オイ、山田、貴様さぞ満足だろうな。政府の奴からは褒美を貰うし、俺の女房は天下晴て口説けるし。……だがな、オイ、俺の女房が貴様みたいな人非人になびくと思っているのか。女房のルイズは目色毛色の変った他国の娘だが、貴様みたいな人非人ではないぞ。サア、なびくかなびかぬか、これからルイズの所へ行って見るがいい。あれは定めし美しく化粧をして貴様の来るのを待っているだろう。身体中紅に染って、胸には美しい短剣を突き立てて、貞女の死顔を貴様に見せ度いと云っていたぜ。これがあいつのことづけだ」
「ア、貴様、それじゃルイズさんを殺したんだな」
山田は思わず唸った。
「なんの俺が殺すものか。あいつは俺と別れた上に、貴様なんかに手ごめになる位なら、死んでしまう方がましだと云って、俺の目の前で自害をしたのだ。海賊の女房だって操というものは心得ているのだ。サア、早く行って見るがいい」
それを聞くと、山田は真青になって、その場に居たたまらずコソコソとどこかへ立去った。
わしはこの有様を見て、実に何とも云えぬ感慨にうたれた。山田の振舞は、日本人の面汚しで甚だ不愉快だったが、朱凌谿の態度は、賊ながら流石に立派なものだ。殊にその妻のルイズという女が、あだし男をはねつけて、夫に殉じて自害したというのは、何と見上げた心持であろう。見れば山田という男は、朱凌谿に比べて年も若く、のっぺりとした美男子であったが、若し賊の妻がルイズでなくて、瑠璃子であったらどうだろう。果してこの様な見上げた振舞が出来たであろうか。と思うと、わしは何とも云えぬいやあな気持になった。そして、あのいまわしい姦夫姦婦の俤が、憎々しくわしの頭に浮上った。
それはさて置き、賊が罵ったのは山田という手下であったことは分ったが、その前に「お前の姿は俺にも見破れぬ」と感心したのは、山田ではなくて、確にわしのことであった。此上また賊から何か云いかけられては困る。早く立去るに越したことはないと、朱凌谿の方を眺めたところが、賊の目は又わしの顔に釘着けになっていることが分った。しかも、何か物云いたげに、しきりと目配せをしているではないか。
エエ、いっそのこと、大胆にわしの方から賊に近づいてやれ。そうした方が却て警官達の疑いをはらすことが出来ようと、わしは、ポケットから四五枚の紙幣を取出して、ソッと警官に握らせ、習い覚た簡単な支那語と手真似とで、少しこの男と話をさせてくれと頼んで見た。
警官はジロジロとわしの風体を眺めていたが、物好きな紳士もあるものだという様な顔つきで、不承不承に許してくれた。当時の支那巡査なんて、袖の下次第で、大抵のことは融通を利かしてくれたものだ。
「わたしに云い残すことがあるなら、聞いて置きましょう」
わしは、彼の手下かどうか、どちらとも解釈出来る様な曖昧な調子で話しかけた。
「フン、分らん。どうも分らん。その黒眼鏡を取ればきっと分るのだがなあ。併しまあいい。その眼鏡はこんな場所で迂闊にもはずせまい。それよりはお前に聞き度いことがある。お前あの秘密を知っているだろうな」
賊は周囲に気を配りながら、グッと声を低めて尋ねた。
秘密とは何のことか、彼の手下でないわしには分る道理がない。察するに、賊はこの一言でわしが真の手下かどうかを試そうとしているのだ。危い危い。
だが、わしはふとあることを思いついたので、大胆に云って見た。
「知ってます。大牟田の墓穴でしょう」
すると、賊はさも満足の体で、
「よしよし、もう云うな。あれを知っているからには、お前は確に俺の味方だ。あれをあのまま地の底で腐らせてしまうのは惜しいものだと思っていたが、お前が知っていればそれでいい。ソッと取出して、お前の勝手に使ってしまえ」
賊のこの一言で、わしは彼の大資産を口ずから譲り受けた訳だ。もう何の気兼ねをすることもない。わしはあの無限の財宝を、大復讐の費用として、思う存分使うことが出来るのだ。わしは余りの嬉しさに、思わず相好がくずれ相になるのを、やっとのことで食いとめた。
「だが、あんまり巧くばけているので、どうも俺には分らぬ。お前は一体誰だ」
賊は又小声になって、恐ろしい質問を発した。
「名前を云わなくても、わたしの外にあの秘密を知っているものはないのだから分っているじゃありませんか」
わしは実に大胆不敵な返事をしたものだ。
「ウン、そうか。俺も多分お前だろうと思っていた」
仕合わせにも、賊は少しも疑念を抱かず、しきりと肯いて見せた。
その内に立話が余り長引くものだから、しびれを切らせた警官が、わし達を引分けて、賊を連れ去った。わしはホッと胸なでおろして、遠ざかり行く海賊大首領のうしろ姿をぼんやり眺めていた。
さて、その翌日、わしは愈々上海をあとにして、故郷のS市へと出発した。上海滞在の一ヶ月半に、練りに練った復讐計画によって、憎むべき姦夫姦婦の上に世にも恐しき地獄の刑罰を科する為に。
わしの復讐計画がどの様に戦慄すべきものであったか。わしは果して、姦夫姦婦に見破られることなく、この大事業を為しとげることが出来たであろうか。
皆さんは、わしが瑠璃子を溺愛し、彼女の美しい笑顔の前には、何の抵抗力もない無能力者同然であったことを記憶されるで
「ア、貴様、それじゃルイズさんを殺したんだな」
山田は思わず唸った。
「なんの俺が殺すものか。あいつは俺と別れた上に、貴様なんかに手ごめになる位なら、死んでしまう方がましだと云って、俺の目の前で自害をしたのだ。海賊の女房だって操というものは心得ているのだ。サア、早く行って見るがいい」
それを聞くと、山田は真青になって、その場に居たたまらずコソコソとどこかへ立去った。
わしはこの有様を見て、実に何とも云えぬ感慨にうたれた。山田の振舞は、日本人の面汚しで甚だ不愉快だったが、朱凌谿の態度は、賊ながら流石に立派なものだ。殊にその妻のルイズという女が、あだし男をはねつけて、夫に殉じて自害したというのは、何と見上げた心持であろう。見れば山田という男は、朱凌谿に比べて年も若く、のっぺりとした美男子であったが、若し賊の妻がルイズでなくて、瑠璃子であったらどうだろう。果してこの様な見上げた振舞が出来たであろうか。と思うと、わしは何とも云えぬいやあな気持になった。そして、あのいまわしい姦夫姦婦の俤が、憎々しくわしの頭に浮上った。
それはさて置き、賊が罵ったのは山田という手下であったことは分ったが、その前に「お前の姿は俺にも見破れぬ」と感心したのは、山田ではなくて、確にわしのことであった。此上また賊から何か云いかけられては困る。早く立去るに越したことはないと、朱凌谿の方を眺めたところが、賊の目は又わしの顔に釘着けになっていることが分った。しかも、何か物云いたげに、しきりと目配せをしているではないか。
エエ、いっそのこと、大胆にわしの方から賊に近づいてやれ。そうした方が却て警官達の疑いをはらすことが出来ようと、わしは、ポケットから四五枚の紙幣を取出して、ソッと警官に握らせ、習い覚た簡単な支那語と手真似とで、少しこの男と話をさせてくれと頼んで見た。
警官はジロジロとわしの風体を眺めていたが、物好きな紳士もあるものだという様な顔つきで、不承不承に許してくれた。当時の支那巡査なんて、袖の下次第で、大抵のことは融通を利かしてくれたものだ。
「わたしに云い残すことがあるなら、聞いて置きましょう」
わしは、彼の手下かどうか、どちらとも解釈出来る様な曖昧な調子で話しかけた。
「フン、分らん。どうも分らん。その黒眼鏡を取ればきっと分るのだがなあ。併しまあいい。その眼鏡はこんな場所で迂闊にもはずせまい。それよりはお前に聞き度いことがある。お前あの秘密を知っているだろうな」
賊は周囲に気を配りながら、グッと声を低めて尋ねた。
秘密とは何のことか、彼の手下でないわしには分る道理がない。察するに、賊はこの一言でわしが真の手下かどうかを試そうとしているのだ。危い危い。
だが、わしはふとあることを思いついたので、大胆に云って見た。
「知ってます。大牟田の墓穴でしょう」
すると、賊はさも満足の体で、
「よしよし、もう云うな。あれを知っているからには、お前は確に俺の味方だ。あれをあのまま地の底で腐らせてしまうのは惜しいものだと思っていたが、お前が知っていればそれでいい。ソッと取出して、お前の勝手に使ってしまえ」
賊のこの一言で、わしは彼の大資産を口ずから譲り受けた訳だ。もう何の気兼ねをすることもない。わしはあの無限の財宝を、大復讐の費用として、思う存分使うことが出来るのだ。わしは余りの嬉しさに、思わず相好がくずれ相になるのを、やっとのことで食いとめた。
「だが、あんまり巧くばけているので、どうも俺には分らぬ。お前は一体誰だ」
賊は又小声になって、恐ろしい質問を発した。
「名前を云わなくても、わたしの外にあの秘密を知っているものはないのだから分っているじゃありませんか」
わしは実に大胆不敵な返事をしたものだ。
「ウン、そうか。俺も多分お前だろうと思っていた」
仕合わせにも、賊は少しも疑念を抱かず、しきりと肯いて見せた。
その内に立話が余り長引くものだから、しびれを切らせた警官が、わし達を引分けて、賊を連れ去った。わしはホッと胸なでおろして、遠ざかり行く海賊大首領のうしろ姿をぼんやり眺めていた。
さて、その翌日、わしは愈々上海をあとにして、故郷のS市へと出発した。上海滞在の一ヶ月半に、練りに練った復讐計画によって、憎むべき姦夫姦婦の上に世にも恐しき地獄の刑罰を科する為に。
わしの復讐計画がどの様に戦慄すべきものであったか。わしは果して、姦夫姦婦に見破られることなく、この大事業を為しとげることが出来たであろうか。
皆さんは、わしが瑠璃子を溺愛し、彼女の美しい笑顔の前には、何の抵抗力もない無能力者同然であったことを記憶されるで