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梁惠王章句下(十六)

时间: 2017-03-26    进入日语论坛
核心提示:魯平公將出、嬖人臧倉者請曰、他日君出、則必命有司所之、今乘輿已駕矣、有司未知所之、敢請、公曰、將見孟子、曰、何哉、君所爲
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魯平公將出、嬖人臧倉者請曰、他日君出、則必命有司所之、今乘輿已駕矣、有司未知所之、敢請、公曰、將見孟子、曰、何哉、君所爲輕身以先於匹夫者、以爲賢乎、禮儀由賢者出、而孟子之後喪踰前喪、君無見焉、公曰、諾、樂正子入見曰、君奚爲不見孟軻也、曰、或告寡人曰、孟子之後喪踰前喪、是以不往見也、曰、何哉、君所謂踰者、前以士、後以大夫、前以三鼎而後以五鼎與、曰、否、謂棺椁衣衾之美也、曰、非所謂踰也、貧富不同也、樂正子見孟子曰、克告於君、君爲來見也、嬖人有臧倉者、沮君、君是以不果來也、曰、行或使之、止或尼之、行止非人所能也、吾之不遇魯候、天也、臧氏之子、焉能使予不遇哉。
 
魯の平公が出かけようとしていた。側近の臧倉(ぞうそう)という者が尋ねた。
臧倉「通常、殿がお出でになられるときには必ず家臣に行かれる所をお告げになられます。なのに今日は、すでにお車に乗っていらっしゃりながら、まだ家臣に外出先をお知らせになっておられません。僭越ながら、外出先をお教えいただけませんか。」
魯平公「うむ。孟子に会見に行く。」
臧倉「ええっ!なにものですか、殿が御身を軽軽しくされて、たかが一庶民に殿から先にお会いになられる孟子とは。まさか賢者とでもお思いになっておられるか。礼儀というものは賢者から由来します。それなのにあの孟子は、母親の葬儀の規模が父親よりも越えていました。(いきあたりばったり、かって気ままな人物で、筋がありません。)殿、会見なさってはなりません。」
魯平公「、、、そうだな。」
しばらくして、孟子の弟子の楽正子(がくせいし。魯公に仕えたようである。このときすでに仕えていたかは不明)が公に謁見しに入ってきて、言った。
楽正子「殿、どうして孟軻(もうか。孟子の本名。身内が他人に言うから、自分の師でも本名を呼び捨てにしている)に会見なさらないのですか。」
魯平公「ある者が小生に告げて、『孟子は、母親の葬儀の規模が父親よりも越えていた』と言ったのです。それで、気が変わって取りやめにしました。」
楽正子「ええっ!なにですか、殿のおっしゃる『越えていた』とは。父親は士(一般家臣)の礼で葬り、母親は大夫(上級家臣)の礼で葬ったからですか。父親は鼎(かなえ)のお供え三種類だったのが、母親はお供え五種類だったからですか。」
魯平公「いや。棺と死装束があまりにも立派過ぎたことです。」
楽正子「それならば越えたとは申せません。父親の時は金がなくて、母親の時は余裕があったからです。」
楽正子は戻って孟子に仔細を告げて言った。
楽正子「克(こく。楽正子の名)は魯公に先生のとりなしをいたしまして、魯公は出かけるところだったのですが、側近の臧倉なる輩がいて公のご来訪を阻止したもようです。」
孟子「そうか。だがな、行くも行かせるものがあり、止めるも止まらせるものがあるのだ。人が行き、人が止まるのは実は人のなすところではない。余が魯公に会見できなかったのは、天命なのだ。臧倉ごとき小者の力で、余が公に会うことを阻止できはしない。」
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