三
小《こ》太刀《だち》をとっては、伊那丸《いなまる》はふしぎな天才児である。木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》も戒刀の名人、しかも隠形《おんぎよう》の術からえた身のかるさも、そなえている。
けれど、伊那丸も龍太郎も、けっして、匹夫《ひつぷ》の勇《ゆう》にはやる者ではない。どんな場合にも、うろたえないだけの修養はある。——だのに、なぜ、こんな無謀《むぼう》をあえてしたろう? 白刃林立のなかへ、肉体をなげこめば、たちまち剣のさきに、メチャメチャに刺《さ》されてしまうのは、あまりにも知れきった結果だのに。
しかし、ひとたび人間が、信念に身をかためてむかう時は、刀刃《とうじん》も折れ、どんな悪鬼《あつき》も羅刹《らせつ》も、かならず退《しりぞ》けうるという教えもある。ふたりがふりかぶった太刀は、まさに信念の一刀だ。とびおりた五尺の体《からだ》もまた、信念の鎖《くさり》帷子《かたびら》をきこんでいるのだった。
「わッ」
とさけんだ下の武士たちは、ふいにふたりが、頭上へ飛びおりてきたいきおいにひるんで、思わず、サッとそこを開いてしまった。
どんと、ふたりのからだが下へつくやいな、いちじに、乱刀の波がどッと斬りつけていったが、
「退《すさ》れッ」
と、龍太郎の手からふりだされた戒刀《かいとう》の切《き》ッ先《さき》に、乱れたつ足もと。それを目がけて伊那丸《いなまる》の小太刀も、飛箭《ひせん》のごとく突き進んだ。たちまち火花、たちまち剣《つるぎ》の音、斬りおられた槍《やり》は宙《ちゆう》にとび、太刀さきに当ったものは、無残なうめきをあげて、たおれた。
「退《ひ》けッ! だめだ」
と城の塀《へい》にせばめられて、人数の多い城兵は、かえって自由を欠《か》いた。武士たちは、ふたたび、見ぎたなく逃げ出した。龍太郎《りゆうたろう》と伊那丸は、血刀をふって、追いちらしたうえ、昼間《ひるま》のうちに、見ておいた本丸をめがけて、かけこんでいった。
家康《いえやす》にちかづいて、武田《たけだ》一門の思いを知らそうと思ったことは破れたが、せめて一太刀でも、かれにあびせかけなければ——浜松城の奥ふかくまではいってきたかいがない。めざすは本丸!
あいてはひとり!
と、ほかの雑兵《ぞうひよう》には目もくれないで、まっしぐらに、武者走り(城壁《じようへき》の細道《ほそみち》)をかけぬけた。