或る画家の祝宴
宮本百合子
何心なく場内を眺めているうちに、不思議なことに注意をひかれた。その夜は、明治、大正、昭和と経て還暦になった或る洋画家のために開かれた祝賀の会なのであった。この燈火の煌いた華やかな宴席には、もう何年も前に名をきき知っているばかりでなく、幾つかの絵を展覧会場で見ていて、自分なりに其々にうけ入れているような大家たちも席をつらねている。
司会者の何か特別な意図がふくまれていたのであろうか、
祝宴の主人公であるその画家の坐っている中央のテーブルは、純然の家族席としてまとめられている。夫人、成人して若い妻となっている令嬢、その良人その他幼い洋服姿の男の子、或は先夫人かと思われるような婦人まで、正座の画家をめぐって花で飾られたテーブルのまわりをきっしりととりかこんでいるのである。
一応は和気藹々たるその光景は、主人公がほかならぬ画家であるということから、むしろ異様に孤独に、鬼気さえもはらんで忘れがたい感銘を与えられた。
芸術の道をゆくとき、画家にとって道づれは、今こうやってテーブルに何か雑然と無意味な賑やかさでついている大小さまざまの家族たちであろうか。それとも友達、同時代人、或は先輩後輩であろうか。
かりに、自分が当夜の主人公であり、画業何十年かの果にこういう席のわり当ての還暦の祝を催されたとしたら、私は戦慄を禁じ得なかったろうと思う。
芸術家は孤独をおそれない勇気を常にもたなければならない。けれども、おそるべき性質の孤独があるとをいうことをも知らなければならない。