使者迎えは、近衆の和田喜兵衛であった。陣幕の外に佇《たたず》んで、これへ来る敵方の使者を待ちうけていた。
「……ああ、静かな」
鬼小島弥太郎やそのほかの者に導かれて、これまで来た使者の伝右衛門は、思わず足を止めて、そこらの木々の梢《こずえ》や禽《とり》の声など、振仰いだ。
そして、心ひそかに、
(血臭い身装《みなり》を改めて来てよかった)
と思った。殺伐な風采で、いきり立って来たりなどしたら、それだけ物笑いにされたろうと思った。
それほど、辺りのたたずまいは、ひそやかであった。甲冑の影や剣槍の光は見えても、決して、一人の使客を恫喝《どうかつ》しているものではなかった。虚勢らしい物々しさなども感じられない。
しかも、百坪ほどな幕囲いの周《まわ》りは、きれいに箒目さえ立っていた。まるで隠者《いんじや》の棲《す》む山中の閑居にも似ている。きれいに掃かれた土の上には松落葉がこぼれていた。
ここに謙信が陣したのは十六日頃、そしてきょうは二十八日だった。そのあいだには、雨も降り風も吹いた。従って雨露を凌《しの》ぐに足るほどな仮屋の屋根も囲いのうちには見える、杉皮、檜皮などでそれを葺《ふ》いてあった。
「お使者どの。では、われらはここで退がり申す。あとは使者迎えの御案内について参られい。すぐそれに見ゆるが、謙信公のお在《い》であるお座所でござれば」
弥太郎たちは、役継ぎを済ませると、麓のほうへ降りて行った。——当然、伝右衛門の身は、和田喜兵衛の手にうつり喜兵衛は彼を導いて、幕露地《まくろじ》のあいだを幾筋となく曲って行った。
「お控えを」
と、促《うなが》されて、使者の伝右衛門は、いよいよ眼のまえの薄い布一重の向うに謙信が居ることを知った。
与えられた楯《たて》の上に、彼はしずかに坐った。楯は陣中の敷物であり、座を取る場合は武者坐りであった。いわゆる胡坐《あぐら》を組むのである。
「…………」
正視している目の前の幕が音もなく取払われた。同時に伝右衛門は頭《かしら》を下げた。そして謙信の声を聞くとともにその面《おもて》を上げていた。
「武田家の臣、初鹿野伝右衛門であるか。先頃より対陣のまま、まだ一戦も交えぬに、折入っての使い、そも何事をこの謙信に齎《もたら》そうというのか。機山大居士《だいこじ》が託し向けられた旨、早速に承ろう」
謙信のことばであった。
伝右衛門はそこでもう一度、はっと頭《かしら》を下げ直した。答えは何もあわてるには及ばない。そう自分へいい聞かせながら、幾つかの呼吸を腹の下に調える間に、彼は篤と目を凝《こら》して、初めて仰ぐ不識庵《ふしきあん》謙信なる人の人がらをその眼の点に烙《や》きこんだ。