すさまじこもの。昼ほゆる犬。春の網代(あじろ)。三、四月の紅梅の衣(きぬ)。牛死にたる牛飼ひ。児(ちご)亡くなりたる産屋(うぶや)。人おこさぬ炭櫃(すびつ)、地火炉(ぢくわろ)。博士(はかせ)のうち続き女子(をんなご)生ませたる。方違(かたたが)へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分(せちぶん)などはいとすさまじ。
人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをもさこそ思ふらめ、されどそれはゆかしきことどもをも、書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。人のもとにわざと清げに書きてやりつる文の、返り言いまはもて来ぬらむかし、あやしう遅き、と待つほどに、ありつる文、立て文をも結びたるをも、いと汚げにとりなし、ふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは、「御物忌みとて取り入れず」と言ひて持て帰りたる、いとわびしく、すさまじ。
また、かならず来べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、さななりと人々出でて見るに、車宿りにさらに引き入れて、轅(ながえ)ほうと打ち降ろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日はほかへおはしますとて、渡りたまはず」などうち言ひて、牛の限り引き出でて去ぬる。
また、家のうちなる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるも、いとあいなし。
(現代語訳)
興ざめなもの。昼間に吠える犬。春の網代。三、四月の紅梅かさねの衣。牛が死んでしまった牛飼い。赤ん坊が死んでしまった産屋。火を起こしていない角火鉢やいろり。博士が続いて女の子ばかり産ませた場合。方違えに行ったのに、もてなしをしない所。まして季節の変わり目などには、あらかじめ分かっているはずだから、まことに興ざめだ。
地方からよこした手紙で、贈り物を添えていないもの。京からのもそう思うかもしれないが、京からのは知りたいことなどをも書き集め、世間の出来事などをも知ることができるので、贈り物がなくてもすばらしいのだ。人のところにとくにきちんと書いて送った手紙で、そろそろ返事を持ってきているだろうか、妙に遅いな、と待つうちに、先だっての手紙を、それが正式な立て文にせよ略式の結び文にしろ、ひどく汚く扱い、けばだたせ、封じ目として上に引いてあった墨なども消え、「いらっしゃいませんでした」とか「御物忌みだといって受け取りません」と言って持ち帰るなどは、ほんとうに情けなく興ざめだ。
また、必ず来るはずの人の所に迎えの牛車をやって待っていると、牛車が来る音がするので、やって来たようだと人々が出てみると、牛飼いは車を止めず、そのうえ車庫に引き入れて、轅をばたんと下ろすので、「どうしたのか」と聞けば、「今日はよそへいらっしゃるというので、こちらへはおいでになりません」などと言い、牛だけ引き出して去ってしまうのは興ざめだ。
また、家の内に迎え、通ってきていた男性が来なくなってしまうのも、ひどく興ざめだ。しかるべき身分で、自分が宮仕えしているところの女性のもとに婿を取られ、気が引けているのも実におもしろくない。
(注)網代 ・・・ 冬に竹や木を編んで川の浅瀬に並べ、あゆの稚魚などを捕らえる仕掛け。
(注)紅梅の衣 ・・・ 11月から2月ごろに着る、襲(かさね)の表と裏の配色の一つ。
(注)地火炉 ・・・ いろり
(注)博士 ・・・ 大学寮などに属する教官。男子の世襲制だった。
(注)方違へ ・・・ 陰陽道で、外出する方角が悪い場合に、前夜に他の方角に向かって一泊し、あらためて目的地に向かうこと。
(注)轅 ・・・ 牛車の前方にある二本の長い棒。