れんがとり次いでいる声がとぎれとぎれに聞えた。程なく、彼女は、室の内側に開く扉のかげにはりついたような形をして首だけ彼に向けながら
「依岡様からお電話でございます。あの――」
何故か、れんはこの時総入歯の歯を出してにっと笑った。
「旦那様の御加減はいかがでございますかと仰云ってでございます。そして、若しおよろしいようなら、今日は折角でございますから奥様だけでも是非おいで下さいますように。一年にたった一度のクリスマスで――」
「一年にたった一度のクリスマス!」その一句は、異様に彼の神経を刺戟した。まるで、その一度きりの日にさえ、妻の外出を止めるお前は良人なのかと云う詰問が含まれてでもいるようではないか。依岡の女中が一年にたった一度のクリスマスなんかと云うものか、この婆さん!
彼は、真白い、二つ積ねの枕の上に仰向いたまま云った。
「一年に一度でも二度でも今日は上れませんと云え。奥さんだって行く気はないんだ」
扉の把手を握ったまま、れんはあわてて二三度腰をかがめた。
「はい。はいはい」
扉をしめながら、彼女は更に一つをつけ加えた。
「はい。――」
彼は天井を見ながら我知らず苦笑を洩した。が、その笑が消え切らないうちに、彼の胸には、妙な鬱憤がくすぶって来た。
彼は眉を顰めながら、敷布の間で体の位置をかえた。枕の工合をなおした。
彼にはれんがちゃんと断って来た報告をしないのが気に触った。其上いつもなら枕元に椅子を引きよせて、五月蠅いほど何か喋ったり笑ったりする彼女―― Chatterbox が、自分の部屋に引こんだきりことりともさせないのは穏やかでない。
部屋はがらんと広く、明るく無人島のような感じを与えた。彼は暫く、両方の瞳を隅の方に凝して厚い壁で仕切られた隣室の様子に注意した。こっそり立ってクリーム色の壁のむこうを覗いて見たい気が頻りにした。――医者は動くことを禁じている。――
彼は、指先に力を入れてジーッとベルを押した。
跫音がして扉が裏側にれんをはりつけて開いた、彼女は、今度も把手に左手をかけたまま、首だけさし延して主人の方を見た。
彼女の顔は期待で緊張していた。何か一言云われたら、時を移さず「はい」と云う返事もろ共その膝をかがめようと、心に用意し決心しているかのようにさえ見える。
彼は、擽ったい焦立たしさを感じた。彼はぶっきら棒に云った。
「さっきの返事は?」
「はい?」
「さっきの電話の返事は?」
「ああ、ほんにまあ。――丁度お豆腐やさんがね参りまして」
「何て依岡で云ったんだ」
「――依岡様でよろしく申上てくれと仰云いました。いずれお正月にでもなりましたら旦那様も御全快になりますでしょうから、お二人様でおいでいただきましょうと仰云いました」