二
ふいに自鳴鉦《じめいしよう》を聞いた轟《とどろき》又八は、青筋《あおすじ》をかんかんに立てて立腹した。
「こっちで攻めだす用意をしているのに、どこまでもおれに楯《たて》をつくふつごうな丹羽昌仙《にわしようせん》。軍師《ぐんし》といえどもゆるしておいてはくせになる」
恐ろしい血相《けつそう》で、望楼の登り口へかけよってくると、出合《であ》いがしらに、上からゆうゆうと昌仙がおりてきた。
「おお、轟、籠城《ろうじよう》の用意は手ぬかりなかろうな」
「だまれ。いつ頭領《かしら》から籠城の用意をしろとおふれがでた。しかも、夜が明けしだいに、裾野《すその》へ討ってでるしたくのさいちゅうだわ」
「ならぬ! 呂宋兵衛《るそんべえ》さまから軍配《ぐんばい》を預っている、この昌仙がさようなことはゆるさぬ。七つの門は一寸たりともあけることまかりならんぞ」
「めくら軍師ッ。かしらの呂宋兵衛さまも帰らぬうち、洞門《どうもん》を閉《し》めてしまってどうする気だ」
「いまにみよ、祈祷《きとう》にでたものはちりぢりばらばら、呂宋兵衛《るそんべえ》さまも手傷《てきず》をうけて命《いのち》からがら立ちかえってくるであろうわ」
「ばかばかしい! そんなことがあってたまるものか」
と又八が大口《おおぐち》をあいてあざわらっていると、折もおりだ。祈祷の列に加わっていった足助主水正《あすけもんどのしよう》と佐分利《さぶり》五郎次などが、さんばら髪に、血汐《ちしお》をあびて逃げかえってきた。
「やア、その姿は——?」
今もいまとて、強情《ごうじよう》をはっていた轟又八、目をみはってこうさけぶと、裾野《すその》から逃げかえってきた者どもは声をあわせて、
「一大事、一大事。まんまと敵の計略におちいって、頭領《かしら》のご生死もわからぬような総くずれ——」
つづいて逃げてきた手下の口から、
「伊那丸《いなまる》じしんが先手《せんて》となり、小幡民部《こばたみんぶ》が軍師《ぐんし》となって、もうすぐここへ攻めよせてくるけはい」
と報告された。さらにあいだも待たず、
「あやしいやつが二、三十人ばかり、嶮岨《けんそ》をよじ登って、人穴《ひとあな》の裏《うら》へまわったようす」
「前面の雨《あま》ケ岳《たけ》にも、軍兵《ぐんぴよう》の声がきこえてきた。水門口のそとでも、鬨《とき》の声があがった——」
一刻一刻と、矢のような注進。
そのごうごうたるさわぎのなかへ、風に乗ってきたごとく、こつぜんと走りかえってきた和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》は、一同にすがたを見せるよりはやく、
「なにをうろたえまわっているかッ、洞門《どうもん》をまもれ、水門へ人数をくばれ、バカッ、バカッ、バカッ」
八方《はつぽう》へ狂気のごとくどなりつけた。そのくせ、かれじしんからして衣《ころも》はさかれ目は血ばしり、おもては青味《あおみ》をおびて、よほど度を失っているのだからおかしい。
昌仙《しようせん》は、それ見ろ、といわんばかり、
「おさわぎなさるな、頭領《かしら》。大方《おおかた》こんなこととぞんじて、すでに手配《てはい》はいたしておきました」
「おお軍師《ぐんし》。こののちはかならず御身《おんみ》のことばにそむくまい。どうか寄手《よせて》のやつらを防ぎやぶってくれ」
「ご安堵《あんど》あれ、北条流《ほうじようりゆう》の蘊奥《うんおう》をきわめた丹羽昌仙《にわしようせん》が、ここにあるからは、なんの、伊那丸《いなまる》ごときにこの人穴《ひとあな》を一歩も踏《ふ》ませることではござらぬ」
轟《とどろき》又八は、いつのまにか、こそこそと雑兵《ぞうひよう》のなかへ姿をかくしてしまった。