彼女は、何か嬉しいことがあると、
「アラ!」
と云って鈴の様な目を見はり、それから、くすぐったい様な表情で、唇を何とも云えぬ愛らしい恰好に曲げて、嫣然と微笑するのが癖であった。わしは、その微笑を見る為には、どんな大きな犠牲を払うことも辞さなかった。なぜと云って、瑠璃子の方でも、この上もなくわしを愛していたのだから。
わしの家は俄に賑やかになった。瑠璃子を喜ばせる為の、小宴が屡々行われ、知人という知人が招かれた。わしの妻はそういう席上で、美しい女王の様に振舞うのが好きであった。わしは又、それを見るのが好きであった。
中にも親友の川村はよく遊びに来た。彼は案内も乞わず、わしの家へ入って来る程親しかった。わしの家を我家の様にふるまった。瑠璃子とも大の仲よしで、三人鼎座して、罪もなく笑い興じる日が多かった。
流石に苦労した男丈けあって、川村は交際術にかけては、すばらしい腕前を持っていた。一度会ったばかりで、誰も彼も、彼に非常な親しみを感じる様に見えた。瑠璃子も例外ではなかった。川村は瑠璃子を喜ばせる術にかけては、確にわしよりも役者が一枚上であった。三人で話していても、川村と瑠璃子ばかり話がはずむ様なことも屡々あった。
だが、わしはそれが嬉しかった。妻を娶って、親友の心が離れて行くかと案じたのは、杞憂に過ぎなかったのを知って、わしは大満足であった。
皆さん考えて見て下さい。この様な幸福が又と世にあるじゃろうか。
名誉ある爵位を持ち、家は富み、日本一の、少くもわしの目にはそう見えた美人を妻とし、その妻には愛され、親友には親しまれ、しかも、わしはまだ若かったのだ。これが人間最上の幸福でなくて何であろう。極楽世界でなくて何であろう。わしはあんまりよすぎて、いっそ勿体ない様な、空恐ろしい様な気持さえした。
あれはいつであったか、何でも結婚してから一年以上もたった時分だと思うが、川村と二人切で、例によって女について論じあっていた時、わしが一年以前とは、まるでうらはらに、女性を褒めそやすものだから、川村はたじたじとなって、何ぜか少し陰気な顔をしながら、
「君は本当に善人だよ」
と溜息をつかぬばかりの調子で云った。
何だか変に聞えたので、
「どうして、そんなことを云い出すのだ」
と尋ねると、
「少しも疑いということを知らぬからさ」
と、益々妙なことを云う。
「疑いといって、誰も疑う人がなければ仕方がないじゃないか」
「イヤ、世間には、我妻を疑って、嫉妬の余り、随分無駄な苦労をする奴もあるからさ」
「なんだって、嫉妬だって。だが君、嫉妬をしろと云っても、あの子供の様に無邪気な瑠璃子を、どう疑い様もないではないか」
わしがむきになって妻の弁護をすると、川村は他意もなく笑い出した。
「そうだね。本当にそうだね。瑠璃子さんは、雛菊の様に無邪気な乙女だね」
そして、彼はワーズワースの『雛菊の詩』を口ずさみ始めたものだ。彼は英詩の朗吟が巧であった。
わしはそれに聞き惚れた。そして、さい前の彼の変な言葉を、忘れるともなく忘れてしまったが、遠からず、あの会話をマザマザと思い出さなければならぬ様な、不吉な時がやって来るとは、神様でないわしに、どうして知ることが出来たろう。
二年の月日は、瞬く内にたってしまった。その間、これという変ったこともない。瑠璃子は益々美しく、わし達夫婦の仲は愈々睦まじかった。凡て凡て、極楽世界の四字に尽きていた。