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平の将門01

时间: 2018-11-20    进入日语论坛
核心提示:御子と女奴 原始のすがたから、徐々に、人間のすむ大地へ。 坂東平野《ばんどうへいや》は、いま、大きく、移りかけていた。 
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 御子と女奴
 
 
 原始のすがたから、徐々に、人間のすむ大地へ。
 坂東平野《ばんどうへいや》は、いま、大きく、移りかけていた。
 ——ために、太古からの自然も、ようやく、あちこち、痍《きず》だらけになり、まぬがれぬ脱皮を、苦悶するように、この大平原を遠く繞《めぐ》る、富士も浅間も那須《なす》ケ岳《たけ》も、硫黄色の煙を常に噴いていた。
 たとえば、茲《ここ》にある一個の人間の子、相馬《そうま》の小次郎《こじろう》なども、そうした“地の顔”と“天の気”とを一塊の肉に宿して生れ出たような童《わつぱ》だった。
 年は、ことし十四ぐらい。
 かた肥りの、猪肉《ししむら》で、野葡萄のような瞳をもち、頬はてかてか赤く、髪はいつも、玉蜀黍《とうもろこし》の毛みたいに、結び放しときまっていた。全身、どこともなく、陽なた臭いような、土臭いような、一種の精気を分泌している。
 だが、今年になってから、その童臭も、黒い瞳も、どこか、ぼやっと、溌剌を欠いていた。痴呆性《ちほうせい》にすらそれが見えるほど、ぼやけていた。
 父の死後。家に飼っている女奴《めのやつこ》(奴婢《ぬひ》)の蝦夷《え ぞ》萩《はぎ》と、急に親しくなって、先頃も、昼間、柵《さく》の馬糧《まぐさ》倉《ぐら》の中へ、ふたりきりで隠れこんでいたのを、意地のわるい叔父の郎党に見つけられ、
「御子《みこ》が、蝦夷《えびす》の娘と、馬糧倉の中で、昼間から、歌垣《うたがき》のように、交《ま》くわりしておられた。——相手もあろうによ、女奴と」
 と、一大事のように、吹聴された事件があった。どうしてか、後見の叔父たちは、小次郎には、何もいわなかったが、女奴の蝦夷萩は、きびしい仕置にあい、大勢のまえで、鞭《むち》で三十も四十も打ちすえられた。
 それきり、女奴の蝦夷萩は、小次郎のまえに、一度も、姿を見せなくなった。小次郎もまた、以後はよけいに、家に在る大叔父や小《ち》い叔父に対して、気うとい風を示して近づかなかったし、大勢の家人《けにん》や奴婢たちにも、なんとなく、顔を見られるような卑屈を抱いているのだろう。この頃は、ほとんど、屋敷の曲輪《くるわ》うちには、いなかった。ひまさえあれば、その住居から一里半も離れている——この“大結《おおゆう》ノ牧《まき》”へ来て、馬と遊んでいるか、さもなければ、丘の一つの上に坐りこんで、ぼやっと、行く雲を、見ているのだった。
 ここの牧は、坂東平野のうちでも、最も大きな、広い牧場だと、いってよい。
 わが家には、こんな牧が、所領の内に、四ヵ所もある。
 馬は、土地につぐ財産だ。都へ曳《ひ》いて行けば、争って人は求めたがるし、地方でも、良馬は、いつでも砂金《か ね》とひき換えができる。
 その馬が、わが家には、こんなにもいるのだ。
 下総《しもうさ》、上総《かずさ》、常陸《ひたち》、下野《しもつけ》、武蔵《むさし》——と見わたしても、これほどな馬数と、また、豊かな墾田と、さらに、まだまだ無限な開拓をまつ広大な処女地とを、領有している豪族といっては、そうたくさんは、あるものじゃない。
「——いいか、おまえは、その跡目をつぐ、総領息子であるのだぞ」
 と、死んだ父の良持《よしもち》が、生前、よくいっていたことばを、相馬の小次郎は、ここへ来ると思い出した。牧の丘に、坐りこんで、ぽかんと、父の声の、あの日この日を思い出しているのが、なにかしら、楽しみでもあったのだ。
 そんな時。——行く雲を見るともなく見ている眼から、急に、ぽろぽろと、涙を奔《はし》らせ、鼻みずを垂らし、しまいには、顔をくしゃくしゃにして、独り、声をあげて、泣き出してしまうことがあった。
 ここでは、いくら泣いていても、なだめてもなし、怪訝《いぶか》る者もいなかった。彼は、自然に泣きおさまるまで、自分を泣かせて、やがて、嗚咽《おえつ》が止まると、忘れたように、けろりと、太陽に顔を乾《かわ》かしている。
「御子……。御子うっ」
 たれか、遠くで、彼をよんだ。
 馬舎働きの男が、丘の下から、手招ぎしていた。飯時を告げるのであった。小次郎は、首を振って見せた。
「おらあ、食わねえよ。食いとうねえだ、晩に食う」
 男が、なお執《しつ》こく、くり返して、すすめると、彼は、やにわに、石を拾って、抛《ほう》りつけた。
「ばかっ。そんなに、食わせたけれや、烏にくれてやれ」
 石は、男を外《そ》れて、罪もない仔馬にあたった。男は、馬房の方へすッ飛んで行き、仔馬も、沢へ、奔り降りた。
 牧の中には、こんな丘が、幾つもある。そして、沢の水を飲んでいる馬、横になって眠っている馬、草を泳いでゆく仔馬の群など——眼をやるところに、馬の影が見られる。
 けれど、去年の暮、父の良持が死んでから後は、急に、馬の数が減っていた。
 父の家人で、いまも牧の管理をしている御厨《みくりや》の浦人《うらんど》は、その事について、ある折、
「御子。——馬ばかりではありませんぞ。御本屋《ごほんや》の、穀倉の物、弓倉の中の物、そのほか数ある土倉のうちに、どれほどな物が残っていましょう。……大きな声ではいえませんが、御後見の叔父方が、みな、自分たちの所領の地へ、こそこそ運ばせてしまわれたのでございます。……ええ、馬もです。決して馬盗人《うまぬすびと》の所業ではありません。浦人が、この目で見ておるところです。けれど、あの三叔父の権威にたいして、私などは、顔いろにも出せません。出せば、一日も、この牧にとどまる事はできないので」
 と、小次郎の耳へ、さも、深刻そうに、囁《ささや》いたりしたこともある。だが、小次郎には、深刻でもなんでもなかった。牧の馬数が、目に見えて、減ってゆくのは、親しい友達が去ッてゆくに似た哀愁にはちがいなかったが、倉の中の物などは、あろうと、失《な》くなろうと、彼にとっては、頭にもない問題だった。
 ただ、子ども心にも、深く彫《ほ》りこまれていたものは、父の死と同時に、常陸や下総や上総など、それぞれの居住地から、彼の家へ乗りこんできた叔父たちであった。
 大叔父というのは、父の良持の兄にあたる人で、常陸の大掾《だいじよう》、国香《くにか》といい、これがいちばん威張っている。
 そのほか、良持の弟、良兼《よしかね》、良正《よしまさ》のふたりも、後見人として、のべつ来ていた。
 小次郎の父良持が擁《よう》していた広大な土の支配は、この三叔父が、すべて指図し始めた。たくさんな家人も、奴婢も、みな、その三名を、新しい主人とも仰ぎ、陰口一ツさえ、怖れあった。
 これを、不当なかたちと、見る者はなかった。なぜならば、小次郎の父良持が、息をひく寸前に、親類、家の子など、大勢を枕もとにおいて、親しく、国香、良兼、良正の三名へ、こう遺言して逝った事実があるからである。
「わしに、七人の子はあるが、総領の小次郎とて、まだ幼い。わしが拓《き》り開いたこの地方の田産《でんさん》や、諸所にある伝来の荘園《しようえん》(官給地)は、お身たちが、管理して、小次郎が成人の後は、牧の馬や、奴婢などと一しょに、そッくり、還してやってくれい。それだけが、気がかりなのだ。……たのむ」
 かくれもない事なので、御厨の浦人が、何度もいって聞かせるまでもなく、小次郎もよく知っている。そしてその事に、彼はなんの不平もない。
 彼が彼らしい童心の溌剌を急に削《そ》がれたのは、決して、そのような物質でもなく、蝦夷萩との、恋でもない。ただなんとなく、生れたわが家が冷たくなり、屋敷曲輪のどこにいるのも嫌で、この丘に坐っているのが、一番いい、ということだけのようであった。
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