行動にはその動機が原動力になります。動機が弱いと行動に迫力がないものです。心理学ではモチベーションといいます。
今の豊かな生活のなかでは、たいていのものは望む前に与えられていますから、我々はなかなかモチベーションを持ちにくい、こうしなければいけないという特に精神的な意味での動機を持ちにくいようです。学生においてはなおさらです。
学生などの場合は親元さえしっかりしていれば、何もしなくても4年間のんきに過ごせるわけです。実際何をするのでもなく、惰性で毎日を、どちらかといえば持て余している人も少なくありません。これは、何かをしなければならないという動機がないから何もしないということです。一般には食べるということが仕事や、生きることの強力なモチベーションです。食うために生きるということです。しかし、学生は自分で稼がなくても食べられるわけですから、それは動機になりません。将来の豊かな生活、名誉、権力、これらは、昔は勉学のモチベーションの最たるものでしたが、今は将来についてもなんとかなると皆思っていますし、名誉、権力というものの価値はすっかり落ちていますから、これもダメでしょう。ですから場合によっては、今の学生のなかには、何かしなければならないというそういう気持ち、それ自体を経験したことのない人もいるのでしょう。
「頭燃(ずねん)を払う」というのはやはり禅の言葉です。髪の毛に火がついたら理屈も何もなしに頭をかきむしりながら駆け出すだろう、せっぱ詰まるということで、これは待ったなしの行動の動機である。そういった真剣さをもって万事に当たれというのです。
しかしこの句はもうひとつ踏み込んで解釈できます。それは単に事に当たって頭燃を払うような気持ちになれというのではなくて、今、既にお前の頭は燃えさかっているぞ、火がついているぞ、ただお前が知らないだけだというのです。私たちの生活は、モチベーションが与えられないから、何もする気にならないなどというのんきなものではなく、よく考えてみれば既に頭に火がついているのです。いますぐ、駈けださなくてはなりません。そういうことです。