葉子は自分の生活を間違っていたとだけ云っているが、葉子と共に作者もそこで止まってしまっているように見える。何が葉子の中で間違っていたのだろう。それが今日「或る女」を読む読者の心に湧く当然の疑問であると思う。しんでは極めて物質的な葉子が、女の幸福、この世に於ける女の喜び、誇りの全部をかけて、ただ男とのいきさつの間にだけその解決を求めていたことに対して、それが葉子のみならず、現実に女の不幸の最大原因であることを、作者は明確に観察して描き出していない。経済的なよりどころとして葉子の生活においては次から次へ男が必要であったこと。葉子自身がただの一度も自主的に何とか経済的な面を打開しようと思っても見なかったこと。それは、日清戦争前後のロマンティックな文学的雰囲気に触れ、非常に才気煥発で敏感な葉子にあっても、やはり環境的にもたらされてそこから脱ける意力ははぐくまれていなかった不幸の最大の原因であったということを、葉子が理解しないと同時に、作者もはっきり作品の中にこの点を描き出していない。
「或る女」では、男に対する女の官能の面も鋭く忌憚なく描こうと試みられている。心が愛すばかりでなく女も男のように肉体で男に引かれるという点も作者は語ろうとしている。作者としては一歩踏み出した作家的境地においてこの決心をしているのである。だが残念なことに、経済的な理由、肉体的な理由をひっくるめての複雑多岐な男との交渉をもその一部としてもちながら、女の全生活は立体的に成り立つものであるという理解を、作者は葉子の生き方とその悲劇を語る広い背景として頭に置いていないように見える。それ故「或る女」全篇の読後感は、作者が非常に熱心に目を放さず葉子の矛盾の各場面に駈けつけてそれを描いているが、葉子という一箇の女と当時の社会的な事情との相互関係から生じる深刻な摩擦については、比較的常識的な見方で終っている。葉子の悲劇を解くためには、葉子が倉知をあのように愛し、自分がこれまで待っていた人が現われた、待ちに待っていた生活がやっと来た、と狂喜しながら、何故、妹や、或は古藤に向って、噂が嘘であるかのように、いわゆる潔白な自身というものを認めさせようとするような小細工をする気になるか。その点こそ十分に作者によって解剖されなければならないところであったと思う。遺憾ながら作者の眼光はそこまで徹しなかった。作者は、ただひたすら「昔のままの女であらせようとするものばかり」かたまっている周囲の社会に対して戦っている葉子を理解している。作者としてそれを支持している。しかし、ではどのような新しい道が葉子のためにあったろうか。葉子の時代はその新しかるべき道が女のために未だはっきりとは示されていなかった。キリスト教の文化から背を向ければ、芸術的気質のない葉子には、擡頭しようとする日本の資本主義の社会、その社会のモラル、いわゆる腕が利く、利かぬの目安で人物を評価する俗的見解の道しか見えなかったことは推察される。
作者は一九一七年に再びこの作に手を入れている。そして婦人に対して作者は道徳よりも道理を重んずることを求めている。このときに到っても、やはり葉子の中にあって彼女を一層混乱させ、非条理に陥らせている封建的な道徳感への屈伏を作者は抉り出すことに成功してはいないのである。
葉子の恋愛の描写の中に感銘を与えられることがもう一つある。それは作者が、恋愛というものに、消極的な性質を帯びたものと、積極的なものとあり、ある人の一生の時期の微妙な潮のさしひき、社会と個人との結合の関係などによって、恋愛のそれぞれの性質が発端において何れかに決せられると共に、発展の過程で恐ろしい作用を生活の上に及ぼすものだという事実を、無邪気に或は溺情的に見落している点である。葉子は最後に、倉知と自分とはお互に零落させ合うような愛し方をしたが、それもなつかしい、と云っている。作者もそれ以外には何も云っていない。恐らくこの蔭に有島武郎という人の情緒の感傷的な性格が潜んでいたのであろう。作者自身がそれによって最後を終った恋愛も、激しく震撼的ではあったであろうが、本質的にはある零落と呼び得る方向へ向って行く性質を帯びたものであった。しかし、当事者はそう思わず、主観的な歓喜と平安とを主張して終ったのであった。