四
隅の椅子にナースチャがかけて見ていた。
アンナ・リヴォーヴナは髪に気をつけながら頭からゆっくり服をかぶって着かけている。のびた腋の下、レースの沢山ついた下着。
すっかり裾をひきおろし、あっちこっち皺をなおし、アンナ・リヴォーヴナは長い鏡の前へ近づいて立った。
「どう?」
ナースチャは、自分に云われたのかどうかわからず、黙っていた。
「なんて云うのお前さんの名――マーシェンカ?」
横向きになって、袖のつけ工合を鏡のなかで眺めながらきいた。
「いいえ。ナースチャ」
「じゃ、ナースチャ、見てちょうだい。腋の下んところがつれてやしないかしら」
ナースチャは立って絹紗のような紫の服を見た。
「なんともありません」
その服をぬぎ、こんどは裾をつめた方を着こみ、小一時間ぐずぐずしている間に、アンナ・リヴォーヴナは、ナースチャにチョコレートを食べさした。そして、田舎娘の細そりした体に不釣合ながっしり大きい手を眺めながら、こんな問答をした。
「お前さん、丈夫?」
「ええ」
「もう一人いた娘さんと姉妹なの?」
「いいえ、あの娘は従妹です」
「へえ、じゃあ誰のお母さんなの、仕立屋さんは」
「シューロチカの」
「お前さんの親は? 田舎?」
「死にました」
ナースチャは変にせつないように、不愉快なような表情をしてぶっきら棒に答えた。
「ふしあわせな! 二人とも死んだの? いつ?」
「饑饉の年。わたしどものところ、そりゃあ病気が流行ったんです。はじめお母さんがねて、それからお父さんがわるくなって、お父さんが十日先に死んだ。棺が二つ出ました。わたしもやっぱりその時は病気で、熱くって熱くって……窓からどんなに飛出したかったか!」
ナースチャは思い出すように室の窓の方を見たが、急に顔を近づけ、
「ごらんなさい。家じゃ兄さんが死んでから、なにもかもめちゃめちゃになっちゃったんですよ」
熱心に、低い声でささやきはじめた。
「兄さんが生きているうちは、本当になんだってあったんです。パンだって、バタだって、麦粉だって。……兄さんが死んだ時は、泣いた。お父さんも泣いた。兄さんの金時計だけは友達が持って来てくれましたけど……それはいい時計だったんです」
「その兄さんて、なにしていたの?」
「食糧のことをしていたんですけど、なんて云うんでしょうか。……兄さんはボルシェビキだったんですよ。出かける時、お父さんがそれはしっかり兄さんを抱いて接吻してね、兄さんの唇から血が出るほどきつく接吻したんです。兄さんもお父さんに接吻してね、そして出かけて行ったんですよ」
アンナ・リヴォーヴナは溜息をついて、しばらくしてきいた。
「伯母さん、親切にしておくれかい?」
ナースチャは、白木綿の襯衣の背中へ手を廻し、それを下へひっぱるような身振りをしながら短く、
「あたりまえです」
と答えた。
「どこかへつとめちゃいけないの? ナースチャ」
「村には仕事がないんです」
「……そうやって伯母さんのところにいつまでいたってしようがあるまいねえ……いくつ? お前さん」
「来月で十七です」
「モスクワへでも来りゃいいのに」
なかばひとり言のように云い、アンナ・リヴォーヴナは立ち上って、仕立代をナースチャに渡した。
「じゃ、布地はこのつぎ伯母さんが見えた時、つもって貰いますからってね」