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1Q84 (1-4)

时间: 2018-10-13    进入日语论坛
核心提示:第4章 天吾      あなたがそれを望むのであれば 天吾は電話のベルで起こされた。時計の夜光針は一時を少しまわっている
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第4章 天吾
      あなたがそれを望むのであれば
 
 
 天吾は電話のベルで起こされた。時計の夜光針は一時を少しまわっている。言うまでもなくあたりは真っ暗だ。それが小松からの電話であることは最初からわかっていた。午前一時過ぎに電話をかけてくるような知り合いは、小松のほかにはいない。そしてそこまでしつこく、相手が受話器をとるまであきらめずにベルを鳴らし続ける人間も、彼のほかにはいない。小松には時間の観念というものがない。自分が何かを思いついたら、そのときにすぐに電話をかける。時刻のことなんて考えもしない。それが真夜中であろうが、早朝であろうが、新婚初夜であろうが、死の床であろうが、相手が電話をかけられて迷惑するかもしれないというような散文的な考えは、どうやら彼の卵形の頭には浮かんでこないらしい。
 いや、誰にでもそんなことをするわけではないのだろう。小松だっていちおう組織の中で働いて給料をもらっている人間だ。誰彼の見境なくそんな非常識な真似をしてまわるわけにはいかない。天吾が相手だからそれができるのだ。天吾は小松にとって多かれ少なかれ、自分の延長線上にあるような存在である。手足と同じだ。そこには自他の区別がない。だから自分が起きていれば、相手も起きているはずだという思いこみがある。天吾は何事もなければ夜の十時に寝て、朝の六時に起きる。おおむね規則正しい生活を送っている。眠りは深い。しかし何かでいったん起こされると、あとがうまく眠れなくなる。そういうところは神経質だ。そのことは小松に向かって、何度となく告げてきた。真夜中に電話をかけてくるのはお願いだからやめてほしいと、はっきり頼んだ。収穫前にイナゴの群れを畑に送りつけないでくれと、神さまにお願いする農夫のように。「わかった。もう夜中には電話をかけない」と小松は言う。しかしそんな約束は彼の意識に十分な根を下ろしていないから、一回雨が降ったらあっさりとどこかに洗い流されてしまう。
 天吾はベッドを出て、何かにぶつかりながら台所の電話までなんとかたどり着いた。そのあいだもベルは容赦なく鳴り響いていた。
「ふかえりと話したよ」と小松は言った。例によって挨拶らしきものはない。前置きもない。
「寝てたか」もなければ「夜遅く悪いな」もない。たいしたものだ。いつもつい感心してしまう。
 天吾は暗闇の中で顔をしかめたまま黙っていた。夜中に叩き起こされると、しばらく頭がうまく働かない。
「おい、聞いてるか?」
「聞いてますよ」
「電話でだけどいちおう話したよ。まあほとんどこちらが一方的に話をして、向こうはそれを聞いていただけだから、一般的な常識からすれば、とても会話とは呼べそうにない代物だったけどね。なにしろ無口な子なんだ。話し方も一風変わっている。実際に聞けばわかると思うけど。で、とにかく、俺の計画みたいなものをざらっと説明した。第三者の手を借りて『空気さなぎ』を書き直し、より完成されたかたちにして、新人賞を狙うというのはどうだろう、みたいなことだよ。まあ電話だからこちらとしても、おおまかなことしか言えない。具体的な部分は会って話すとして、そういうことに興味がありやなしやと尋ねてみた。いくぶん遠回しに。あまり率直に話すと、内容が内容だけに、俺も立場的にまずくなるかもしれないからね」
「それで?」
「返事はなし」
「返事がない?」
 小松はそこで効果的に間を置いた。煙草をくわえ、マッチで火をつける。電話を通して音を聞いているだけで、その光景がありありと目の前に浮かんだ。彼はライターを使わない。
「ふかえりはね、まず君に会ってみたいって言うんだ」と小松は煙を吐きながら言った。「話に興味があるともないとも言わない。やってもいいとも、そんなことやりたくないとも言わない。とりあえず君と会って、面と向かって話をするのが、いちばん重要なことらしい。会ってから、どうするか返事をするそうだ。責任重大だと思わないか?」
「それで?」
「明日の夕方は空いてるか?」
 予備校の講義は朝早く始まって、午後の四時に終わる。幸か不幸か、そのあとは何も予定は入っていない。「空いてますよ」と天吾は言った。
「夕方の六時に、新宿の中村屋に行ってくれ。俺の名前で奥の方のわりに静かなテーブルを予約しておく。うちの会社のつけがきくから、なんでも好きなものを飲み食いしていい。そして二人でじつくりと話し合ってくれ」
「というと、小松さんは来ないんですか?」
「天吾くんと二人だけで話をしたいというのが、ふかえりちゃんの持ち出した条件だ。今のところ俺には会う必要もないそうだ」
 天吾は黙っていた。
「というわけだ」と小松は明るい声で言った。「うまくやってくれ、天吾くん。君は図体はでかいが、けっこう人に好感を与える。それになにしろ予備校の先生をしているんだから、早熟な女子高校生とも話し慣れているだろう。俺よりは適役だ。にこやかに説得して、信頼感を与えればいいんだ。朗報を待っているよ」
「ちょっと待って下さい。だってこれはそもそも小松さんの持ってきた話じゃないですか。僕だってそれにまだ返事をしていません。このあいだも言ったように、ずいぶん危なっかしい計画だし、そんなに簡単にものごとが運ぶわけはないだろうと僕は踏んでいます。社会的な問題にもなりかねません。引き受けるか引き受けないか、僕自身がまだ態度を決めてないのに、見ず知らずの女の子を説得できるわけがないでしょう」
 小松はしばらく電話口で沈黙していた。それから言った。「なあ天吾くん、この話はもうしつかりと動き出しているんだ。今さら電車を止めて降りるわけにはいかない。俺の腹は決まっている。君の腹だって半分以上決まっているはずだ。俺と天吾くんとはいわば一蓮托生《いちれんたくしょう》なんだ」
 天吾は首を振った。一蓮托生? やれやれ、いったいいつからそんな大層なことになってしまったんだ。
「でもこのあいだ小松さんは、ゆっくり時間をかけて考えればいいって言ったじゃないですか」
「あれから五日たった。それでゆっくり考えてどうだった?」
 天吾は言葉に窮した。「結論はまだ出ません」と彼は正直に言った。
「じゃあ、とにかくふかえりって子と会って話してみればいいじゃないか。判断はそのあとですればいい」
 天吾は指先でこめかみを強く押さえた。頭がまだうまく働かない。「わかりました。とにかくふかえりって子には会ってみましょう。明日の六時に新宿の中村屋で。だいたいの事情も僕の口から説明しましょう。でもそれ以上のことは何も約束できませんよ。説明はできても、説得みたいなことはとてもできませんからね」
「それでいい、もちろん」
「それで、彼女は僕のことをどの程度知っているんですか?」
「おおよその説明はしておいた。年齢は二十九だか三十だかそんなところで独身、代々木の予備校で数学の講師をしている。図体はでかいが、悪い人間じゃない。若い女の子を取って食ったりはしない。生活はつつましく、心優しい目をしている。そして君の作品のことをとても気に入っている。だいたいそれくらいのことだけどね」
 天吾はため息をついた。何かを考えようとすると、現実がそばに寄ったり遠のいたりした。
「ねえ、小松さん、もうベッドに戻っていいですか? そろそろ一時半になるし、僕としても夜が明ける前に、少しでも眠っておきたい。明日は講義が朝から三コマあるんです」
「いいよ。おやすみ」と小松は言った。「良い夢を見てくれ」。そしてそのままあっさり電話を切った。
 天吾は手に持った受話器をしばらく眺めてから、もとに戻した。眠れるものならすぐにでも眠りたかった。良い夢が見られるものなら見たかった。でもこんな時刻に無理に起こされて、面倒な話を持ち込まれて、簡単に眠れないことはわかっていた。酒を飲んで眠ってしまうという手もあった。しかし酒を飲みたいという気分でもなかった。結局水をグラスに一杯飲み、ベッドに戻って明かりをつけ、本を読み始めた。眠くなるまで本を読むつもりだったが、眠りについたのは夜明け前だった。
 
 予備校で講義を三コマ終え、電車で新宿に向かった。紀伊国屋書店で本を何冊か買い、それから中村屋に行った。入り口で小松の名前を告げると、奥の静かなテーブルに通された。ふかえりはまだ来ていない。連れが来るまで待っている、と天吾はウェイターに言った。待たれているあいだ何かお飲みになりますかとウェイターが尋ね、何も要らないと天吾は言った。ウェイターは水とメニューを置いて去っていった。天吾は買ったばかりの本を広げ、読み始めた。呪術についての本だ。日本社会の中で呪いがどのような機能を果たしてきたかを論じている。呪いは古代のコミュニティーの中で重要な役割を演じてきた。社会システムの不備や矛盾を埋め、補完することが呪いの役目だった。なかなか楽しそうな時代だ。
 六時十五分になってもふかえりは現れなかった。天吾はとくに気にかけず、そのまま本を読んでいた。相手が遅刻をすることにとくに驚きもしなかった。だいたいがわけのわからない話なのだ。わけのわからない展開になったところで、誰にも文句はいえない。彼女が気持ちを変えてまったく姿を見せなかったとしても、さして不思議はない。というか、姿を見せないでくれた方がむしろありがたいくらいだ。その方が話が簡単でいい。一時間ほど待っていましたが、ふかえりって子は来ませんでしたよ、と小松に報告すればいいのだから。あとがどうなろうが、天吾の知ったことではない。一人で食事をして、そのままうちに帰ればいい。それで小松に対する義理は果たしたことになる。
 ふかえりは六時二十二分に姿を見せた。彼女はウェイターに案内されてテーブルにやってきて、向かいの席に座った。小振りな両手をテーブルの上に置き、コートも脱がず、じっと天吾の顔を見た。「遅れてすみません」もなければ、「お待ちになりましたか」もなかった。「初めまして」
「こんにちは」さえない。唇をまっすぐに結び、天吾の顔を正面から見ているだけだ。見たことのない風景を遠くから眺めるみたいに。たいしたものだ、と天吾は思った。
 ふかえりは小柄で全体的に造りが小さく、写真で見るより更に美しい顔立ちをしていた。彼女の顔の中で何より人目を惹くのは、その目だった。印象的な、奥行きのある目だ。その潤いのある漆黒の一対の瞳で見つめられると、天吾は落ち着かない気持ちになった。彼女はほとんどまばたきもしなかった。呼吸さえしていないみたいに見えた。髪は誰かが定規で一本一本線を引いたようにまっすぐで、眉毛のかたちが髪型とよくあっていた。そして美しい十代の少女の多くがそうであるように、表情には生活のにおいが欠けていた。またそこには何かしらバランスの悪さも感じられた。瞳の奥行きが、左右でいくぶん違っているからかもしれない。それが見るものに居心地の悪さを感じさせることになる。何を考えているのか、測り知れないところがある。そういう意味では彼女は雑誌のモデルになったり、アイドル歌手になったりする種類の美しい少女ではなかった。しかしそのぶん、彼女には人を挑発し、引き寄せるものがあった。
 天吾は本を閉じてテーブルのわきに置き、背筋を伸ばして姿勢を正し、水を飲んだ。たしかに小松の言うとおりだ。こんな少女が文学賞をとったら、マスコミが放っておかないだろう。ちょっとした騒ぎになるに違いない。そんなことをして、ただで済むものだろうか。
 ウェイターがやってきて、彼女の前に水のグラスとメニューを置いた。それでもふかえりはまだ動かなかった。メニューに手を触れようともせず、ただ天吾の顔を見ていた。天吾は仕方なく「こんにちは」と言った。彼女を前にしていると、自分の図体がますます大きく感じられた。
 ふかえりは挨拶を返すでもなく、そのまま天吾の顔を見つめていた。「あなたのこと知っている」、やがてふかえりは小さな声でそう言った。
「僕を知ってる?」と天吾は言った。
「スウガクをおしえている」
 天吾は肯いた。「たしかに」
「二カイきいたことがある」
「僕の講義を?」
「そう」
 彼女の話し方にはいくつかの特徴があった。修飾をそぎ落としたセンテンス、アクセントの慢性的な不足、限定された(少なくとも限定されているような印象を相手に与える)ボキャブラリー。小松が言うように、たしかに一風変わっている。
「つまり、うちの予備校の生徒だということ?」と天吾は質問した。
 ふかえりは首を振った。「ききにいっただけ」
「学生証がないと教室に入れないはずだけど」
 ふかえりはただ小さく肩をすぼめた。大人のくせに、何を馬鹿なことを言いだすのかしら、という風に。
「講義はどうだった?」と天吾は尋ねた。再び意味のない質問だ。
 ふかえりは視線をそらさずに水を一口飲んだ。返事はなかった。まあ二回来たのだから、最初のときの印象はそれほど悪くなかったのだろうと天吾は推測した。興味を惹かれなければ一度でやめているはずだ。
「高校三年生なんだね?」と天吾は尋ねた。
「いちおう」
「大学受験は?」
 彼女は首を振った。
 それが「受験の話なんかしたくない」ということなのか、「受験なんかしない」ということなのか、天吾には判断できなかった。おそろしく無口な子だよと小松が電話で言っていたのを思い出した。
 ウェイターがやってきて、注文をとった。ふかえりはまだコートを着たままだった。彼女はサラダとパンをとった。「それだけでいい」と彼女は言って、メニューをウェイターに返した。それからふと思いついたように「白ワインを」と付け加えた。
 若いウェイターは彼女の年齢について何かを言いかけたようだったが、ふかえりにじっと見つめられて顔を赤らめ、そのまま言葉を呑み込んだ。たいしたものだ、と天吾はあらためて思った。天吾はシーフードのリングイーネを注文した。それから相手にあわせて、白ワインのグラスをとった。
「センセイでショウセツを書いている」とふかえりは言った。どうやら天吾に向かって質問しているようだった。疑問符をつけずに質問をするのが、彼女の語法の特徴のひとつであるらしい。
「今のところは」と天吾は言った。
「どちらにもみえない」
「そうかもしれない」と天吾は言った。微笑もうと思ったがうまくできなかった。「教師の資格は持っているし、予備校の講師もやってるけど、正式には先生とは言えないし、小説は書いているけど、活字になったわけじゃないから、まだ小説家でもない」
「なんでもない」
 天吾は肯いた。「そのとおり。今のところ、僕は何ものでもない」
「スウガクがすき」
 天吾は彼女の発言の末尾に疑問符をつけ加えてから、あらためてその質問に返事をした。「好きだよ。昔から好きだったし、今でも好きだ」
「どんなところ」
「数学のどんなところが好きなのか?」と天吾は言葉を補った。「そうだな、数字を前にしていると、とても落ち着いた気持ちになれるんだよ。ものごとが収まるべきところに収まっていくような」
「セキブンのはなしはおもしろかった」
「予備校の僕の講義のこと?」
 ふかえりは肯いた。
「君は数学は好き?」
 ふかえりは短く首を振った。数学は好きではない。
「でも積分の話は面白かったんだ?」と天吾は尋ねた。
 ふかえりはまた小さく肩をすぼめた。「だいじそうにセキブンのことをはなしていた」
「そうかな」と天吾は言った。そんなことを誰かに言われたのは初めてだ。
「だいじなひとのはなしをするみたいだった」と少女は言った。
「数列の講義をするときには、もっと情熱的になれるかもしれない」と天吾は言った。「高校の数学教科の中では、数列が個人的に好きだ」
「スウレツがすき」とふかえりはまた疑問符抜きで尋ねた。
「僕にとってのバッハの平均律みたいなものなんだ。飽きるということがない。常に新しい発見がある」
「ヘイキンリツはしっている」
「バッハは好き?」
 ふかえりは肯いた。「センセイがいつもきいている」
「先生?」と天吾は言った。「それは君の学校の先生?」
 ふかえりは答えなかった。それについて話をするのはまだ早すぎる、という表情を顔に浮かべて天吾を見ていた。
 それから彼女は思い出したようにコートを脱いだ。虫が脱皮するときのようにもぞもぞと体を動かしてそこから抜け出し、畳みもせず隣の椅子の上に置いた。コートの下は淡いグリーンの薄手の丸首セーターに、白いジーンズというかっこうだった。装身具はつけていない。化粧もしていない。それでも彼女は目立った。ほっそりとした体つきだったが、そのバランスからすれば胸の大きさはいやでも人目を惹いた。かたちもとても美しい。天吾はそちらに目を向けないように注意しなくてはならなかった。しかしそう思いながら、つい胸に視線がいってしまう。大きな渦巻きの中心につい目がいってしまうのと同じように。
 白ワインのグラスが運ばれてきた。ふかえりはそれを一口飲んだ。そして考え込むようにグラスを眺めてから、テーブルに置いた。天吾はしるしだけ口をつけた。これから大事な話をしなくてはならない。
 ふかえりはまっすぐな黒い髪に手をやり、少しのあいだ指ではさんで梳《す》いていた。素敵な仕草だった。素敵な指だった。細い指の一本一本がそれぞれの意思と方針を持っているみたいに見えた。そこには何かしら呪術的なものさえ感じられた。
「数学のどんなところが好きか?」、天吾は彼女の指と胸から注意をそらせるために、もう一度声に出して自分に問いかけた。
「数学というのは水の流れのようなものなんだ」と天吾は言った。「こむずかしい理論はもちろんいっぱいあるけど、基本の理屈はとてもシンプルなものだ。水が高いところから低いところに向かって最短距離で流れるのと同じで、数字の流れもひとつしかない。じっと見ていると、その道筋は自ずから見えてくる。君はただじっと見ているだけでいいんだ。何もしなくていい。意識を集中して目をこらしていれば、向こうから全部明らかにしてくれる。そんなに親切に僕を扱ってくれるのは、この広い世の中に数学のほかにはない」
 ふかえりはそれについて、しばらく考えていた。
「どうしてショウセツをかく」と彼女はアクセントを欠いた声で尋ねた。
 天吾は彼女のその質問をより長いセンテンスに転換した。「数学がそんなに楽しければ、なにも苦労して小説を書く必要なんてないじゃないか。ずっと数学だけやっていればいいじゃないか。言いたいのはそういうこと?」
 ふかえりは肯いた。
「そうだな。実際の人生は数学とは違う。そこではものごとは最短距離をとって流れるとは限らない。数学は僕にとって、なんて言えばいいのかな、あまりにも自然すぎるんだ。それは僕にとっては美しい風景みたいなものだ。ただ[#傍点]そこにある[#傍点終わり]ものなんだ。何かに置き換える必要すらない。だから数学の中にいると、自分がどんどん透明になっていくような気がすることがある。ときどきそれが怖くなる」
 ふかえりは視線をそらすことなく、天吾の目をまっすぐに見ていた。窓ガラスに顔をつけて空き家の中をのぞくみたいに。
 天吾は言った。「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。つまり再構成する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。それは数学の世界にいるときとはずいぶん違う作業だ」
「ソンザイしていることをたしかめる」とふかえりは言った。
「まだそれがうまくできているとは言えないけど」と天吾は言った。
 ふかえりは天吾の説明に納得したようには見えなかったが、それ以上何も言わなかった。ワイングラスを口元に運んだだけだ。そしてまるでストローで吸うようにワインを小さく音もなくすすった。
「僕に言わせれば、君だって結果的にはそれと同じことをしている。君が目にした風景を、君の言葉に置き換えて再構成している。そして自分という人間の存在位置をたしかめている」と天吾は言った。
 ふかえりはワイングラスを持った手を止めて、それについてしばらく考えた。しかしやはり意見は言わなかった。
「そしてそのプロセスをかたちにして残した。作品として」と天吾は言った。「もしその作品が多くの人々の同意と共感を喚起すれば、それは客観的価値を持つ文学作品になる」
 ふかえりはきっぱりと首を振った。「かたちにはキョウミはない」
「かたちには興味がない」と天吾は反復した。
「かたちにイミはない」
「じゃあどうしてあの話を書いて、新人賞に応募したの?」
 ふかえりはワイングラスをテーブルに置いた。「わたしはしていない」
 天吾は気持ちを落ち着けるために、グラスを手にとって水を一口飲んだ。「つまり、君は新人賞に応募しなかったということ?」
 ふかえりは肯いた。「わたしはおくっていない」
「じゃあいったい誰が、君の書いたものを、新人賞の応募原稿として出版社に送ったんだろう?」
 ふかえりは小さく肩をすくめた。そして十五秒ばかり沈黙した。それから言った、「だれでも」
「誰でも」と天吾は繰り返した。そしてすぼめた口から息をゆっくり吐いた。やれやれ、ものごとはそんなにすんなりとは進まない。思った通りだ。
 
 天吾はこれまでに何度か、予備校で教えた女生徒と個人的につきあったことがあった。といっても、それは彼女たちが予備校を出て、大学に入ったあとのことだ。彼女たちの方から連絡をしてきて、会いたいと言われて、会って話をしたり、どこかに一緒に出かけたりした。彼女たちが天吾のいったいどこに惹かれたのか、天吾自身にはわからない。でもいずれにせよ彼は独身だったし、相手はもう彼の生徒ではない。デートに誘われて断る理由もなかった。
 デートの延長として、肉体的な関係を持ったことも二度ばかりあった。しかし彼女たちとのつきあいは、それほど長くは続かず、いつの間にか自然に立ち消えになってしまった。大学に入ったばかりの元気な女の子たちと一緒にいると、天吾は今ひとつ落ち着けなかった。居心地がよくないのだ。遊び盛りの子猫を相手にしているのと同じで、最初のうちは新鮮で面白いのだが、そのうちにだんだんくたびれてくる。そして相手の女の子たちも、この数学講師が教壇に立って数学について熱心に語っているときと、そうでないときとでは、別の人格になるのだという事実を発見し、いくぶん失望したみたいだった。その気持ちは天吾にも理解できた。
 彼が落ち着けるのは、年上の女性を相手にしているときだった。何をするにせよ自分がリードする必要はないのだと思うと、肩の荷が下りた気持ちになれた。そして多くの年上の女たちは彼に好感を持ってくれた。だから一年ばかり前に十歳年上の人妻と関係を持つようになってからは、若い女の子たちとデートをすることをすっかりやめてしまった。週に→度、アパートの自室でその年上のガールフレンドと会うことで、彼の生身の女性に対する欲望(あるいは必要性)のようなものはおおかた解消された。あとはひとりで部屋にこもって小説を書いたり、本を読んだり、音楽を聴いたり、時々近所の室内プールに泳ぎに行ったりした。予備校で同僚たちとわずかな会話を交わすほかは、ほとんど誰とも話をしなかった。そしてそんな生活にとくに不満を抱くこともなかった。いや、むしろそれは彼にとっては理想的な生活に近かった。
 しかしふかえりという十七歳の少女を目の前にしていると、天吾はそれなりに激しい心の震えのようなものを感じた。それは最初に彼女の写真を目にしたときに感じたのと同じものだったが、実物を目の前にすると、その震えはいっそう強いものになった。恋心とか、性的な欲望とか、そういうものではない。おそらく[#傍点]何か[#傍点終わり]が小さな隙間から入ってきて、彼の中にある空白を満たそうとしているのだ。そんな気がした。それはふかえりが作り出した空白ではない。天吾の中にもともとあったものだ。彼女がそこに特殊な光をあてて、あらためて照らし出したのだ。
 
「君は小説を書くことに興味がないし、作品を新人賞に応募もしなかった」と天吾は確認するように言った。
 ふかえりは天吾の顔から目をそらすことなく肯いた。それから木枯らしから身を守るときのように小さく肩をすぼめた。
「小説家になりたいとも思わない」、天吾は自分も疑問符抜きで質問していることに気づいて驚いた。きっとその手の語法は伝染力を持っているのだろう。
「おもわない」とふかえりは言った。
 そこで食事が運ばれてきた。ふかえりには大きなボウルに入ったサラダと、ロールパン。天吾にはシーフード・リングイーネ。ふかえりは新聞の見出しを点検するときのような目つきで、レタスの葉をフォークで何度か裏返した。
「しかしとにかく、誰かが君の書いた『空気さなぎ』を新人賞の応募原稿として出版社に送った。そして僕が応募原稿を下読みしていて、その作品に目を留めた」
「くうきさなぎ」とふかえりは言った。そして目を細めた。
「『空気さなぎ』君の書いた小説のタイトルだよ」と天吾は言った。
 ふかえりは何も言わずにただそのまま目を細めていた。
「それは君がつけたタイトルじゃないの?」と天吾は不安になって尋ねた。
 ふかえりは小さく首を振った。
 天吾の頭はまた少し混乱したが、タイトルの問題についてはとりあえずそれ以上追求しないことにした。とりあえず先に進まなくてはならない。
「それはどちらでもいい。とにかく悪くないタイトルだよ。雰囲気があるし、人目を惹く。[#傍点]これはなんだろう[#傍点終わり]と思わせる。誰がつけたにせよ、タイトルについては不満はない。[#傍点]さなぎ[#傍点終わり]と[#傍点]まゆ[#傍点終わり]の区別が僕にはよくわからないけど、まあたいした問題じゃない。僕が言いたいのは、その作品を読んで僕は心を強く惹かれたということなんだ。それで僕は小松さんのところに持っていった。彼も『空気さなぎ』を気に入った。ただし新人賞を真剣に狙うなら、文章に手を入れなくてはならないというのが彼の意見だった。物語の強さに比べて、文章がいささか弱いから。そして彼はその文章の書き直しを、君にではなく、僕にやらせたいと思っている。僕はそれについて、まだ心を決めていない。やるかやらないか、返事もしていない。それが正しいことかどうか、よくわからないからだ」
 天吾はそこで言葉を切って、ふかえりの反応を見た。反応はなかった。
「僕が今ここで知りたいのは、僕が君にかわって『空気さなぎ』を書き直すということを、君がどう考えるかってことなんだ。僕がいくら決心したって、君の同意と協力がなくては、そんなことできっこないわけだから」
 ふかえりはプチトマトをひとつ指でつまんで食べた。天吾はムール貝をフォークでとって食べた。
「やるといい」とふかえりは簡単に言った。そしてもうひとつトマトをとった。「すきになおしていい」
「もう少し時間をかけて、じっくり考えた方がいいんじゃないかな。けっこう大事なことだから」と天吾は言った。
 ふかえりは首を振った。そんな必要はない。
「僕が君の作品を書き直すとする」と天吾は説明した。「物語を変えないように注意して文章を補強する。たぶん大きく変更することになるだろう。でも作者はあくまで君だ。この作品はあくまでふかえりっていう十七歳の女の子が書いた小説なんだ。それは動かせない。もしその作品が新人賞をとれば君が受賞する。君ひとりが受賞する。本になれば君ひとりがその著者になる。僕らはチームを組むことになる。君と僕と、その小松さんっていう編集者の三人で。でも表に名前が出るのは君ひとりだけだ。あとの二人は奥に引っ込んで黙っている。芝居の道具係みたいに。言ってることはわかる?」
 ふかえりはセロリをフォークで口に運んだ。小さく肯いた。「わかる」
「『空気さなぎ』という物語はどこまでも君自身のものだ。君の中から出てきたものだ。それを僕が自分のものにするわけにはいかない。僕はあくまで技術的な側面から君の手伝いをするだけだ。そして僕が手を貸したという事実を、君はどこまでも秘密にしなくちゃならない。つまり僕らは共謀して世界中に嘘をつくことになる。それはどう考えても簡単なことじゃない。ずっと心に秘密を抱えていくということは」
「そういうなら」とふかえりは言った。
 天吾はムール貝の殻を皿の隅に寄せ、リングイーネをすくいかけてから、思い直してやめた。ふかえりはキュウリをとりあげ、見たことのないものを味わうみたいに、注意深く囓《かじ》った。
 天吾はフォークを手にしたまま言った。「もう一度尋ねるけど、君の書いた物語を僕が書き直すことについて異論はない?」
「すきにしていい」とふかえりはキュウリを食べ終えてから言った。
「どんな風に書き直しても、君はかまわない?」
「かまわない」
「どうしてそう思えるんだろう? 僕のことを何も知らないのに」
 ふかえりは何も言わず、小さく肩をすぼめた。
 二人はそれからしばらく何も言わず料理を食べた。ふかえりはサラダを食べることに意識を集中していた。ときどきパンにバターを塗って食べ、ワイングラスに手を伸ばした。天吾は機械的にリングイーネを口に運び、様々な可能性に思いを巡らせた。
 彼はフォークを下に置いて言った、「最初に小松さんから話を持ち込まれたときには、冗談じゃない、とんでもない話だと思った。そんなことできっこない。なんとか断るつもりだった。でもうちに帰ってその提案について考えているうちに、やってみたいという気持ちがだんだん強くなってきた。それが道義的に正しいかどうかはともかく、『空気さなぎ』という君のつくり出した物語に、僕なりの新しいかたちを与えてみたいと思うようになった。なんて言えばいいんだろう、それはとても自然な、自発的な欲求のようなものなんだ」
 いや、欲求というよりは渇望という方に近いかもしれない、と天吾は頭の中で付け加えた。小松の予言したとおりだ。その渇きを抑えることがだんだん難しくなっている。
 ふかえりは何も言わず、中立的な美しい目で、奥まったところから天吾を眺めていた。彼女は天吾の口にする言葉をなんとか理解しようと努めているように見えた。
「あなたはかきなおしをしたい」とふかえりは尋ねた。
 天吾は彼女の目を正面から見た。「そう思っている」
 ふかえりの真っ黒な瞳が何かを映し出すように微《かす》かにきらめいた。少なくとも天吾にはそのように見えた。
 天吾は両手で、空中にある架空の箱を支えるようなかっこうをした。とくに意味のない動作だったが、何かそういった架空のものが、感情を伝えるための仲立ちとして必要だった。
「うまく言えないんだけど、『空気さなぎ』を何度も読みかえしているうちに、君の見ているものが僕にも見えるような気がしてきた。とくにリトル・ピープルが出てくるところ。君の想像力にはたしかに特別なものがある。それはなんていうか、オリジナルで伝染的なものだ」
 ふかえりはスプーンを静かに皿に置き、ナプキンで口元を拭いた。
「リトル・ピープルはほんとうにいる」と彼女は静かな声で言った。
「本当にいる?」
 ふかえりはしばらく間を置いた。それから言った。
「あなたやわたしとおなじ」
「僕や君と同じように」と天吾は反復した。
「みようとおもえばあなたにもみえる」
 ふかえりの簡潔な語法には、不思議な説得力があった。口にするひとつひとつの言葉に、サイズの合った楔《くさび》のような的確な食い込みが感じられた。しかしふかえりという娘がどこまで[#傍点]まとも[#傍点終わり]なのか、天吾にはまだ判断がつかなかった。この少女には何かしら、たがの外れたところ、普通ではないところがある。それは天賦の資質かもしれない。彼は生のかたちの真正な才能を今、目の前にしているのかもしれない。あるいはただの見せかけに過ぎないのかもしれない。頭のいい十代の少女は時として本能的に演技をする。表面的にエキセントリックな[#傍点]ふり[#傍点終わり]をすることがある。いかにも暗示的な言葉を口にして相手を戸惑わせる。そういった例を彼は何度も目にしてきた。本物と演技とを見分けることは時としてむずかしい。天吾は話を現実に戻すことにした。あるいはより現実に近いところに。
「君さえよければ、明日からでも『空気さなぎ』書き直しの作業に入りたいんだ」
「それをのぞむのであれば」
「望んでいる」、天吾は簡潔に返事をした。
「あってもらうひとがいる」とふかえりは言った。
「僕がその人に会う」と天吾は言った。
 ふかえりは肯いた。
「どんな人?」と天吾は質問した。
 質問は無視された。「そのひととはなしをする」と少女は言った。
「もしそうすることが必要なら、会うのはかまわない」と天吾は言った。
「ニチヨウのあさはあいている」と疑問符のない質問を彼女はした。
「あいている」と天吾は答えた。まるで手旗信号で話をしているみたいだ、と天吾は思った。
 食事が終わって、天吾とふかえりは別れた。天吾はレストランのピンク電話に十円硬貨を何枚か入れ、小松の会社に電話をかけた。小松はまだ会社にいたが、電話口に出るまでに時間がかかった。天吾はそのあいだ受話器を耳にあてて待っていた。
「どうだった。うまくいったか?」、電話口に出た小松はまずそう質問した。
「僕が『空気さなぎ』を書き直すことについて、ふかえりは基本的に承知しました。たぶんそういうことだと思います」
「すごいじゃないか」と小松は言った。声が上機嫌になった。「素晴らしい。実のところ、ちょいと心配してたんだよ。なんていうか、天吾くんはこういう交渉ごとにはあまり性格的に向かないんじゃないかと」
「べつに交渉したわけじゃありません」と天吾は言った。「説得の必要もなかった。おおよそのところを説明し、あとは彼女が一人で勝手に決めたみたいなものです」
「なんでもかまわない。結果が出りゃ何の文句もない。これで計画を進められる」
「ただその前に僕はある人に会わなくてはなりません」
「ある人?」
「誰かはわかりません。とにかくその人物に会って、話をしてほしいということです」
 小松は数秒間沈黙した。「それでいつその相手に会うんだ?」
「今度の日曜日です。彼女が僕をその人のところに案内します」
「秘密については、大事な原則がひとつある」と小松は真剣な声で言った。「秘密を知る人間は少なければ少ないほどいいということだ。今のところ世界で三人しかこの計画を知らない。君と俺とふかえりだ。できることならその数をあまり増やしたくない。わかるよな?」
「理論的には」と天吾は言った。
 それから小松の声はまた柔らかくなった。「しかしいずれにせよ、ふかえりは君が原稿に手を加えることを了承した。なんと言ってもそれがいちばんの重大事だ。あとのことはなんとでもなる」
 天吾は受話器を左手に持ち替えた。そして右手の人差し指でこめかみをゆっくりと押した。
「ねえ、小松さん、僕はどうも不安なんです。はっきりした根拠があって言うんじゃないけど、自分が今、何かしら[#傍点]普通じゃないこと[#傍点終わり]に巻き込まれつつあるような気がしてならないんです。ふかえりって女の子と向かい合っているときには、とくに感じなかったんだけど、彼女と別れて一人になってから、そういう気持ちがだんだん強くなってきました。予感と言えばいいのか、虫の知らせなのか、でもとにかくここには何かしら奇妙なものがあります。普通ではないものです。頭でじゃなくて、身体でそう感じるんです」
「ふかえりに会って、それでそんな風に感じたのか?」
「かもしれない。ふかえりはたぶん本物だと思います。もちろん僕の直感に過ぎませんが」
「本物の才能があるってことか?」
「才能のことまではわかりません。会ったばかりだから」と天吾は言った。「ただ彼女は僕らの見ていないものを、実際に見ているのかもしれない。何かしら特殊なものを持っているのかもしれない。そのあたりがどうもひっかかるんです」
「頭がおかしいということか?」
「エキセントリックなところはあるけれど、頭はべつにおかしくないと思いますよ。話の筋はいちおう通っています」と天吾は言った。そして少し間を置いた。「ただ何かがひっかかるだけです」
「いずれにせよ彼女は、君という人間に興味を持った」と小松は言った。
 天吾は適切な言葉を探したが、そんなものはどこにも見つからなかった。「そこまではわかりません」と彼は答えた。
「彼女は君に会い、少なくとも君には『空気さなぎ』を書き直す資格があると思った。つまり君のことを気に入ったということだ。実に上出来だよ、天吾くん。先のことは俺にもわからん。もちろんリスクはある。しかしリスクは人生のスパイスだ。今からすぐにでも『空気さなぎ』の改稿にとりかかってくれ。時間はない。書き直した原稿をなるたけ早く、応募原稿の山の中に戻さなくちゃならない。オリジナルと取り替えるんだよ。十日あれば書き上げられるか?」
 天吾はため息をついた。「厳しいですね」
「なにも最終稿である必要はないんだよ。先の段階でまた少しは手を入れることができる。とりあえずのかっこうをつけてくれればいい」
 天吾は頭の中で作業のおおまかな見積もりをした。「それなら十日あればなんとかなるかもしれません。大変なことには変わりありませんが」
「やってくれ」と小松は明るい声で言った。「彼女の目で世界を眺めるんだ。君が仲介になり、ふかえりの世界とこの現実の世界を結ぶ。君にはそれができる、天吾くん。俺には——」
 そこで十円玉が切れた。
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