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乳房(五)

时间: 2017-06-27    进入日语论坛
核心提示:        五 夜みんな子供をかえして静かになると、タミノとひろ子とは、工夫してなるたけ人目をひくように、字の大小、
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         五
 
 夜みんな子供をかえして静かになると、タミノとひろ子とは、工夫してなるたけ人目をひくように、字の大小、ふちどりなどに心を配りながら、大きいのや小さい四角い伝単形(でんたんがた)やらのガリ版をきった。
 託児所の経済は、市電応援以来非常にわるくなった。ひろ子らは、これまでのように、定って毎日来る子供ばかりを預るだけでなく、急用で出かける母親にも便宜なように、どんな臨時でもおやつ代だけで預ること、そして託児所の仕事をもっと大衆化することを決定した。同時に従来も労救とは別に託児所としての維持員を一般の進歩的な家庭の婦人の間に持っていた、その方面も拡大しよう。原紙を切っても、手許に謄写版がなかった。診療所まで出かけて行って刷らなければならなかった。翌日タミノが、例によってスカートに下駄ばきで出かけようとしているところへ、臼井がやって来て、
「どれ?」
 タミノの手から原紙の円く捲いたのをうけとって見て、かえし、
「あっち、多分今つかっているでしょう」
 各部署の活動に通暁したように云ったりした。
「あら! やんなっちゃうね。よって来たの?」
 臼井はそれには答えず、
「そんなものくらいだったら、僕の知っているところのでやれると思うんだが――」
「なーんだ、そんなことがあるんなら早くそう云ってくれればいいのに! そこへ行こう、ね、いいんでしょう?」
「今夜あたりは、大抵いいだろうと思うんだが……」
 正直で単純なタミノに向う臼井のそういう話しぶりや、ひろ子がこの間二階から何心なく降りて来て目にした臼井の凄(すご)んだような態度などには何かわざとらしいものが流れているのであった。臼井と二人で出かけて行って、タミノは謄写版刷りの仕事もちゃんとして来たが、その四五日あとになって、ふと何かのはずみで云った。
「ポートラップって、私、洋酒だとばっかり思ってたら――ちがうんだね」
 
 或る晩のことであった。タミノが電燈を低く下げて靴下の穴つくろいをしながら、
「私、いまにここかわるようになるかもしれない」
 独言のように云った。それは風のひどい晩で、ひろ子も同じ電燈の下へ机を出して会計簿を調べていた。顔もあげず数字をかきつづけながら、ひろ子はごく自然な気持で、
「ふーん」
とタミノの言葉をうけた。
「どこか、うまいところがありそうなの?」
 タミノは三月ばかり前、山電気を組合関係で馘首になるまで、ずっと工場生活をして来ていた。組合の書記局へおいでよって云われたけど、私、職場の方が好きだ。また入りこむよ、そう云って、一時ここを手伝っているのであった。
 下を向いて、こんぐらかった糸を不器用に、若々しい粗暴さで引っぱりながらタミノは、
「まだはっきりしないんだけどね」
 間をおいて、
「臼井さん、待ってたのがやっとついたって、とてもよろこんでる……」
 ひろ子は思わず首を擡げ、下を向いているタミノを見ながら、ペンをもっていない方の指で自分の下唇をゆるゆると捩るような手つきをした。タミノはやっぱり顔をつくろいものの上にうつむけたままでいる。
「――つくって……」
 様々のありふれた推測が、ひろ子の胸に浮んだ。いずれにせよ、臼井と党の組織との連絡がついた、ということにはちがいない。
「だって、そのことと、あんたが、ここからかわるってこととは、別なんでしょう?」
 タミノは直接それには返事をせず、自分自身の考えに半分とりこまれているような調子で、暫く経って呟いた。
「なかなか役に立つ女が少なくて、みんな困ってるらしいわねえ」
 その言葉でひろ子には全部を語らないタミノの考えの道筋が、まざまざ照らし出されたように思った。
「こんどのところは――職場じゃないの?」
「…………」
 ひろ子は、若い、正直なタミノに向って、こみ入った自分の愛情が迸(ほとばし)るのを感じた。タミノは、おそらく臼井に何か云われて、彼女には職場での活動よりもっと積極的なねうちを持っているように考えられる或る役割を引きうける気になっているのではないだろうか。ひろ子としては、若い女の活動家が多くの場合便宜的に引きこまれる家政婦や秘書という役割については久しい前からいろいろの疑問を抱いているのであった。ひろ子は、なお下唇を捩るような手つきをして考えていたが、ゆっくりと云った。
「あっちじゃ、女の同志をハウスキーパアだの秘書だのという名目で同棲させて、性的交渉まで持ったりするようなのはよくないとされているらしいわね。――何かで読んだんだけれど」
 ひろ子たちの仲間で「あっち」というときは、いつもソヴェト同盟という意味なのであった。
「ふーん」
 今度はタミノが顔をあげた。眉根をキと持上げるような眼でひろ子を見て、何か云いかけたが、そのまま黙って針を動かしつづけた。
 やがて、靴下つくろいを終って、タミノは、維持員名簿をめくりながらハトロン封筒へ宛名を書きはじめた。
 夜が更けて、風が当ると庇(ひさし)のトタンがガワガワ鳴った。その木枯しが落ちると、道の凍(い)てるのがわかるような四辺の静けさである。タミノが万年筆の先を妙に曲げて持って字を書いている。減ったペンと滑っこい紙の面とが軋(きし)みあって、キュ、キュと音をたてている。
 そのキュ、キュいう音を聴きながら自分も仕事をつづけているうちに、ひろ子の心は一つの情景に誘われた。六畳、四畳半、そういう家には遠山に松の絵を描いたやすものの唐紙がたっている。そのこっちのチャブ台で、ひろ子が、物を書いていた。もう暁方に近かった。ひろ子がくたびれて、考えもまとまらずにあぐねていると、その唐紙のあっちから、丁度今きこえているようなキュキュというペンの音がした。唐紙のこっちからでも、書かれてゆく字のむらのない速力や、渋滞せず流れつづける考えの精力的な勢やを感じさせずに置かない音であった。ひろ子は、自分の手をとめたなり、心たのしくその音に耳を傾けていた。それから、唐紙ごしに、
「ちょっと」
 重吉に声をかけた。
「――何だい?」
「……デモらないで下さいね」
 ひとり口元をほころばせ、様子をうかがっていると、重吉は、突嗟にひろ子の云った言葉の意味がわからなかったらしく、唐紙のむこうで、居ずまいを直す気勢であったが、程なく、
「――なアんだ!」
 笑い出した。
「そんな柄でもないだろう」
 じきにまた、キュキュ音がしはじめた。――
 ひろ子には、タミノがこれから経てゆくであろう一つの階級的な立場をもった女としての一生が、自分の経験するよろこび、苦しみの一つ一つと、情熱的に結び合わされたものとして感じられるのであった。
 重吉が検挙されてひろ子も別の警察にとめられていた時のことであった。ひろ子は二階の特高室の窓から雀の母親が警察の構内に生えている檜葉(ひば)の梢に巣をかけているのを見つけた。
 ひろ子は覚えず、
「マア、可哀想に! こんなところに巣なんかかけて」
と云った。するとそこにいあわせた髭の濃い男が、
「なに可哀想なもんか! 安全に保護されることを知ってるんだよ」
 そう云って、ジロジロひろ子を上へ下へ見ていたが、
「君なんぞも子供を一人生みゃいいんだ。さぞ可愛がるだろうな、目に見えるようだ」
 ひろ子は、その男の正面に視線を据えて、
「深川をかえして下さい」
 そう云った。男は黙りこんだ。
 ひろ子がそこから帰って、託児所へ住むようになったばかりの夏の末、お花さんの友達が現場で大怪我をして病院にかつぎこまれたことがあった。
 ちい坊を託児所にあずかって、下の四畳半へねかしたまま、団扇(うちわ)で蚊を追い追い、ひろ子はそのわきで本を読んでいた。やがて眼をさましたちい坊は、泣き出してどうしてもだまらない。鼻のあたまに汗をかいて泣きしきるので、ひろ子はああと思いつき、その思いつきに自分で嬉しがりながら、
「さア、これでどう? ちい公もこれじゃ泣けまい?」
 そう云いながら白いブラウスの胸をひろげて、ひろ子は自分の乳房を泣いている赤坊の口元にさしつけた。ちい公は、その時分からしなびて、顔色や足の裏の血色がわるい児であったが、ほそい赤い輪のように口をひろげ、さぐりついてやっとひろ子の乳首をふくんだかと思うと、すぐ舌でその乳首を口の中から圧し出して前より一層激しく泣きたてた。三度も四度もひろ子はそれをくりかえした揚句、到頭あきらめて自分も困ってききわけのある子に云うように挨拶した。
「いやじゃあこまったことね。――でも小母ちゃんがわるいんじゃないのよ、ちい坊や」
 それから一時間あまり経って北海道生れのお花さんが、帰って来た。
「すみませんでしたね。ふー、たまんね。何んとした暑さだろう」
 お花さんは立ったまま帯をほどき、大柄な浴衣(ゆかた)をぬぎすて、腰巻一つになった肩へしぼって来た手拭をかけ、
「ホーラよ、泣きみそ坊主!」
 長く垂れ下って黒い乳首をあてがった。鼻息を立ててちい公はそれへかぶりついた。ひろ子さえほっとする安堵の色が赤坊の顔にあらわれた。
 ひろ子はその様子をわきからのぞきこみながら、さっきの話をした。お花さんは、無頓着に生えぎわの汗を肩へかけた手拭でふきながら、
「そりゃ吸わないわね、だって、のましてる乳でなけりゃ、ひやっこいもん、いやがるよウ」
 ひろ子にはその夜のことが忘られなかった。この自分の乳首が子供を生んだことのない女のつめたい乳首であるということ。そして、見た目は見事な体のお花さんが、栄養不良でおむつから出る二つの小さい足の裏が蒼白いような赤子を、暖みだけはある乳房に辛くも吸いつけている姿。この社会での女の悲しみと憤りの二つの絵がそこにあるように、ひろ子の心に印されたのであった。
 
 その晩、床に入って電燈を消してから、ひろ子は、さり気ない穏やかな調子でタミノに云った。
「ねえ、あなたの将来のあるいいところや積極性を、個人的なあいまいなゆきがかりで下らなくつかってしまわないようにしなさいね」
「…………」
「おせっかいみたいでわるいけど、私たちは仕事をやってみて、その実際でひとを見わけるしかないんだもの……ねえ。そうでしょう? 臼井さんとあなたはまだ仕事らしい仕事をやって見ていないんだもの――気心のしれない気がする……」
 タミノが寝床の中で身じろぎをする気配がした。よっぽどして、タミノは素直な調子で、
「――そう云いやそうだねえ」
 ゆっくりそう云って、溜息をつくのがひろ子に聞えた。
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