[書き下し文]子曰く、与(とも)に共に学ぶべし、未だ与に道に適く(ゆく)べからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべきも未だ与に権る(はかる)べからず。唐棣(とうてい)の華、偏(へん)としてそれ反せり、豈(あに)爾(なんじ)を思わざらんや、室(しつ)これ遠ければなり。子曰く、未だこれを思わざるなり、それ何の遠きことかこれあらん。
[口語訳]先生が言われた。『一緒に同じ学問をしても、一緒に同じ道を行くことができない。一緒に同じ道を行くことができても、一緒に同じ境地に立つことができない。一緒に同じ境地に立つことができても、一緒に同じ目的や利益を求めることができない。当世の詩に「唐棣(とうてい)の華、風にゆらゆらと揺れ、飛び立たんばかりの趣き、主人の居室の遠いことよ」というのがある。』。先生はおっしゃった。『それは、まだ主人を本気で思っているわけではないからだ。もし本気で思っていれば家の遠さなどが何の問題になるだろうか?いや、何の問題にもならない。』
[解説]朋友と一緒に学問をして同じ道を進むことはまだ簡単なことである。更に、同じ精神的な境地に一緒に立とうとすれば困難が生じ、同じ利害を求めて行動しようとすれば朋友と衝突しやすくなってしまう。しかし、孔子はこの朋友の間に起こる利害の対立や葛藤を、『詩歌の中の恋心』になぞらえて、『本当に朋友のことを信じて思っているのであれば』そういった対立(不仲)の問題を解決できるであろうと説いている。