二
子供というものはいつも珍しいことが好きなものだ。晴れた日が続く、一日、目がさめて雨が降っているのを知ると、どんなにそれが珍しく、嬉しく素敵なことか!
「ああ雨が降ってる!」
と心に叫ぶ時のわくわくする亢奮を、今も尚鮮かに思い出せるが――然し、子供の時分雨が降ると何故あんなに家じゅう薄暗くなっただろう。部屋の中で座布団をぶつけ合って騒ぐ。或はもう少しおとなしい子供らしく静かに電車ごっこでもする。遊びはいつもの遊びなのだが何だか部屋の隅々が暗く、物の陰翳が深く、様子が違う。その何だか違う感じが小さい子の感情を限りなく魅する。ちょっぴりこわいようでもある。珍しいものはいつだって少しはこわいところもある。――それを子供はよく知っている。その感じを更に強め享楽するために、私は机だの小屏風だのを持ち出して、薄暗い隅に一層暗い囲いを拵えた。すっかり囲って狭い一方だけが開いている。そこが洞の出入口だ。私は一人の母で小さい息子とそこに隠れている。何から?――シッ! そんな大きい声を出してはいけない、この山には虎がいるのだ。虎がきくではないか。ほら、もう唸り声がする。洞のつい入口まで来た。ウオー、ウオー、美味そうな子を入口の幅が狭いため食えないのを怒って彼は盛に唸りつつ嗅ぎ廻る。私は段々本気になり、抱いている子に「大丈夫よ、大丈夫よ」と囁く。太ったもう一人の弟は被った羽織の下で四足で這いながら自分が本当の虎になったような威力に快く酔う。
そんなことをして遊ぶ部屋の端が、一畳板敷になっていた。三尺の窓が低く明いている。壁によせて長火鉢が置いてあるが、小さい子が三人並ぶゆとりはたっぷりある。柿の花が散る頃だ。雨は屡々降ったと思う。余り降られると、子供等の心にも湿っぽさが沁みて来る。ぼんやり格子に額を押しつけて、雨水に浮く柿の花を見ている。いつまでも雨が降り、いつまでも沢山の壺のような柿の花が漂っているから、子供達もいつまでもそれを見ている。風がパラパラパラと雨を葉に散らす。浅い池のような水の面に一つ、二つ、あとつづけてまた柿の花がこぼれる。一つの花からスーと波紋がひろがる。こちらの花からもスーと。二つの波紋がひょっと触り合って、とけ合って、一緒に前より大きくひろがって行く。水の独楽、音のしない独楽。一心に眺め入っている子供の心はひき込まれ、波紋と一緒にぼうっとひろがる。何処かわからないところへいい気持ちにひろがって行ってしまう。――水だって子供だって何処へひろがるのか、何のためにひろがるか知りはしない。子供はそのままいつか眠る。