[書き下し文]孔子、郷党に於いては恂恂如(じゅんじゅんじょ)たり。言う能わざる者に似たり。その宗廟・朝廷に在りては便便(べんべん)として言い、唯(ただ)謹めり。
[口語訳]孔子は、郷里では物静かで余り話を上手くしなかった。まるでしゃべることが出来ない者のようであった。しかし、先祖の霊廟(お墓)や政治を行う朝廷では、流暢に雄弁に語ることができ、謹厳で真面目な態度を崩さなかった。
[解説]孔子は巧言令色を嫌った為、活発に持論を展開する必要のない故郷の居宅では、その弁舌や言論の力を敢えて発揮しなかった。その為、孔子の地元の人々は、孔子が弁論が苦手で引っ込み思案な性格なのではないかと思い込んでしまったほどである。しかし、弁論の才覚や言論の実力を見せなければならない政治の場(朝廷)や祭礼の場(宗廟)では、何ら臆することなく堂々と流暢に自分の意見や礼節を語ったのである。