の雁の松へ急いで行った。見れば、約束の小舟らしいのが一艘《そう》そこに繋綱《も や》っている。官兵衛は波打際《なみうちぎわ》へ寄って、
「与次右衛門に雇われた船頭はおまえか。摂州《せつしゆう》まで約束したのはこの船か」
と、二度まで声をかけた。
船頭は艫《とも》にかがみこんで、土炉《つちろ》に火を焚きながら何か煮物をしていた。そして振向きもしないのである。
「あはははは」
官兵衛は独りして笑いだした。この船頭の唖《おし》だったことを思い出したからである。
で、与次右衛門が来た上にしようと、ぽつねんと彼が来るのを待っていた。ところが案外暇《ひま》どって、どうしたわけか、だいぶ遅れてようやくここに姿を見せた。
「お待たせいたしました。実は、後から出て参りますと、ちょうど町の辻で、衣笠殿《きぬがさどの》にばたりと、お出会いいたしましたので、そのために……」
と、後を見て、身を避けた。
姫路にある父の近臣、衣笠久左衛門が、やはり目薬売りに身装《みなり》を変えて、笠を両手に、黙然と膝まで頭を下げていた。
「やあ久左衛門。何でそちは、おれのあとを慕《した》って来たか」
「大殿のおいいつけでございまする」
「なに、父のいいつけだと。……姫山の館へ立ち寄って、お別れのご挨拶を申しあげた折は、あのように膠《にべ》なく、はやく立て、何を恋々としておるかなどと、此方の未練を叱るように追い立てながら」
「——と、お励ましなされながらも、親御《おやご》のお身なれば、胸のそこに、如何《い か》ばかりこのたびのお旅先を、ご心配あそばしておらるるや知れませぬ。……で、若殿がお立ち出での後、やがて私をお召になって、途中不慮の事あっては、一子の生命《いのち》はともあれ、中国全土の将来にも関わろう。汝が付き添って、道中事なきように、守ってくれと、ありがたいおことば、み、身に余るお役目を申しつかりましたので、お後を追って来たわけでございます」
「……そうか」
官兵衛は姫路の空を振向いていた。そしてその事に就いてはもう何の否《いな》やもいわず、与次右衛門に命じて、唖の船を岸へ呼ばせた。
「世話になった。では、行って来るぞ」
久左衛門をつれて、官兵衛はすぐ舟へ移った。無表情な船頭は、もう櫓柄をにぎって、ぎしぎしと漕いでいた。海づらは静かで、頃あいな夜風もあるので、岸を離れるとすぐ船頭は帆を立てた。
雁の松の下に、父娘《おやこ》は、その白い帆影が見えなくなるまで、じっと見送っていた。
この夜、中国の天地には、まだ誰知る者はなかった。そよ吹く南風を孕《はら》んで、諧音《かいおん》の海を、ひそやかに東《ひがし》して行ったこの一帆《ぱん》こそ、やがて山陽の形勢を一変し、ひいては後の全日本に大きな潮のあとをのこし、その革新《かくしん》勢力の先駆《せんく》をなして行ったものであることを。