[書き下し文]季康子(きこうし)問う、仲由(ちゅうゆう)は政に従わしむべきか。子曰く、由や可なり、政に従うに於いて何かあらん。曰く、賜(し)は政に従わしむべきか。子曰く、賜や達(たつ)なり、政に従うに於いて何かあらん。曰く、求(きゅう)は政に従わしむべきか。子曰く、求や芸あり、政に従うに於いて何かあらん。
[口語訳]季康子がお聞きになられた。『子路は政治に用いることができるだろうか?』。先生がおっしゃった。『子路は決断力に優れており、政治を行わせるのに何の問題がありましょう』。季康子がお聞きになられた。『子貢は政治に用いることができるだろうか?』。先生がおっしゃった。『子貢は計画力に優れており、政治を行わせるのに何の問題がありましょう』。季康子がお聞きになられた。『冉有は政治に用いることができるだろうか?』。先生がおっしゃった。『冉有は政治的な技芸に優れており、政治を行わせるのに何の問題がありましょう』。
[解説]魯に帰国した晩年の孔子と魯の有力貴族である若い季康子との対話であり、『弟子の為政者としての適性・能力』について問われた孔子が、自慢の弟子たちの長所を述べた部分である。季康子は既に「冉有」を地頭(地方官)に任命していたが、孔子は自分の門下には冉有に負けず劣らずの優秀な弟子がいることを話したのである。果断な行動力と決断力を持つ「子路」は、孔子がもっとも深く愛した弟子の一人であり、学識抜群の英才として知られた「子貢」も孔子の大きな期待を寄せられていた。