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女性的昨天、今天、明天(3)

时间: 2021-07-07    进入日语论坛
核心提示: 女らしさは、女にとって随分不自然の重荷であった。真に人間らしい伴侶として婦人を求めている男にとっても苦痛を与えた。従っ
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 女らしさは、女にとって随分不自然の重荷であった。真に人間らしい伴侶として婦人を求めている男にとっても苦痛を与えた。従って、その固定観念への闘争は十八世紀ぐらいから絶えず心ある男女によって行われてきているということは注目すべきことだと思う。それらの運動は単純に家長的な立場から見られている女らしさの定義に反対するというだけではなくて、本当の女の心情の発育、表現、向上の欲求をも伴い、その可能を社会生活の条件のうちに増して行こうとするものであった。社会形成の推移の過程にあらわれて来ているこの女にとって自然でない女らしさの観念がつみとられ消え去るためには、社会生活そのものが更に数歩の前進を遂げなければならないこと、そしてその中で女の生活の実質上の推進がもたらされなければならないということを、今日理解していない者はないのである。
 女らしさ、などという表現は、雨について雨らしさ、というのが奇妙であるように、いわば奇妙なものだと思う。社会が進んで万葉集の時代の条件とは全く異りつつしかも自然な合理性の上に自由に女の生活が営まれるようになった場合、はたして女らしさというような社会感情の語彙(ヴォキャビュラリ)が存在しつづけるものだろうか。きっと、それは一つの古語になるだろうと思われる。昔は、女らしさというようなことで女が苦しんだのね。まアねえ、と、幾世紀か後の娘たちは、彼女たちの純真闊達な心に過ぎし昔への恐怖と同情とを感じて語るのではあるまいか。私たちはそういう歴史の展望をも空想ではない未来の絵姿として自分の一つの生涯の彼方によろこびをもって見ているのも事実である。
 未来の絵姿はそのように透明生気充満したものであるとしても、現在私たちの日常は実に女らしさの魑魅魍魎(ちみもうりょう)にとりまかれていると思う。女にとって一番の困難は、いつとはなし女自身が、その女らしさという観念を何か自分の本態、あるいは本心に附随したもののように思いこんでいる点ではなかろうか。自身の人生での身ごなし、自身のこの社会での足どりに常に何か女らしさの感覚を自ら意識してそれに沿おうとしたり、身をもたせようとしているところに女の悲劇があるのではないだろうか。いい意味での女らしさとか、悪い意味での女らしさということが今日では大して怪しみもせずにいわれ、私たち自身やはりその言葉で自分を判断しようともしている。つまり、その観念の発生は女の内部にかかわりなく外から支配的な便宜に応じてこしらえられたものだのに歴史の代を重ねるにつれてその時から狭められた生活のままいつか女自身のものの感じかたの内へさえその影響が浸透してきていて、まじめに生きようとする女の総てのひとは、自分のなかにいい女らしさだの悪い意味での女らしさだのを感じるようになっているそのことに、今日の女の自身への闘いも根ざしていると思われるのである。
 男が主になってあらゆることを処理してゆく社会の中で、女に求められた女らしさ、その受け身な世のすごしかたに美徳を見出した根本態度は、社会の歴史の進む足どりの速さにつれて、今日の現実の中では、男自身、女自身の実感のなかで、きわめてずれた形をとっていると思われるがどうだろうか。昔の女らしさの定義のまま女は内を守るものという観念を遵守すれば、国防婦人会の働く形体にしろ現実にそれとは対置されたものである。内を守るという形も、さまざまな経済事情の複雑さにつれて複雑になって来ていて、人間としてある成長の希望を心に抱いている男のひと自身、すでに、いわゆる女らしく、朝は手拭を姉様かぶりにして良人を見送り、夕方はエプロン姿で出迎えてひたすら彼の力弱い月給袋を生涯風波なしの唯一のたよりとし、男として愛するから良人としての関係にいるのか月給袋をもって来るから旦那様として大事に扱われるのか、そのところが生活の心持で分明をかいているというような女らしさには、可憐というよりは重く肩にぶら下る負担を感じているであろう。


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