思ふ人の人にほめられ、やむごとなき人などの、口惜しからぬ者におぼしのたまふ。もののをり、もしは、人と言ひかはしたる歌の聞こえて、打ち聞きなどに書き入れらるる。自らの上にはまだ知らぬことなれと、なほ思ひやるよ。
いたううち解けぬ人の言ひたる古き言(こと)の、知らぬを聞きいでたるもうれし。のちに物の中などにて見いでたるは、ただをかしう、これにこそありけれと、かの言ひたりし人ぞをかしき。
陸奥国(みちのくに)紙、ただのも、よき得たる。恥づかしき人の、歌の本末(もとすゑ)問ひたるに、ふと覚えたる、われながらうれし。常に覚えたることも、また人の問ふに、清う忘れてやみぬるをりぞ多かる。とみにて求むる物見いでたる。
(現代語訳)
思いを寄せている人が人にほめられたり、身分の高い人などが彼を感心な者だと思っておっしゃるとき。何かの折に、自分の歌や人と贈答した歌がよい評価を得て、覚え書きなどに書き入れられるとき。私自身はその経験はないが、さぞかしうれしいだろうと思う。
それほど懇意でない人が言った古い詩歌で、自分が知らないのを聞いて知ったときもうれしい。あとで書物の中などで見つけると、ただただおもしろく、ああ、この詩歌だったのだなと、それを言った人が興味深く立派に思われる。
陸奥国紙、またふつうの紙であっても、よいものを手に入れたとき。気後れするような立派な人が、歌の上の句や下の句を尋ね、すぐに思い出せたときは、我ながらうれしい。ふだん覚えていることも、あらたまって人が尋ねると、きれいに忘れてしまって思い出せないままになる場合が多いものだ。急な用で捜す物を見つけたときもうれしい。