頭の中将の、すずろなるそらごとを聞きて、いみじう言ひ落とし、「何しに人とほめけむ」など、殿上(てんじやう)にていみじうなむのたまふ、と聞くにも恥づかしけれど、まことならばこそあらめ、おのづから聞き直したまひてむと笑ひてあるに、黒戸の前など渡るにも、声などするをりは、そでをふたぎてつゆ見おこせず、いみじう憎みたまへば、ともかうも言はず、見も入れで過ぐすに、二月(きさらぎ)つごもりがた、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌みにこもりて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。物や言ひやらまし』となむのたまふ」と人々語れど、「よにあらじ」などいらへてあるに、日一日、下(しも)にゐ暮らして、参りたれば、夜のおとどに入らせたまひにけり。
長押(なげし)の下(しも)に火近く取り寄せて、さしつどひて扁(へん)をぞつく。「あなうれし。とくおはせ」など、見つけて言へど、すさまじきここちして、何しに上りつらむと覚ゆ。炭櫃(すびつ)のもとにゐたれば、そこにまたあまたゐて、物など言ふに、「なにがしさぶらふ」と、いとはなやかに言ふ。「あやし、いづれのまに、何事のあるぞ」と問はすれば、主殿司(とのもりづかさ)なりけり。「ただここもとに、人づてならで申すべきこと」など言へば、さしいでて問ふに、「これ、頭の殿の奉らせたまふ。御返りごととく」と言ふ。
(現代語訳)
頭の中将が、私についてのとりとめもないうわさを聞いて、私をひどくけなし、「どうして清少納言を人並みにほめたのだろう」などと、殿上の間でひどくおっしゃる、と聞くにつけ、恥ずかしいけれども、事実ならしようがないが、間違いなのだからそのうちきっと誤解を解かれるだろうと笑っていたが、頭の中将は黒戸の前などを通るときも、私の声がすれば、袖で顔を隠して少しもこちらを見ず、ひどく憎んでいらっしゃる。私は何も言わず、気にもしないで過ごしているうち、二月の末ごろ、ひどく雨が降って退屈なときに、頭の中将が御物忌みにこもっていて、「『やはり何だか物足りない。清少納言に何か言ってやろうか』とおっしゃっている」と人々が私に話すが、「そんなことはよもやないでしょう」などと答え、一日中自分の部屋にいて、夜になって中宮様の所に参上したところ、中宮様はもう御寝所にお入りになっていた。
女房たちは長押の下で燈火を近くに寄せて、寄り集まって扁つきをして遊んでいる。「まあ、うれしい。早くいらっしゃい」と、私を見つけて言ってくれるものの、中宮様がいらっしゃらないのでつまらない気持ちがして、何のために参上したのかと思ってしまう。それで、いろりのそばに座っていると、またそこに女房たちがたくさん座り込んできて、話などしていたら、「だれそれさんいますか」と、とてもはっきりした声がする。「変ねえ、いつの間に、何事でしょうか」と人に尋ねさせると、主殿司だった。「あなただけに直接申し上げたいことがあります」と言うので、出て尋ねると、これは頭の殿が差し上げるものです。お返事を早く」と言う。
(注)扁つき ・・・ 漢字の扁を示してつくりを付ける、またはその逆のことをする遊び。