赤い緒のぷつと断たれた市女笠は、きのうの所に、夜を越えて、露草の中に落ちていた。
——けれど、そこの河原から約十町ほど隔てた東南にわたる一帯の草原は、一夜のうちに、まったく景観を変えていた。
きのう昼のうちから徐々に茶臼山を降りていた武田信玄の総軍は、布施《ふせ》五明、篠井村《しののいむら》をこえて、ここ雨宮の渡しを前に、夜のうちに移行して、今朝見れば、中軍一団をまん中にして、十二軍団を五行に展《ひら》き、
(妻女山の謙信にもの申さん)
といわぬばかり、無数の旌旗《せいき》を植えならべて、陣々、鮮やかにその旗印《はたじるし》をさえ敵の目に見せつけて来たのであった。
(近々と来つるものかな!)
と、妻女山でも、今朝は、朝雲の断《き》れ間《ま》に洩る陽に、それを発見するなり、眼をみはり、小手をかざしているにちがいない。
俄然、甲軍のこの物々しい意志表示に対して、今のところまだ妻女山そのものは、朝霧の中にぼうとつつまれて、夜来の陣営はいと物静かに、殆ど眼醒めているような気《け》はいすら望見できなかった。
しかも、そこと、こちら側との、距離はといえば、実に近い。
ここら辺り川幅は広いが、千曲の一水を渡れば、すぐ向うの岸は、妻女山の裾といってもよい。
それと——
やがて陽の高くなって来る程、両軍の距離感は縮められて来る。甲軍の旌旗を煙らしていた朝霧も、妻女山の黄葉《こうよう》や緑や紅葉《もみじ》をぼかしていた白い霧も、次第に霽《は》れあがって、お互いの位置から、お互いの哨兵のうごきや繋《つな》ぎ馬の影などが、眺め合えるくらいにまで大気が澄んで来たからである。
この日も、帷幕《いばく》のうちの信玄は、殆ど、床几に懸りきったまま、敵の妻女山を前に、終日黙想していた。
「……?」
彼がきのうから抱き通している疑問はなお解決せぬ面持である。すなわち妻女山にある敵将謙信の心だ、その意志だ、またその変であり、信念である。
「彼、そも、如何なる鬼謀神算があって、かかる無謀、かかる妄挙《もうきよ》、かかる不敵を、われに示すか」
と、怪訝《いぶか》っている信玄であった。
鳥刺《とりさし》のもちに絡《から》められた鳥のように、彼の心労はなお《もが》かざるを得ない。床几にかまえて、こう泰然とはしているものの、その実、きのう以来、彼の出した幾つかの指令によって、この本陣から別れ去った分隊は、敵の東北へ迂回して、屋代《やしろ》近傍に出たり、北国街道との連絡路を遮断《しやだん》してみたり、更に、上杉方が唯一の助け城と恃《たの》んでいる長野村近傍の小柴にある旭城の味方とのあいだを、真二つに断ち切るような勢いを示して、こう布陣を押出して見せているのに——抑《そもそも》、戦う意志は無いのか、妻女山の無表情は、依然として、きのうも今日も、無表情のままなのである。
いざと、白刃の真剣勝負を約して、起ち上がってみると、相手は何の身がまえもせず、こちらの剣の鍔下《つばした》まで、ただ歩き込んで来たともいえるような——上杉謙信の態度といえる。
それが、白痴か、戦さ下手《べ た》な男とでもいうなら、信玄の心労はなかったろう。およそ、戦場において、信玄をよく知る者は信玄の帷幕《いばく》にある者より謙信であった。同時に、謙信の面目《めんもく》を知っている者も、謙信の左右にいる者以上、信玄が詳しかった。
疾《ト》キコト風ノ如ク
徐《シズ》カナルコト林ノ如シ
自ら掲げて自己の面目としている例の一丈八尺の大軍旗の文字は、信玄の頭上にはためいて、しきりと何事か、暗示しているかのよう思われた。——けれども彼の心は決して、幽林の如く寂《しずか》ではなかった。