明日をつくる力
宮本百合子
ともかく日本にも民主憲法ができた。明治二十二年にできた旧憲法では、支配する者の権力がどんなに絶対であり、人民はどんなに絶対従順にそれに服従しなければならないかということが眼目としてつくられていた。これは欽定憲法と呼ばれている。ここでは服従すべきものとして人民全体が扱われていたから、昔から男性に服従すべきものとして考えられていた婦人の社会的地位の改善などということはまったく眼の中に入れられていなかった。今度改正された憲法は、その中に、すべての人民は法律の前に平等であるとされていて、性別身分などの特権によって特別な利益を保護されることはないように規定されている。しかしその中に天皇という特別な一項がある。華族は世襲でなくなったが、天皇の地位は世襲であり、性別如何にかかわらず法律の前には平等であるといわれていても、天皇の一家の子供は、昔ながらに長男がその地位を継承するものときめられている。女子は差別されている。そのほか経済上、政治上において天皇という身分上の特権は十分に保たれている。主権在民という憲法にこういう矛盾が含まれていることは日本の歴史の特殊性である。ちょうど人間が胎児であったとき、その成長の過程で、ごく初期の胎生細胞はだんだん消滅して、すべて新しい細胞となって健康な赤ん坊として生れてくる。けれどももし何かの自然の間違いで、胎生細胞がいくつか新しくなりきらないで、人間のからだの中にのこったまま生れたとき、成長してのちある生物的な条件のもとで、その細胞が異常な細胞増殖をはじめる。そしてそれは癌という致命的な病気の名をつけられている。私たちは歴史の中にも、社会の伝統の中にも、日本らしいこういう矛盾、胎生細胞をもっていることについてまじめに知り、考えなければならないと思う。
しかし婦人が人民としての生活の中では性別如何にかかわらず法律の前に平等であると考えられるようになったことは、民法も改正して、あのおそろしい、妻の「無能力者」をなくするようになったし、男の子と女の子と財産に対する平等の権利も認められるようになった。夫と妻の財産に対する権利の平等、刑法上で婦人にばかり姦通罪がきびしかった点も改正され、離婚に対する権利の平等、母親の子供に対する親権も父親と等しいものに認められるようになってきている。これは日本でつくられた憲法、民法、刑法上での大革命である。けれどもポツダム宣言を受諾した二年目の私たちの生活での実際で、こういう制度の上の平等がどこまで実現されているかということはなかなかの問題だと思う。改正憲法のお祭りは五月三日に日比谷で大仕掛に行われた。けれども、あの日台所で燻い竈の前にかがみ、インフレーションの苦しい家事をやりくって、石鹸のない洗濯物をしていた主婦のためには、新憲法のその精神がはっきり具体化されたような変化はなかった。今日は男も女も、それが地みちの生活をしている人であるならば、字づらだけでの男女平等や解放だけで民主主義というものはあり得ないということを痛切に感じて来ている。あらゆる日本の婦人が今日ほどの時間を台所にしばりつけられていて、どうして封建性からの脱却があるだろう。