[書き下し文]司馬牛、憂えて曰く、人は皆兄弟(けいてい)有れども、我独り亡し(なし)。子夏曰く、商これを聞けり、死生、命あり、富貴、天に在り。君子敬みて(つつしみて)失なく、人と与わり(まじわり)恭しくして礼あらば、四海の内皆兄弟たらん。君子何ぞ兄弟なきを患えん(うれえん)。
[口語訳]司馬牛は憂鬱な雰囲気で言った。『人間にはみんな兄弟がいるというのに、私だけはただ一人だ。』。子夏が言った。『私は死生の別も運命であり、富み栄えるのも天命であるという言い伝えを聞いている。君子が慎み深い態度をとって間違いを行わず、人と親切に交流して礼を失わなければ、世界のすべての人々がみな兄弟になるだろう。君子であるものがどうして兄弟がないというくらいのことを心配するだろうか。』。
[解説]司馬牛の兄の司馬タイは、宋の景公に反乱を企てたり孔子を襲撃したりするなど道徳的に好ましくない人物であり、宋から追放されて衛に亡命した時に司馬牛と司馬タイの兄弟の縁は絶縁状態になっていたとも言われる。血縁関係にある大切な兄弟を失った司馬牛が悲嘆に暮れていたところ、同じ儒教教団の門下である子夏が来て『徳は孤ならず』の同志愛の精神を説き、兄弟がいないくらいのことを憂う必要はないと励ましたのである。『君子敬みて(つつしみて)失なく、人と与わり(まじわり)恭しくして礼あらば、四海の内皆兄弟たらん』の部分は、人徳によって膨大な数の民衆の支持を結集して安定的に国家を統治するという、儒教の徳治政治の理想につながる部分でもある。