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平の将門123

时间: 2018-11-24    进入日语论坛
核心提示:狂風陣「え、秀郷が。間違いだろう? どうして秀郷が、この将門の敵にまわるわけがあるのか」 初め、将門は、信じなかった。 
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 狂風陣
 
 
「え、秀郷が。……間違いだろう? ……どうして秀郷が、この将門の敵にまわるわけがあるのか」
 初め、将門は、信じなかった。
 第二、第三の早馬がはいっても、疑っていた。
 が、事実と、わかるや、彼は見得もなくあわて出した。秀郷の老練や、下野の武力には、脅威も抱いている。また、押領使たる彼の地位へも尊敬を払って、従来、秀郷の職能と一族の田野は侵害しないことに努めても来たのである。
 それが、その秀郷が。
 彼は、自分の敵と考えられる以外の人間は、すべて、味方ではなくても、善なる人間として、少なくも、万一のばあいとか、応変の危害など感じないで通して来た男である。——だから、こんな時、狼狽の色もつつまず、あわてふためいたり、極端に、こんどは、感情をあらわして、罵ったりするのを見ると、部下の眼にさえ、彼の魯鈍と、愚直さえ、はっきり見えた。頼みがいなき人物と、見えもした。
 さきに、敵将の妻を放してやったことといい、この仰天ぶりを見て、その涙もろさや、人のよさに、いっそう心を彼に協《あわ》せて、生死も共にという気を強めたのは、彼の一族中や、将士のうちでも、極く少数にかぎられていたろう。
 ともあれ、急遽、対戦の策をたてた。
 そして、多治員経、坂上時高らが、逆に、秀郷の本拠地に近い——阿蘇郡へむかって、進撃した。
 出ばなを、叩かれた形で、下野勢の先鋒は、敗れては退き、戦っては破れ、後方へ潰走した。
 員経や、時高らは、
「秀郷の手のうち見えたり」
 と、気負い込んで、敵地へふかく這入《はい》りこみ、将門の本陣との連絡も欠いてしまったので、やがて、孤軍のすがたとなった。
 秀郷は、部下に、やおら命を発した。
「さあ、これからだ。まず、目前の賊を、存分に、包囲して、一兵も余すな」
 彼の、予定の作戦は、思うつぼに、はまったのである。——それからは、蓆《むしろ》を捲くような勢いで、下総へ、攻め入った。
 一方。
 貞盛と、為憲は、常陸、上総から同時に起った。序戦において、秀郷の術中に陥ちたがための、将門勢敗北の声は——その他の国々のうごきにも、大きな作用を起した。
「新皇は、しょせん、本皇には敵わないものだ」
「官軍につけば、他日、恩賞もあろうが、賊兵につけば、かならず、首はあるまいぞ。九族まで、重罰に処せられようぞ」
 貞盛は、声を大にして、百姓のあいだにも、こういい触れさせた。
 一戦ごとに、将門は、敗退をかさね、ついに、岩井ノ館一柵が、彼の余す防塁となってしまった。
 猿島の館は、自分の手で焼き払い、ここにたて籠って、さいごの一戦を——と計ったのであるが、なんと、営中の兵をかぞえれば、わずか四、五百騎しか余していない。
 これが、二月一日以来、わずか十日程な間の転落ぶりであった。
 そして、二月十四日の朝。
 将門は、その岩井を、すこし離れ、北を背に、陣を布いた。——敵は、われより八、九倍の大軍と見て、
「待つよりは、機を計って、敵の虚を衝《つ》け」
 と、奇襲の構えを取ったものである。
 その日は、ひどい烈風だった。日光颪《おろし》が江の水にさえ、波濤をあげている。二月半ばの、蕭殺たる芦《あし》や荻《おぎ》は、笛のような悲調を野面に翔けさせ、雲は低く、迅く、太陽の面を、のべつ、明滅させていた。
 ——ソノ日、暴風枝ヲ鳴ラシ、地籟《チライ》、塊《ツチクレ》ヲ運ビ、新皇ノ楯ハ、前ヲ払ツテ、自ラ倒レ、貞盛ガ楯モ、面《メン》ヲ覆《クツガ》ヘシテ、飛ブ。
 と「将門記」にも見える通り、いわゆるこの地方特有な空ッ風の日であった。——将門が、奇襲法をとろうとしたのは、この天候の利用を考えたものと観てよい。
 申《さる》の刻《こく》(午後三時)といわれている。
 将門は、その手兵、全部をあげて、敵の大軍に近接し、射戦を仕懸けた。風向きは、彼に有利であった。いかに、十倍の兵力と、弓勢をつらねても、この烈風が味方しない以上、秀郷、貞盛の連合軍も、いたずらに矢を費い、手負いや死者を、積むだけであった。
 乱れ立った敵陣のさまを見て、
「かかれっ。——貞盛の首、秀郷の首、二つを、余すな」
 将門自身、馬を躍らせて、敵の怒濤のなかへ没して行った。あんな、涙もろい、鈍愚な、しかも事に当っては、うろたえたりする彼が、どうして、あんなに強いのか。強いという事と、日頃の侠気や魯鈍とは、べつなものであるのだろうか。将門の兄弟も、麾下も、驚いた。いや、励まされた。
 貞盛は、馬をとばして逃げまどい、秀郷勢も、右往左往、荒野の雁の群れ、その物のような影を見せ、四散するのに、逸《はや》かった。
 まさに、乱軍の状である。
 いや、坂東の土が生んだ、将門という一個の人間の終末を、吹き荒《すさ》ぶ砂塵と風との中に、葬り消すには、まことに、ふさわしい光景の天地でもあった。
 将門はもう、将門という人間ではなくなっている。一個の阿修羅である。睫毛から髪の毛の先までの生命が、みな焔のごとく燃焼していた。勝ち誇った双眸である。血も血と見えない顔つきである。——せめてその前に、もう一個の貞盛という者を見たがっていただけである。荒ら駒の躍る背に、彼は、それだけを、探していた。
 刹那《せつな》——彼の顔に、矢が立った。
「…………」
 何の声もなかった。
 戦い疲れた顔が、兜の重みと、矢のとまった圧力に、がくと、首の骨が折れたように、うしろへ仰向いたと——見えただけである。
 馬から、どうと、地ひびきを打ってころげ落ちた体躯へ向って、たちまち、投げられた餌へ痩せ犬の群れが懸るように、わっと、真っ黒な雑兵やら将やらが、寄りたかっていた。あっけなく、天下の騒乱といい囃《はや》すには、余りにも、あっけなく、相馬の小次郎将門は、ここに終った。
 その陣没は、天慶三年、二月十四日。時に、年歯はまだ三十八歳であった。
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