[書き下し文]宰予(さいよ)、昼寝(ひるい)ぬ。子曰く、朽木(きゅうぼく)は彫るべからず、糞土(ふんど)の牆(かき)は朽(ぬ)るべからず。予に於(お)いてか何ぞ誅(せ)めん。子曰く、始め吾、人に於けるや、その言を聴きてその行(こう)を信ぜり。今吾、人に於けるや、その言を聴きてその行を観る。予に於いてか是(これ)を改む。
[口語訳]宰予(さいよ)が(学問の途中で)昼寝をした。先生はいわれた。『ボロボロに朽ちた木には彫刻ができない。泥土のかきねに上塗りできない。宰予に対して何を叱ろうぞ。(叱っても無意味である。)』先生はいわれた。『以前は、私は人に対するのに、言葉を聞くだけでその行いまで信用した。今は、私は人に対するのに、言葉を聞くだけでなくその行動まで観察する。(怠惰な)予のことで考えを改めたのである。』
[解説]伝統的な礼を重んじた孔子と、実用的な礼を切り開こうとした宰予(宰我)は、途中から理論的な対立が激しくなっていったという。学問かあるいは仕事の途中につい居眠りしてしまった宰予を見咎めた孔子は、そういった礼制に対する考え方の相違もあって、宰予を厳しく糾弾し批判したとされる。孔子が古代からの礼制を連綿と墨守する「礼」の理想を掲げていたとすれば、宰予は古代からの礼制をより合理的で実用的なものへ段階的に変化させていくのが理想だと考えていた。