孟子は斉を去り、斉都近郊の昼(ちゅう)に宿泊していた。斉王の意を受けて孟子一行を引きとめようとする者があって、会見に及んだ。対座してその旨を孟子に告げた。孟子は何も応えず、肘掛けにもたれて横になったままだった。客はムッとして言った、
客「それがしがこうしてつつしんでお話し申し上げているのに、先生は寝たまま聴こうともなさらん!もうだめだ、二度とお会いしません!」
孟子「『坐れい。余が明らかに君に語ろう』(儒教の塾で、先生が弟子に教えを垂れる時の決り文句であると思われる)。昔魯の繆公(ぼくこう)は、子思(しし。孔子の孫で、孟子の直系の師)のそばに誰かしかるべき人をつけなければ、子思を引き止められるかどうかと心配でならなかった。また賢者の泄柳(せつりゅう)と申詳(しんしょう)は、繆公のそばに(子思のような)しかるべき人がいなければ、心配でならなかった。君は、この老体のために配慮するところたるや子思の時代の例に及ばない。今、君がこの老体を見捨てようとしているのか、それともこの老体が君を見捨てようとしているのか?」