新しい卒業生の皆さんへ
宮本百合子
きょう、この会に出席して、みなさまにお目にかかれないのを、ほんとうに残念に思います。去年の秋、過労して健康をわるくしてから、おはなしができないで、ずいぶんあちこちの学校からの御希望に添えませんでした。そういう学校からの方たちも、あるいは、新しい卒業生としてきょうの会に御出席かもしれません。それを思うと、一層ひとこと御挨拶をしたい心持がして、これをかいております。
みなさまはこの数日来、卒業し、送別会、上級学校の新入生としての歓迎会と、若々しい人生の一つの門から他の門へとおくぐりになりました。その間に、いろいろのことをお感じになっていることと思います。そのさまざまな感じのなかで、きょうに生きる若い女性として一番痛切に感じていらっしゃることは何でしょうか。
専門学校を卒業したかたは、それぞれ就職のために忙しい日を送られたでしょう。就職しない方の気持にはどんな思いがあるでしょうか。この間から、わたくしはたびたびこういう不安をききました。やっと家のものを説得して専門学校は出たけれども、出てから先の生活を考えると、何ともいえない心持がして来る、だって、その先にある生活は、もう大体わかっているんですもの、と。そういう述懐をもっている方は、きょうの会に来ていらっしゃる方々の中に一人もないでしょうか。女学校を卒業する人からの手紙で、一番心痛の種になっていることは、もっと何か勉強したい自分の心と、お嫁入りということだけを先に見ていて、洋裁でも稽古していればそれで十分だと考える親たちとの意見のくいちがいです。この二つの悩みのどっちをとってみても、きょうの若い女性がどんなにゆたかな進歩した人生を欲しているかという事実と、反対に、日本の社会の現実はまだなかなか若々しくどこまでも伸びようとする女性のねがいの枝を撓める状態におかれているという現実を語っていると思います。
きょうの若い女性に出あって、一つ、きわめて率直な質問をいたします。あなたは、あなたのお母さんが生きていらしたとおりの女の一生を御自分でくりかえして見たいとお思いですか、と。――そうきかれたとき、幾人のかたがイエスとお答えなさるでしょう。ほとんど大部分のかたは、母のいとしさ、母への思いやりいたわりとは別に、これまで日本の女がおかれて来た生活の現実を、重くおそろしいものに見ていられるのが事実でしょう。母はほんとに尊敬します。ある意味で実にえらいとも思う。けれども、わたしたちの人生は、もっと別なものであるべきだと思います。母たちのことをしみじみ思えば、母への愛のためにも、わたしたちはもっとちがった人生をくみたててゆかなければならないと思う。私は、現実に幾度もこういう話題について語る若い方々の意見をきいております。
現代の世紀には、世界じゅうの女性が、それをきらっている一つの言葉があります。それは「歴史はくりかえす」という言葉です。現代の世界じゅうの女性にとって、「歴史はくりかえす」という一つの言葉は、次のようないくつかの質問となります。
一、あなたは、また戦争がほしいですか。
二、あなたは、あなたの姉や先輩たちがそういう経験をして来たように愛人や良人を失いたいですか。
三、あなたがたは、未亡人が御希望ですか。
こういう不自然な質問に対して誰が、いやだ、と答えないでしょう。あなたがたは、つよい感情をこめてお答えなさるでしょう。わたしたちの人生は、まだ無傷です。傷ついたにせよ、若い命がすぐそれを癒す傷しかもっていません。呪うような質問なんかやめて! わたしたちは生きたいんです、つよく、たのしく、不屈に生きたいんです。きっと、そうしか答える言葉をもっていられないと信じます。
若いかたがたの心もちに立ってみれば、そうしか思えないのが本当です。でも、その真直な人生への希望を実現してゆく道は、一度か二度の、若々しくつよい感情表現だけで、きりひらかれてゆくでしょうか。特にこの日本で。――この民主化をねじまげる古い力のつよい日本で。――
わたしたち日本の明日の女性は、世界のどの国の女性にもまして、「歴史はくりかえす」という利口ぶったいいまわしに抵抗しなければ、どんな幸福も保証されません。日本の新聞は、なんと恥しらずに戦争挑発をしているでしょう。アメリカの科学者たちが、アインシュタインをはじめとして、人類の平和のための原子力の使いかたを主張していることは、くりかえして報道しないで、こんどは原子力よりももっと殺戮力のつよい放射線の雲をつくることが発明されたなどと、得意そうに報道しました。心あるアメリカの人々、平和を愛するアメリカの女性たちにとって、あんな記事は腹立たしいものだろうと信じます。愛する自分の国の科学力の発達が、人畜を殲滅する能力などという点でほこられるとしたら、それは、よろこびよりも苦痛と恥辱を感じさせるのが自然です。
では、どうして、日本の新聞は、そういう誇るべからざる誇りを、毒々しく報道したりするのでしょうか。日本の若い女性が、心の目を見ひらいて理解しなければならないことがあります。それは、日本のなかには、決してファシズムと軍国主義の思想が根だやしになっていないということです。
ポツダム宣言を受諾した表面上、日本の民主化は、政府が世界に向って義務づけられた仕事です。けれども、みなさまは、どうお思いになりますか? 日本の権力者はしんから民主的になろうと努力しておりますか。武装解除した日本として、最後の正義として絶対平和のまもりてとして立つ決心をしているとお思いになりますか? わたしは、これに対する答えを、みなさんの言葉として伺おうと思いません。ただ、どうぞ、あなたがたの若く感じやすい心が、それに対して何と感じているか、ということを、しんから考えて頂きとうございます。
一部の人たちは、自分たちが、もう一遍うまいことのやり直しとして希望する世界の悲劇は、そう簡単にひき起されるものではなく、人間はそれほど愚かではない、という事実を認めたくないようです。だから、戦争に関する非人道的な挑発は、日本の新聞にこんなにおくめんなくのるのです。その一方、戦犯被告と捕虜に対する残虐行為の裁判は続行されています。この面こそ強調されるべきです。
歴史はくりかえすものではありません。全く同一の現象が、同一の内容でくりかえされることは歴史上ないことです。まして、歴史は決してそのままのくりかえしでない、という事実をはっきり知り、あなたがたの愛人たちの頭の上にチョン髷はないのだという事実をしっかりつかんだとき、若い世代が歴史そのものを発展させてゆく能力は非常に大きく発揮されます。
皆さまも御覧でしょうが三月二十五日の婦人民主新聞の論壇に「新帰朝者の言葉」という文章がありました。筆者の矢田喜美子という方は、どなたか存じませんけれども、この記事は、何となく私の心にのこりました。ヨーロッパから最近帰って来たある日本人が、今日の日本をみて、みんなの生活が無計画で、食えないといいながらたかいタバコをプカプカふかしている、政府はから約束をして、内閣がかわればそのまますっぽかしている。雑誌をひらけば現実生活と縁のない理屈をこねている。「現実から足の浮いた、頭でっかちの日本人」というのが、その新帰朝者の感想だそうです。矢田喜美子さんはそれに同感していられます。
けれどもね、みなさま。たとえば、あなたがたが、ことしの新卒業生として、無計画でしょうか。専門学校を出て、就職するとき、職場の選びかたをてあたりばったりした方があるでしょうか。実にきょうの若い真面目な女性は、精密なプランをもって、経済をやりくり、人生をくみたててゆく努力をしています。女学校を出て専門学校へ進もうという方々は、いわばまだ少女らしさの多い心の一方で、どんなに現実的に、学資のことを考えたでしょう。日本の中産階級は戦争によって、最も生活の安定を失いました。日本の女子教育はおくれているから、専門学校程度の勉強をするのは、これまでは中産階級の娘さんたちでした。本年ぐらいから、統計の上にもはっきり、専門学校を受験する女子学生の層がかわって、新円成金の娘さんがふえて来ています。普通の家庭の娘さんはアルバイトを考えずに、専門学校の生活を考えることは不可能になりました。アルバイトを二つもって医学の勉強をしているひとを知っております。彼女の二十四時間は何と計画的につかわれているでしょう。収入がどんなにこまかく割当計画されているでしょう。
その新帰朝者という人は、こういう若い女性のいじらしい大努力に立つ計画性にはふれていない生活環境にいるのでしょう。彼の周囲には、ぐちをいいいいプカプカたかいタバコをすっている男たちがおり、彼のひらく雑誌は、抽象的論議だらけの旧型綜合雑誌なのでしょう。そして、最もおどろくべきことは、政治の面で、内閣のからやくそくとすっぽかしに対して、わたしたちの抗議がどんな形で示されているかまるで知らないことです。婦人労働者が平等の賃銀と母性保護を求め、女子学生が文部省のひどい月謝値上げに反対していて、男子学生とともに、働きながら学べる大学を求めていることは、この新帰朝者に知られていません。日本のわたしたちは、憲法の抽象的な人権擁護の文句を、実質のあるものにしてゆこうと、計画的に努力していないでしょうか。
「日本人ほど抽象的な議論の好きな国民はない」という言葉に筆者は同感されています。それは一部には当っております。たとえば、みなさま御存知の経済安定本部――安本――あそこはたしかに抽象がすきです。その点で日本のわるい面の代表ですが、それは、新帰朝者のいうように、日本が思想とか主義とかいっていられる時代でない、ということになるでしょうか。
日本には、社会生活のほんとの考えかたが民主的に訓練されていないからこそ、抽象論が多いのです。アルバイトしている男女学生の生活は、経済安定本部の抽象性の修正者です。日本のわたしたちは、考えるということを禁じられて来たから、きょうの混乱が一層めちゃめちゃなのです。第一、考えること、思想するということを、現実からはなれることと考えた古いブルジョア文化の分裂した理解こそ、非現実です。日本では、封建の習慣から、女性にはなおさら、むずかしく考えるにはおよばない、という態度が示されました。ところが、現実はどうでしょう。親にまかせ、夫にまかせていてよかったはずの女の人生は、今日、ずっしりと女一人の肩にのしかかっています。考えて、理屈をいっている時代でないと、食うためにだけ計画性をもつとすれば、面白いことに、食うための計画性そのものが、社会的な計画性と一致して来てしまいます。正業に従っている限り。だって、そうでしょう? 千八百円ベースが公称二千九百円になれば税率も高く、いろいろの給与が包括されてしまって、若い人は結局千八百円よりかえって少ししかとれなくなるのですから。
同じ婦人民主新聞に、G・H・Qの労働課長シュークリフ女史が、今年義務教育を終った十三万人の女の子の就職について語っている親切な忠告を見くらべると、深い感情にうたれます。シュークリフ女史はいっています。日本の紡績工業者は、新卒業子女の大部分に当る十万八千三百六十八人を就職させようとしているが、日本の紡績工業界は永年、少女たちを搾取する傾向で世界に有名である。このような封建的な思想を違法とするいくつかの法律がきめられたが、少女たちも親たちもそれを知らない。知っていても、よく理解していない。今年の新卒業生が有害な制度の犠牲になるのを防ぐために、と職業安定法、労働基準法などの箇条を説明していられます。どのような職業につく人にもあてはまる――つまりことしから就職なさるみなさまのなかのある人々にもあてはまることとして。――
この場合、勤労という実際問題について正しく理解し考える必要が示されています。ほんとにわたしはなにも考えずにただ家の中で働いて来たばっかりだよ、という母の歎息を、若い世代がくりかえしたいと思っていないならば、そして、時間がなくて、ものを考えるどころじゃないわよ、というこんにちの若い主婦の苦悩をくりかえしたくないのならば、若い世代は自分で自分の運命の主人になって働ける道を発見しなくてはなりません。人生の風波の間に、自分という可愛い小舟をホンローさせず、人間、女として自身の進路を見出してゆかなければならないと思います。
どうか皆さま、お元気に。よろこびが、あなたの前途にみちているように。苦しみと悲しみがあなたを囲んだとき、涙の浮ぶ瞳ながらやはり太陽はその涙にきらめいているように。人間の美こそ、女性の美の最高のものです。
〔一九四八年四月〕