[書き下し文]哀公問う、弟子(ていし)孰か(たれか)学を好むと為す。孔子対えて(こたえて)曰く、顔回という者あり。学を好み怒りを遷さず、過ちを弐び(ふたたび)なさず。不幸、短命にして死せり、今や則ち亡し(なし)。未だ学を好む者を聞かざるなり。
[口語訳]哀公がお尋ねになった。『弟子の仲で誰が学問を好んでいるのか?』。孔子は答えて申し上げた。『顔回という者がいました。学問を好んで怒りの感情に振り回されることなく、同じ間違いも二度と繰り返したことはありません。しかし、不幸にも短命にして死んでしまい、もうこの世にはいません。(私はそれ以降)まだ、学問を本当に好きな者を聞いたことがございません』。
[解説]論語『先進篇』では、若くして死んだ顔回に対する孔子の深い苦悩や悲哀が描かれている。顔回とは孔子がもっとも将来に期待していた愛弟子であり、学問を誰よりも深く愛しており、孔子の弟子達の中で抜群の学識と理解力を誇っていた。孔子は顔回の夭折を聞いて、『この優れた人物にして、こういった悲劇的な運命があるのか』と深く嘆き悲しんだというが、初期の儒教教団において非常に重要な位置づけを持っていた人物と考えられる。