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医院坡上吊之家-第一部 第一編(5)

时间: 2022-05-31    进入日语论坛
核心提示:光枝はべつに腹黒い女でもなく、また財産目当てでもなかった。ただ孤独な若旦那に同情して、なにかと面倒をみているうちに恋が芽
(单词翻译:双击或拖选)

 

光枝はべつに腹黒い女でもなく、また財産目当てでもなかった。ただ孤独な若旦那に同

情して、なにかと面倒をみているうちに恋が芽生え、のっぴきならぬ仲になったのである。

彼女はむしろ気のいい楽天家であった。

「まあ、まあ、泰ちゃんたら、あなたなんてことするの」

静岡在の光枝の実家にひそんでいる、泰蔵と光枝を呼びもどしたとき、弥生は苦笑しな

がらふたりの仲を許して、一家を持たせた。さすがに母千鶴の血をひいているだけあって、

父ほど醜くはなかったが、青んぶくれしたような男で、口許にしまりがなく、いつもヨダ

レを垂らしているように見えたという。

泰蔵は当然学校を追われたので、弥生はかれを法眼病院の事務員として使った。そのこ

ろからかれは生活無能力者みたいなところがあり、一家を支えているのはむしろ光枝のほ

うであった。法眼家になにかことがあると、いちばんに駆け着けてくるのは光枝であり、

彼女はかいがいしくよく働いた。

大正六年泰蔵と光枝のあいだに一子透《とおる》がうまれたが、歴史はくりかえすと

いうのか、早熟一家の業というのか、昭和八年透は十七歳で私立中学の四年であったが、

かれもまた女をつくってその翌年滋《しげる》という子供をうませた。

泰蔵はかぞえ年三十五歳にして祖父になったわけだが、かれはただオロオロするばかり

で、わが身にひきくらべても、息子の不始末をどう処置してよいかわからなかった。その

時分猛蔵はもう完全に泰蔵一家を見離していた。

仕方なしに妻の光枝が夫の異父姉《あ ね》の弥生に泣きついた。

「あら、まあ、あら、まあ。透ちゃんまで……」

と、弥生は驚いたり呆《あき》れたりしながら、それでも乗り出してきて透と女の手

を切らせた。この場合女は金が目当てだったらしく、多額の手切れ金を支払うことによっ

て案外簡単に解決したが、困ったのは滋の身のふりかただった。しかし、それも泰蔵と光

枝のあいだにうまれた子として入籍されることによって糊《こ》塗《と》された。そ

のとき泰蔵は三十五歳、妻の光枝は三十七歳だったので、子供がうまれたとしてもふしぎ

ではない年頃だった。

その翌年猛蔵が死亡した。明治元年うまれのこのひとはそのとき六十八歳であったが、

五十嵐産業といえばそうとう大きな財閥にのしあがっており、傘《さん》下《か》に

いろいろ業種のちがった子会社を擁して、それぞれ繁栄していたという。弥生はそこの副

社長であった。

死ぬまえに猛蔵は遺言状をつくっていた。それによると五十嵐産業の全事業と、五十嵐

家の全財産は養女弥生に譲られることになっており、泰蔵はビタ一文の恩恵にもあずかれ

なかった。妻の光枝はいくらか不平らしかったが、泰蔵は平然として、

「いいよ、いいよ、姉さんにまかせときゃいいんだ。姉さん悪いようにゃしねえだろうよ」

事実弥生は茅場町の家を泰蔵に与えた。泰蔵は光枝との一件があって以来、その家の敷

居をまたぐことさえ許されなかったのである。かつてその家の女中として働いていた光枝

は、そこの女主人に納まることによって納得したらしい。それのみならず弥生は月々の手

当として過分のものを当てがったので、かれはさっそくほかに妾《めかけ》をかこって、

そちらで暮らす日のほうが多かった。

昭和二十年三月九日の大空襲のとき、かれは赤坂の妾宅にいたが、泥《でい》酔《す

い》していたかれはほとんど全裸のすがたで表へとび出し、

「もっと落とせ、もっと落とせ、いくらでもどんどん落としゃあがれ」

と、空にむかって啖《たん》呵《か》を切っているうちに、ほんとうに直撃弾にあ

たって死んだという。いかにも泰蔵の最期らしいとひとにいわれた。

おなじ夜の空襲で茅場町の家も全焼してしまったので、光枝は孫にして倅なる滋ととも

に、着のみ着のままで弥生のもとへ駆け込んだ。それよりさき滋の父透は、太平洋戦争が

勃《ぼっ》発《ぱつ》してからまもなく応召していて、ガダルカナルで戦死したという

報が入っていたので、いまや猛蔵の血をひいているものは滋ひとりになっていた。

いっぽう法眼病院の創始者、法眼鉄馬も大正十一年に死亡している。享年《きょうね

ん》六十一歳。当時はまだ中位の病院だったのを、のちの大病院にまで育てあげたのは二

代目の琢也院長だが、巷《こう》間《かん》伝うるところによると、琢也はたんなる

学究肌で、法眼病院を東京でも一といって二と下らぬ大病院にまで仕上げたのは、主とし

て弥生の手腕であったろうといわれている。

終戦時分彼女は五十嵐産業の会長であると同時に、財団法人法眼病院の理事長でもあっ

た。

さて、いやに前置きが長くなったが、ここに法眼、五十嵐両家の系図をかかげておくこ

とにする。これによって錯《さく》綜《そう》した読者諸賢の頭脳も、いくらか整理

されるであろうと思うからである。

それではいよいよこのおぞましい事件のほうへ筆をすすめていこうと思うのだが、その

まえに昭和二十八年当時生存していた法眼、五十嵐両家のひとの年齢をここに挙げておく

ことにしよう。断わっておくが全部かぞえ年である。

#ここから字下げ

法眼 弥生 六十五歳

由香利 二十二歳

五十嵐 滋 二十歳

光枝 五十六歳

#ここで字下げ終わり

法眼琢也や由香利の両親、三郎万里子の夫婦はどうなったのか、それは物語をすすめて

いく途中で、書き加えていくことになるだろう。


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