西洋の復讐譚には、罠にかかった犠牲者の哀れにもみじめな有様を見て、アッサリ復讐を思い切ってしまう例がよくあるけれど、わしはそんな弱虫ではなかった。川村のこの苦しみも、わしが受けた大苦悶に比べては、寧ろ少きに失する程なのだ。「目には目を、歯には歯を」これがわしの動かし難き信念であった。
「川村君、聞き給え、わしの考えが分るかね。この奇妙なカラクリを作った意味が分るかね。君は、コンクリートの下敷きになって、一枚の煎餅と変るのだ。そして、君の喉笛には、同じ様に煎餅になった赤ん坊の骸骨が、執念深くからみつくのだ。その恐ろしい親子煎餅をね、あいつに、その赤ん坊を産んだ女に、見せてやるのだ。あいつはどんな顔をして驚くだろう。わしはその顔を見るのが今から楽しみだよ。ハハハハハハハ」
わしは自身気でも違った様に、云いたいことをわめき散らした。
川村の苦悶は長かった。天井が床に密着するまでには、たっぷり一時間はかかるのだ。その間彼は、虫の這う様に遅々として下って来る天井を支えながら、徐々に腰をかがめ、次には坐り、次には蹲り、遂に横臥して、目を圧する大磐石に、とじこめられ、骨をしめぎにかけられるまで、何等の施すべき手段もなく、泣きわめきながら、空しく待っていなければならなかった。アア斯くの如き大苦痛を味った人間が、嘗てあったであろうか。
川村は犬殺しの檻の中へ投げ込まれた野犬の様に、ギャンギャンと狂わしく泣き叫んだ。
「アア、俺はなぜ早く死ねないのだ。殺してくれ。さっきの短刀を返してくれ。ピストルでうち殺してくれ。首をしめてくれ。殺してくれエエ……」
ありとあらゆる歎願と呪咀が、絶えては続き、絶えては続き覗き穴を漏れて来た。
コンクリートの天井が、半分程下降した頃、機械係りの志村がヨロヨロと現われた。見ると、彼は死人の様に青ざめて、顔中に油汗を流している。
「旦那様、私はもう迚も勤まりません。お慈悲です。どうかお暇を下さい」
彼はハッハッと息を切らしながら、解雇を申出でた。
「恐ろしいのか」
わしは冷然として聞返した。
「ハイ、恐ろしいのです。あいつよりも私の方が死んでしまいたい位です」
「無理はない。君にまでこの上の苦痛を与えるには及ばぬ。よく勤めてくれた。では今日限り暇を上げる。これはお礼のしるしだ」
わしは予めお堂の中へ持込んで置いた、折鞄を志村に渡した。十万円の紙幣が入っているのだ。
× × × ×
志村が立去ってから十分程経過した。一度スイッチを入れた機械は、彼がいなくても、休みなく動いている。
わしは例の覗き穴の前に立って、奇妙なものを眺めていた。
それは穴の中からニュッと突出した一本の腕であった。
人間の生きんとする執念は恐ろしい。川村はその三寸角程の小さな覗き穴から、外界へ逃げ出そうとしたのだ。最早可能不可能は問題でなかった。水死人が藁を掴む様に、彼はその小穴に縋りついた。
彼は最初、そこから首を出そうとしてもがいた。だが、覗き穴から見えている彼の顔面は、少しずつ少しずつ、下の方へ隠れて行った。コンクリートの天井が、もう覗き穴の平面まで来ていて、彼の頭をグングン圧し下げたのだ。
首はもう駄目だ。併し、まだ少しばかり隙間がある。そこから川村は右腕を差出した。腕丈けでも逃げ出そうとする、恐ろしい執念だ。
腕はだんだんしめつけられて行った。
五本の指が空中に舞踏を踊った。腕そのものが一つの生物の様に、のたうち廻った。
そして、断末魔だ。
五本の指がギュッと握られたかと思うと、二三度痙攣して、ダラリと開いた。同時に真直に延びていた腕が、汽車のシグナルの様に力なく斜めに下った。
「川村君、聞き給え、わしの考えが分るかね。この奇妙なカラクリを作った意味が分るかね。君は、コンクリートの下敷きになって、一枚の煎餅と変るのだ。そして、君の喉笛には、同じ様に煎餅になった赤ん坊の骸骨が、執念深くからみつくのだ。その恐ろしい親子煎餅をね、あいつに、その赤ん坊を産んだ女に、見せてやるのだ。あいつはどんな顔をして驚くだろう。わしはその顔を見るのが今から楽しみだよ。ハハハハハハハ」
わしは自身気でも違った様に、云いたいことをわめき散らした。
川村の苦悶は長かった。天井が床に密着するまでには、たっぷり一時間はかかるのだ。その間彼は、虫の這う様に遅々として下って来る天井を支えながら、徐々に腰をかがめ、次には坐り、次には蹲り、遂に横臥して、目を圧する大磐石に、とじこめられ、骨をしめぎにかけられるまで、何等の施すべき手段もなく、泣きわめきながら、空しく待っていなければならなかった。アア斯くの如き大苦痛を味った人間が、嘗てあったであろうか。
川村は犬殺しの檻の中へ投げ込まれた野犬の様に、ギャンギャンと狂わしく泣き叫んだ。
「アア、俺はなぜ早く死ねないのだ。殺してくれ。さっきの短刀を返してくれ。ピストルでうち殺してくれ。首をしめてくれ。殺してくれエエ……」
ありとあらゆる歎願と呪咀が、絶えては続き、絶えては続き覗き穴を漏れて来た。
コンクリートの天井が、半分程下降した頃、機械係りの志村がヨロヨロと現われた。見ると、彼は死人の様に青ざめて、顔中に油汗を流している。
「旦那様、私はもう迚も勤まりません。お慈悲です。どうかお暇を下さい」
彼はハッハッと息を切らしながら、解雇を申出でた。
「恐ろしいのか」
わしは冷然として聞返した。
「ハイ、恐ろしいのです。あいつよりも私の方が死んでしまいたい位です」
「無理はない。君にまでこの上の苦痛を与えるには及ばぬ。よく勤めてくれた。では今日限り暇を上げる。これはお礼のしるしだ」
わしは予めお堂の中へ持込んで置いた、折鞄を志村に渡した。十万円の紙幣が入っているのだ。
× × × ×
志村が立去ってから十分程経過した。一度スイッチを入れた機械は、彼がいなくても、休みなく動いている。
わしは例の覗き穴の前に立って、奇妙なものを眺めていた。
それは穴の中からニュッと突出した一本の腕であった。
人間の生きんとする執念は恐ろしい。川村はその三寸角程の小さな覗き穴から、外界へ逃げ出そうとしたのだ。最早可能不可能は問題でなかった。水死人が藁を掴む様に、彼はその小穴に縋りついた。
彼は最初、そこから首を出そうとしてもがいた。だが、覗き穴から見えている彼の顔面は、少しずつ少しずつ、下の方へ隠れて行った。コンクリートの天井が、もう覗き穴の平面まで来ていて、彼の頭をグングン圧し下げたのだ。
首はもう駄目だ。併し、まだ少しばかり隙間がある。そこから川村は右腕を差出した。腕丈けでも逃げ出そうとする、恐ろしい執念だ。
腕はだんだんしめつけられて行った。
五本の指が空中に舞踏を踊った。腕そのものが一つの生物の様に、のたうち廻った。
そして、断末魔だ。
五本の指がギュッと握られたかと思うと、二三度痙攣して、ダラリと開いた。同時に真直に延びていた腕が、汽車のシグナルの様に力なく斜めに下った。