新しいアジアのために
――アジア婦人大会によせて――
宮本百合子
いよいよきたる十二月十日から一週間北京でアジア婦人大会がひらかれます。そして日本からもそこに出席するために代表がえらばれました。これは現代の人類の歴史にとって深い深い意味をもつ新事実です。
世界地図をひらいて、アジアを眺めましょう。まず、アジアの北の広い部分を占めてソヴェト同盟の、いくつかの民族自治共和国をふくむ地域があります。広大なその地域と、これもまた広い中華人民共和国との間にはさまっているために、せまいように見える蒙古人民共和国があります。三十八度線を区ぎりとして、北朝鮮の人民共和国が見えます。その東に、太平洋に弓なりにかかって、わたしたちの祖国日本があります。
けれども、今日アジアの地図の中に見る日本は、わたしたちの心を苦痛でみたします。ソヴェト同盟の国境、朝鮮、満州をふくむ中華人民共和国、ビルマ、シャム、マライ、印度支那、フィリピン、とアジアの地図に描かれているどの国々をみても、こんどの戦争で日本の軍隊が侵略しなかった土地はありません。そしてそれらの国の果て果てで、平和な生活の中では勤勉な市民であり、思いやりのある若者たちでもあった数十・数百万の人々が、軍の力で気を狂わせられていなかったら、決して行わなかった残虐の数々を強いられました。その軍隊が壊滅した時、軍隊は同じその残虐さで数十万の人々をジャングルや山嶽の間にすてて餓死させ、白骨としました。
アジアの姉妹たちよ。そして日本の女性たちよ。アジアの地図の大半の土地からは、わたしたちが愛した者の最期のうめきがつたわってきます。わたしたちはそのような日本という祖国に生きて、毎日の生活苦と闘いながら同時に人類的なこの苦痛の克服について考えています。
アジアの近代の歴史は、苦しい隷属とそこから解放されようとする闘いの連続でした。印度をはじめとするアジアの諸国は、そのゆたかな天然の資源と、生産の発達が遅れている半封建的社会の条件を利用されて、ヨーロッパの資本主義の植民地または半植民地として、土着の民族のいたましい生活がつづきました。
第二次世界大戦ののち、アジアとアフリカの民族は、こののろわしい関係を変更するために立ちました。中国の人々が、日本その他の国の帝国主義を排除して中華人民共和国となったばかりではありません。耐えがたい隷属の生活であればこそ、世界平和と民族の自立の要求は、アジア各民族の婦人たちの精神にはげしくもえたって、マライには七千人の婦人たちによる統一戦線がつくられました。ビルマでは一九四六年に全ビルマ婦人会議が組織されました。ここには四万人の婦人たちが参加しています。印度では一九四六年に、民族解放のゲリラ隊によってテレンガン地方の五百万人の人口をふくむ二千五百の村々が解放され、はじめて民主的な人民の生活とはどういうものであるかを学びました。印度の婦人たちは、こんにち心から夫や息子と肩をならべて、人民の幸福のために活動しはじめました。
アジア婦人会議に出席する日本の代表たちは、他の諸国の代表の誰よりも、まじめで重大な使命を負っています。なぜならば、機会ある毎にアジア民族の解放を妨げることしかしてこなかった日本の帝国主義は、こんにちでも決してその根拠と、協力する勢力を失っておらず、現在ではますます日本の民主化とポツダム宣言による平和の確保がおびやかされてきているからです。この事情は、国内的には人民の生活に重すぎる税となって重荷を加え、婦人子供の辛苦はひとしお深まってきていることを意味します。失業はふえ、生活費は高くなり、生活の安定は社会の全面でくずれかかってきています。
日本の状態は、日本のわたしたちのためばかりでなく、アジアの平和、ひいて世界の平和のために、きわめて警戒されなければならない状態です。日本の中には釈放された有力な戦争協力者たちが暗躍していて、この一年間に人民に対する抑圧とアジアの解放を妨げる仕事がある時はこっそりと、ある時は公然と法律をふりかざして行われてきています。
アジアの姉妹たちよ。わたしたち日本の婦人は、また再び日本という国をアジアの敵としまいと決心していることを信じて下さい。そのために、わたしたち日本の婦人は三つの闘いを同時にたたかわなければならない立場にあります。家庭の中にまだつよく残っている封建性と闘い、人民の民主化をそらそうとする権力と闘いながら、民族を隷属させようとする帝国主義と闘っています。わたしたちにとってこの闘いはむずかしい、そして力のいる仕事です。しかしこの闘いが勇気をもってなしとげられない限り、日本の婦人は、幸福になれないばかりか、人間らしいその良心を世界につたえる機会さえもてないでしょう。
アジア婦人大会は、アジアの曙を告げます。この大会からさしでる希望の光、激励と協力の光がアジアのすべての婦人に幸福への道をてらし、何をどのようにたたかうべきかについてゆるぎない方向を示すことを信じてうたがいません。
〔一九四九年十二月〕