雨の小やみ
宮本百合子
六月某日。
芸術院に谷崎潤一郎が入るようになったとか、ことわったとかいう記事が出ている。それを読むと、谷崎潤一郎がつむじを曲げているのは、芸術院そのものの性質が気にそまなくて冠を曲げているのではなく、電報一つで交渉されたのでは受けかねる。受けられるようにして話しをもって来てくれと云っている。この態度はともかく日本の文学的大家としてなかなか注目に価する。ごねかたが本質においてばくちうちの親分と同じである。形式並に仁義の問題にかかっている。文学の本質の問題ではない。どうせ老仙国へ旅行するなら、幸田露伴のように飄々として居ればよい。横山大観、梅原龍三郎、やっぱり細川護立侯の顔を立てるとか立てぬとか。由来、日本の芸道の精髄は気稟にあった。気魄ということは芸術の擬態、くわせものにまでつかわれるものであるが、これらの場合の進退には、そういう古典的意味での伝統さえ活かされていないのはどういうのであろう。
六月某日。
オペラの「蝶々夫人」を今日の日本人が見て、非現実的に感じるのは自然である。近衛秀麿氏が今度それを改作する由、お蝶夫人が歌手で、ピンカートンである音楽家が京都へ演奏旅行をして、最後は、お蝶がヨーロッパへ演奏に行ってその音楽家と出会いハッピーエンドになるように改作するのだそうである。映画はこの筋を既につかい古している。しかも音楽の初めの部分だけを近衛氏自作に変更するのだそうだ。兄もよろこぶだろうと、この芸術的プランをよろこんでいるのは、素朴である。こういうことを考えついたり、貴族院議員をやめたり、兄が兄がと亢奮して気の毒である。
〔一九三七年七月〕