[書き下し文]季子然(きしぜん)問う、仲由と冉求とは大臣と謂うべきか。子曰く、吾子を以て異なるをこれ問うと為せり。曾ち(すなわち)由と求とをこれ問えるか。所謂大臣なる者は道を以て君に事え(つかえ)、不可なれば則ち止む(やむ)。今、由と求とは具臣(ぐしん)と謂うべし。曰く、然らば則ちこれに従う者か。子曰く、父と君とを弑せんとすれば亦従わざるべし。
[口語訳]季子然が質問した。『季氏に仕えている子路と冉求とは、大臣といえる者たちでしょうか。』。先生は答えられた。『私はもっとあなたが変わった問いかけをすると思っていましたが、子路と冉求について質問されるのですか。いわゆる大臣という者は、道に従って君に仕え、君が道から外れれば諫止して、その意見が聞かれなければ辞職するものです。今、子路と冉求は、形式的な数をそろえた臣下と言えるでしょう。』。季子が言われた。『それならば、この二人は季氏の命令に何でも従うのでしょうか。』。先生がおっしゃった。『しかし、父親と君主とを殺害するように命じても、その(人倫に違背した)命令に従うことはないでしょう。』。
[解説]季氏は、(孔子の門下でもある)子路と冉求という有能な君子を家臣にしていたが、孔子は君主を蔑ろにする季氏の専横を快く思っていなかったので、子路と冉求についてやや厳しめの評価を下している。