一
途中、加古川《かこがわ》に一宿して、官兵衛は旅舎の燈火を掻きたて、一書を認めて袂《たもと》にした。
翌朝、往還の木戸まで来ると、要路を守る羽柴の軍隊に会った。官兵衛は袂のものを取り出して、
「筑前様にお手渡しいたしてくれ」
と、書状を託して先へ急いだ。
いうまでもなく、その後の消息と、遽《にわか》に、荒木村重の伊丹城《いたみじよう》へ赴くことになった事情を、書中つぶさに伝えておいたものだろう。
「ひと目、お顔も見たいが……」
と、平井山の方面を振り向いて、一日か二日をそこへとも思わぬでもなかったが、摂津の情勢は半日の間も猶予《ゆうよ》し得ぬものがあるし、また、御着のあの後も猫の目のようなものだ。いつどう変るやらわからない。そう考えると、
「急ぐに如《し》くなし」
と、途中の茶店で白湯一碗すする気にもなれない。
果たせるかな、一歩、摂津に入ると、険《けわ》しいものが往来の者にも感じられる。兵庫あたりから花隈城の兵が道路を扼《やく》し、随所に柵を作り、関をむすび、
「どこへ行く。何しに参る」
と、物々しい往来調べである。
「御着の家臣、黒田官兵衛、主命によって、伊丹のお城までまいる」
ここでは秀吉随身の者とはおくびにもいわなかった。しかし黒田官兵衛と聞けば知らぬ者はない。阻《と》めるわけにもゆかないが、油断ならぬぞという目顔で通すのである。そして必ずその後から早馬がすれちがって先へ駆けて行った。
もう近い、伊丹はそこだ。官兵衛は悠々と馬を打たせて伊丹近くの松並木まで来た。すると誰やら路傍《ろぼう》から、
「旦那様、お久しぶりでございまする」
呼びかけて、彼の振り向く鞍わきへ歩み寄り、腰低く挨拶をしている者があった。