返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 宮本百合子 » 正文

女性的昨天、今天、明天(4)

时间: 2021-07-07    进入日语论坛
核心提示: そんな心持で安心しては過せない自分の心を、多くの若い女のひとたちは自覚していると思う。人間として成長のためには、本当に
(单词翻译:双击或拖选)

 そんな心持で安心しては過せない自分の心を、多くの若い女のひとたちは自覚していると思う。人間として成長のためには、本当に愛情を育ててゆけるためにも、社会生活のひろさの中に呼吸して職業をも持って結婚生活をしてゆきたいと思う。そういう希望も現在では女の本心から抱かれていると思う。ところが、職業の種類で結婚のあいてにめぐり合うことがむずかしくなったり、結婚生活と職業とが労力的に両立しがたかったりして、そういう困難にぶつかると、女のひとはそれを我々の今日生きている社会のおくれた形から蒙っている男女の損失として見るより先に、わが心のうちに旧い呼び声をめざめさせられ、結局女はやっぱり女らしく、と新しい生活形態を創造してゆくための努力はすてる傾きが多い。
 男のひとにしろ、そういう社会的な障害にぶつかった場合、やはりとかく不満や居心地わるさの対照に女をおいて、女らしさという呪文を思い浮べ、女には女らしくして欲しいような気になり、その要求で解決がつけば自分と妻とが今日の文明と称するもののうちに深淵をひらいている非文明の力に金縛りになっているより大きい事実にはあまり目を向けないという結果になっている。
 こういう面での押し合いは実に一朝一夕に、また一面的に解決されないものだから、近代社会は、その間に、たくさんの犠牲を生み出している。女らしさというものの曖昧で執拗な桎梏に圧えられながら生活の必要から職業についていて、女らしさが慎ましさを外側から強いるため恋愛もまともに経験せず、真正の意味での女らしさに花咲く機会を失って一生を過す人々、または、女らしき貞節というものの誤った考えかたで、わが人生もひとの人生も歪めて暮す心持になっている不幸な人々、そういう犠牲の姿は、多くの場合後から来る若い女のひとたちに漠然とした恐怖をおこさせる。そのことも肯けると思う。何故あのひとたちの生活はあすこに陥ったのだろうかという一節を辿りつめてそこに女を殺している女らしさを見出し、それへの自分の新しい態度をきめて行こうとするよりは、多くの場合ずっと手前のところで止ってしまうと思う。ああはなりたくないと思う、そこまでの智慧にたよって、自分をどう導いてゆくかといえば、自分の娘の代になっても社会事情としては何の変化も起り得ないありきたりの女らしさに、やや自嘲を含んだ眼元の表情で身をおちつけるのである。
 この点での現代の若い女のひとの自嘲的な賢さというものを、それらの人たちは何と見ているだろう。もっともわるい意味での女らしさの一つであって、外面のどんな近代様式にかかわらず、そのような生きるポーズは昔の時代の女が生きた低さより自覚を伴っているだけに本質はさらに低いものであるということを率直に認め、それを悲しむ真の女の心をもっているであろうか。われから作っている女らしさの故に女の本心を失っている女たちという逆説も今日の現実では一つの事実に触れ得るのである。
 まともに相剋に立ち入っては一生を賭しても解決はむずかしいのだからと、今日の文化がもっている凹みの一つである女らしさの観念をこちらから把んで、そこで女らしさの取引きを行って処世的にのしてゆくという態度も今日の女の生きる打算のなかには目立っている。それを現実的な女の聰明さというように見る女自身の誤りの上に、その実際はなり立っている。矛盾の多い社会の現象の間では、軽蔑に価する態度が、功利的な価値を現してゆくことも幾多ある。そんなこといったって、あの人はあれで名声も金もえているという場合もあるが、現代の若い女のひとは、人生の評価をそこで終りにしてしまわないだけには人間として成長もして来ているのではないだろうか。私たちの生きている時代は外廓的には随分進んでいるから、女のおくれている面で食っている女というものもどっさり出て来ている。真に女の生活のひろがりのため、高まりのため、世の中に一つの美をももたらそうという念願からでなく、例えば女らしさを喰いものにしてゆく女が、肉体を売る商売ではなく精神を売る商売としてある。

轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(1)
100%
踩一下
(0)
0%

热门TAG:
[查看全部]  相关评论