一
早足《はやあし》の燕作《えんさく》と可児才蔵《かにさいぞう》は、蚕婆《かいこばばあ》より一足《ひとあし》先に抜け穴《あな》へはいったので、すぐあとにおこった異変もなにも知らず、ただひた走りに、地下三十三町の間道《かんどう》を人穴城《ひとあなじよう》へいそいでいく。
目というものがあっても、ここでは、目がなんの役にも立たない暗黒界、けれど、足もとは坦々《たんたん》とたいらであるし、両側は岩壁《いわかべ》の横道なし。——いくら盲《めくら》めっぽうに進んでも、けっして、迷《まよ》う気づかいはないと、燕作はいつもの早足ぐせで、才蔵よりまえにタッタとかけていったが、やがてのこと、
「ホイ! しまったり!」
目から火でもだしたような声で、勢いよく四《よつ》ンばいにつんのめった。あとからきた才蔵も、あやうくその上へ折りかさなるところを踏《ふ》みとどまって、
「どうした燕作」と声をかける。
「オオ、痛《いて》え! 才蔵さま、どうやらここは行止まりのようです」
「どんづまりにはちと早い、あわてずによくさぐってみい……おおこりゃ石段ではないか」
「え、石段?」
「人穴城《ひとあなじよう》は、裾野《すその》より高地となるから、この間道が、しぜんのぼりになるのは、はや近づいた証拠《しようこ》といえる」
才蔵がのぼっていく尾について、燕作も石段の数をふんでいく……と道はふたたび平地《ひらち》の坂となり、それをあくまで進みきると、こんどこそほんとうのゆきづまり、手探《てさぐ》りにも知れる鉄《くろがね》の扉《とびら》が、ゆく手の先をふさいでいた。
「燕作《えんさく》燕作、殿堂の間道門《かんどうもん》は、すなわちこれであろう。なんとかして、なかの者にあいずをするくふうはないか」
「とにかく、どなってみましょう」
と燕作は鉄門の前に立って、器量《きりよう》いっぱいな大声。
「やアやア搦手《からめて》がたの兄弟、丹羽昌仙《にわしようせん》さまの密書をもって、安土城《あづちじよう》へ使いした早足《はやあし》の燕作《えんさく》が、ただいま立ちかえったのだ。開門! 開門」
鉄壁《てつぺき》をたたいて呼ばわッたとたん、頭の上からパッとさしてきた龕燈《がんどう》のひかり、と見れば、高いのぞき窓《まど》から首を集めて、がやがや見おろしている七、八人の手下どもの顔がある。
「おお、いかにも、燕作にちがいないらしいが、あとのひとりは人穴城《ひとあなじよう》で見たこともないやつ、軍師《ぐんし》さまの厳命《げんめい》ゆえ、さような者は、ここ一寸《いつすん》も、とおすことまかりならん。開門ならん」
「ヤイヤイ、しつれいをもうしあげるな」
と、燕作はまばゆい光をあおむいて、
「鳥刺《とりさ》し姿に身を|やつ《ヽヽ》しておいでなさるが、このお方こそ、秀吉公《ひでよしこう》の帷幕《いばく》の人、福島《ふくしま》さまのご家臣で、音にきこえた可児才蔵《かにさいぞう》とおっしゃる勇士だ。うたがわしく思うなら、とッとと軍師《ぐんし》さまのお耳に入れてくるがいい」
「なんだ、福島正則《ふくしままさのり》さまのご家来だと?」
おどろいた手下どもは、すぐことの由《よし》を、丹羽昌仙《にわしようせん》へ告《つ》げにいった。昌仙は、燕作《えんさく》の吉報《きつぽう》をまちかねていたところなので、すぐさま、大将|呂宋兵衛《るそんべえ》とともに、間道門《かんどうもん》のてまえまで、秀吉《ひでよし》の使者を出むこうべくあらわれた。
しばらくすると、鉄の閂《かんぬき》をはずす音がして、明暗の境をなすおもい扉《とびら》が、ギ、ギ、ギイ……と一、二寸ずつ開《ひら》いてきたので、暗黒のなかに立っていた才蔵と燕作のすがたへ、一|道《どう》の光線が水のごとくそそぎ流れた。
「はるばるお越しくだされた可児才蔵《かにさいぞう》さま、いざお入りくだされい」
内よりおごそかな声があって、門扉《もんぴ》は八文字《はちもんじ》にひらかれた。——と、ほとんど同時である。またも間道《かんどう》のあなたから、疾風《しつぷう》のように走ってきた人間がある! すでに才蔵と燕作がなかへはいって、ふたたびギーッと門が閉《し》まろうとするところへ、あわただしくきて、
「大へんだ! わたしを入《い》れて、はやくあとを閉《し》めておくれよ」
ころぶようにたおれこんだ蚕婆《かいこばばあ》、いつもの|し太《ヽぶと》さに似ず、いきた色もしていない。
「おお裾野《すその》の見付婆《みつけばばあ》、大へんとはなんだなんだ」
一せいに色めきたつ人々を見まわして、蚕婆は歯をむきだして、がなッた。
「なんだもかんだも、あるもんか、はやくはやく、さきに門を閉《し》めなきゃ大へんだ、いまわたしのあとから忍剣《にんけん》と小文治《こぶんじ》というやつが追っかけてくる!」
「えッ、伊那丸《いなまる》の旗本《はたもと》がおいかけてくるッて? それは、ここへか、こっちへか?」
「くどいことはいっておられないよ、あれ、あの足音がそうだ! あの足音だ!」
「それッ、かたがた、はやく門をとじて厳重《げんじゆう》にかためてしまえ」
「やア、もうそこへ姿がみえた」
「閂《かんぬき》はどうした!」
「くさりをかせ! 鎖《くさり》を!」
「わーッ、わーッ」
——ととつぜん、暴風にそなえるように、うろたえた手下どもは、扉《とびら》へ手をかけて、ドーンという響《ひび》きとともに、間道門《かんどうもん》を閉《し》めてしまった。
「むねんッ」
と、その下にふたりの声。ああ、たった一足《ひとあし》ちがい——
蚕婆《かいこばばあ》を追いつめて、人穴城《ひとあなじよう》のかくし道をきわめてきた忍剣と小文治は、いでや、このまま城内へ斬って入《い》ろうと勢いこんできたところを、内からかたく閉《し》められてじだんだ踏《ふ》んだ。
「卑怯《ひきよう》なやつら、臆病《おくびよう》ぞろいよ! わずかふたりの敵をむかえることができぬのか、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》の下ッぱには男らしいやつは一ぴきもいないのか、くやしければ、開《あ》けろ、開けろッ!」
さんざんにいいののしったが、こッちでののしれば、内でもののしり返すばかり、果てしがないので、
「えい、めんどうだッ」
手馴《てな》れの禅杖《ぜんじよう》を、ふりかまえた加賀見忍剣《かがみにんけん》、どうじに巽小文治《たつみこぶんじ》も、
「よし、拙者《せつしや》は、あれからとびこんでゆく」
と、槍《やり》を立てかけて、足がかりとなし、十数尺上ののぞき口へ、無二無三にとびつこうとこころみた。
グワーン!
たちまち、雷火をしかけたように、鉄門をとどろかした忍剣《にんけん》の第一撃! この鉄の扉《とびら》が破れるか、この禅杖《ぜんじよう》が折れるかとばかり。
つづいて、第二、第三撃!
間道門《かんどうもん》のなかでは、呂宋兵衛《るそんべえ》をはじめ丹羽昌仙《にわしようせん》、轟《とどろき》又八、そのほか燕作《えんさく》も蚕婆《かいこばばあ》もおおくの手下どもも、思わず胆《きも》をひやして、ただ、あれよあれよとおどろき見ているまに、さしもの鉄壁も、飴《あめ》のようにゆがんでくる。
すわこそ、人穴城《ひとあなじよう》の一大事となった。
呂宋兵衛はまッさおになった。
手下どもも、見えぬ敵の恐怖《きようふ》におそわれた。こんな猛者《もさ》に、ふたりもおどりこまれた日には、よしや、城内に二千の野武士《のぶし》はあるとも、どれほど死人|手負《てお》いの山をきずかれるか、さいげんの知れたものではないと思った。
「なにを気を呑《の》まれているか! 意気地《いくじ》なしめ!」
ふいに、そのなかで、思いだしたようにどなったのは轟《とどろき》又八。
「すこしもはやく、水道門の堰《せき》をきって、間道《かんどう》のなかへ濁水《だくすい》をそそぎこめ、さすれば、いかなる天魔鬼神《てんまきじん》であろうと、なかのふたりが溺《おぼ》れ死ぬのはとうぜん、しかも、味方にひとりの怪我人《けがにん》もなくてすむわ」
あっぱれ名案と、誇《ほこ》りがましく命令すると、手下どもが、おうと答えるよりはやく、
「いや、そりゃ断じていかん」
はげしく異議《いぎ》を申したてた者は、軍師《ぐんし》丹羽昌仙《にわしようせん》であった。かれとは、つねに犬と猿《さる》の仲みたいな轟又八、すぐ眉《まゆ》をピリッとさせて、
「こういうときの用意のため、いつでも水道門の堰さえきれば、間道はおろか裾野《すその》一円、満々と出水《でみず》になるようしかけておいた計略ではないか。軍師《ぐんし》には、なんでお止《と》めなさる」
「おろかなことをお問いめさるな、それ、溺兵《できへい》の計りごとは、一城の危急存亡にかかわるさいごの手段、わずかふたりの敵をころすために、なんでそれほどの費《つい》えをなそうや」
「心得ぬ軍師《ぐんし》のいい条《じよう》、では、みすみす間道門《かんどうもん》をやぶられて、ここにおおくの手負《てお》いをだすとも、大事ないといいはらるるか」
「なんで昌仙《しようせん》が、それまで手をつかねて見ていようぞ、拙者《せつしや》にはべつな一計があること、又八どのは、それにてゆるりとご見物あるがよい。やあ者ども、この鉄門の前へ焼草《やきくさ》をつみあげい」
たちまち、山と積まれた枯草《かれくさ》の束《たば》。はこばれてくる獣油《じゆうゆ》の瓶《かめ》、かつぎだされた数百本の松明《たいまつ》。
洞門《どうもん》のなかでは、それとも知らず、必死にあえぐ忍剣《にんけん》と小文治《こぶんじ》のかげ。と——いきなり、バラバラバラ、バラバラッ! と上ののぞき口から投げこんできた枯草のたば! つづいて焔《ほのお》のついた松明《たいまつ》、獣油《じゆうゆ》の雨、火はたちまちパッと枯草についた。いや、ふたりの袖《そで》や裾《すそ》にもついた。
火は消しもする、はらいもする、が、もうもうと間道《かんどう》のなかへこもりだした煙はおえぬ。しかも異臭《いしゆう》をふくんだ獣油の黒煙が、でどころがなく、渦《うず》をまいてふたりをつつんだ。
目からはしぶい涙がでる。鼻腔《びこう》はつきさされるよう、咽《のど》はかわいて声さえでぬ。……そこにしばらくもがいていれば煙にまかれて窒息《ちつそく》はとうぜんだ。ふたりは歯ぎしりをしながら、煙におしだされて、しだいしだいにあともどりした——といっても、充満《じゆうまん》している煙の底をはいながら……
間道の半ば過ぎまで引っかえしてきたころ、ふたりは、やっとどうやらうす目をあいて、たがいにことばをかわせるようになった。
「や、小文治《こぶんじ》どの、どうやらここは、先刻《せんこく》すすんでいった間道《かんどう》とはちがうようではないか」
「拙者《せつしや》もすこし変に思ってはいるが、たしかいきがけには、ほかに横穴はないように心得ていた」
「しかし、このように両側のせまい穴ではなかったはず……はてな? こりゃちとおかしい……」
「忍剣《にんけん》どの、また煙の渦《うず》がながれてきた。とにかく、もどるところまでもどってみよう」
「せっかく、人穴城《ひとあなじよう》の根もとまで押しよせたに、煙攻めの策《さく》にかかって引ッ返すとは無念|千万《せんばん》……ああまたまっ黒に包んできおった」
「ちぇッ、いまいましいが、もうここにもぐずぐずしておれぬわ」
さすがの勇士も、煙の魔軍には勝つ術《すべ》がなかった。息づまる苦しさと、目にしむ涙《なみだ》をこらえながら、いっさんにその穴《あな》を走りもどった。
からくも、前にはいった床下《ゆかした》へきた。まさしく、蚕婆《かいこばばあ》の家の下にちがいない。とちゅうの道がちがっているように思えたのも、さすれば、煙のための錯覚《さつかく》であったかもしれない。
「こりゃ部下の者、この板を退《の》けて、綱《つな》をおろせ、早く早く!」
と小文治《こぶんじ》が、槍《やり》の石突《いしづ》きを上へむけて、蓋《ふた》の板を下からポンポンと突きあげた。
すると、入口に待ちかねていた部下の者であろう、板をはがして、二本の綱《つな》を無言のまま下へたれてきた。それを力に、忍剣《にんけん》と小文治《こぶんじ》は、ひらりと上へとびあがる!
——あがったところはまッ暗であった。
だれかが、カチカチ……と火打石《ひうちいし》を磨《す》っている。部下は二十人ばかり、ここへ置いていったのに、イヤにあたりが静かである。
カチッ、カチッ、カチッ……火打石はなかなかにつかない……
「たわけ者め!」
忍剣は、部下の不用意を叱《しか》りつけた。じぶんたちがいない間《ま》に、あるいは、軍律を破って、夜半《よわ》の眠りをむさぼっていたのではないかとさえうたぐった。
「なぜ、かがり火を焚《た》いておらぬ、この暗さで、いざことある場合になんといたす。不埒者《ふらちもの》めが、はやく灯《ひ》をつけい!」
「はい、ただいますぐに明るくいたします」
と答える者があったが、すこし声音《こわね》がへんである。調子がおかしい。
小文治は、部下の者のなかにこんなしわがれた声はなかったはずと思って、きッとなりながら、
「何者だッ、そこにいるのは!」
と、声あらく、どなりつけてみた。
にもかかわらず、相手は平気で、まだカチカチと闇《やみ》のなかで、火打石を磨っている。
「名を申さんと突きころすぞッ、敵か、味方か!」
ピラリッ——朱柄《あかえ》の槍《やり》の穂先《ほさき》がうごいて、闇《やみ》のなかにねらいすまされた。と、その槍先から、ポーッとうす明るい灯《ひ》がともった。
「わしは敵でもなければ味方でもない。そうもうすおまえがたこそ、深夜に床下《ゆかした》から忍《しの》びこんできて、ひとの家へなにしにきた!」
「やや、ここは蚕婆《かいこばばあ》の家ではなかったのか——」
忍剣《にんけん》も小文治《こぶんじ》も、あまりのことにぼうぜんとしながら、そこに立ったひとりの人物を、そも何者かと、みつめなおした。
いまともした行燈《あんどん》を前にだして、しずかに席についたその男は、するどい両眼に片鼻《かたはな》のそげた顔をもち、熊《くま》の毛皮の胴服《どうふく》に、刻《きざ》み鞘《ざや》の小《こ》太刀《だち》を前挟《まえばさ》みとなし、どこかにすごみのあるすがたで、
「あははははは、床下《ゆかした》から戸まどいしてござったのは、さてこそ、伊那丸《いなまる》が幕下《ばつか》のおかたでござるな。なんにせよ、深夜の珍客どの、お話もござりますゆえ、まずそれへおすわりください」
いう声|がら《ヽヽ》、容貌《ようぼう》も、それは、まぎれもあらぬ鏃鍛冶《やじりかじ》の鼻|かけ《ヽヽ》卜斎《ぼくさい》。