可哀相な老婆は、わしの目を見ると、えたいの知れぬ叫び声を発して、矢庭に逃げ出そうとした。人里離れた森の下暗で、突然白装束の故人に出会ったのだ。幽霊と思うのも無理ではない。
「お豊お待ち、怪しいものではない。わしだよ」
再び声をかけたが、おびえ切ったお豊は身を縮めて、容易に近づこうとはせぬ。
「どなたです。その覆面を取って下さい」
甲高い震え声だ。
「イヤ、これを取らずとも、お前にはわしが誰だか分る筈だ。この目をごらん。この声をお聞き」
わしはジリジリと婆やに近づいて行った。
「イイエ、わたくし、分りません。そんな筈がございません」
お豊はまるで悪夢にうなされている様に、死にもの狂いだ。
「そんな筈がないといっても、こうしてわしがここに立っているのが、何より確な事実ではないか。わしはお前の主人だ。大牟田敏清だ。サア、白状しなさい。お前はここへ何をしに来たのだ」
お豊はまるで死人の様に青ざめて、石になったかと息さえもせぬ。
「白状しないのだね。よろしい。それではそこを動かないで、わしのすることを見ているのだ。いいかね、わしが何をするか、よく見ているのだよ」
わしは別荘の物置小屋へ走って行って、一挺の鍬を持ち出して来た。そして、アッとたまげる婆やを尻目にかけながら、矢庭に紅葉の根元を掘り始めた。柔かい土がゴソリゴソリととれて、見る見る穴は深くなり、その底から、何か白い板の様なものが現れて来た。
「いけません。いけません。そればかりはお許しなすって下さい」
耐り兼ねたお豊が、泣き声になって、わしの手に縋りついた。
「では貴様、何もかも白状するか」
「します。します」
お豊奴とうとう泣き出してしまった。
「では尋ねるが、この土の中の白木の箱には何が入っているのか」
「それはアノ、……イイエ、わたくしがしたのじゃございません。わたくしはただ見ていたばかりでございます」
「そんなことはどうでもいい。ここに何が入っているかと尋ねるのだ」
「それは、それは……」
「云えないのか。ではわしが云ってやろう。この土の中の小さな棺桶には、生れたばかりの赤ん坊の死体が入っているのだ。しかも、その赤ん坊は実の父親と母親の為に、殺されたのだ。そして、ここへ埋られたのだ。母親というのは瑠璃子だ。父親は川村義雄だ。いいか、瑠璃子は不義の子を生みおとす為に、病気でもないのに、この別荘にとじこもって、人目を避けたのだ。わしが三月も病院住いをしている間に、宿った子だ。いくら悪党でも、それをわしの子と云いくるめることは出来なかったのだ。腫物なんて嘘の皮さ。ただ甘い亭主をだます悪がしこい手段に過ぎなかったのさ。オイ、お豊、わしの推察に少しでも間違った所があるか。あるなら云って見るがいい。それとも、この土の中の箱を掘出して、中を更めようか」
グングン押しつめられて、せっぱ詰ったお豊は、いきなりガックリ大地に膝をついて、サメザメと泣いた。泣きながら途切れ途切れに喋り出した。
「アア、恐ろしい。わたしは悪い夢を見ているのでしょうか。それともこの世の地獄に落ちたのでしょうか。おかくれ遊ばした旦那様が、こうして生きていらっしゃる。その上、誰知るまいと思っていた、この土の中の秘密をあばいておしまいなすった。アア、天罰です。これが天罰でなくて何でしょう。だから、だから、わたしは云わない事ではないのです。……
お生れ遊ばすとからお育て申した瑠璃子様が、こんな大それたお方とは、この乳母は、あまりのことに空恐ろしうございます。旦那様の御承知ないやや様を、こっそり産み落す丈けでも罪深いことですのに、その生れたばかりのやや様を、押殺してこの淋しい庭へ埋めてしまうとは。……
わたしは、奥さまにも、川村さんにも、やや様を里子におやり遊ばす様、どんなにお勧めしたかしれません。でも、お二人様はそんな事をしては、発覚のおそれがある。殺してしまうのが何より安全な手段だとおっしゃって、止める婆やをつきのけて、とうとう、こんなむごたらしいことをなすってしまったのです……。
忘れも致しません。丁度三月前の今日でございました。今日はやや様の御命日なのです。こんなとこに、葬うものもなく一人ぽっちでいらっしゃるやや様がおいとしくて、わたしはコッソリお詣りに来たのです。……
旦那様、イイエ、旦那様ではない、旦那様によく似たお方、婆やを可哀相だと思召して下さいませ。わたしは、もう一月も前に、瑠璃子さまからお暇が出たのでございます。正直者の婆やが、あの方達のお気に召さぬのでございましょう。国へ帰れといって旅費を頂いているのですけれど、ここに眠っていらっしゃるやや様がお可哀相で、つい一日延ばしに今日までグズグズ致して居りました。でも、そうそうは宿屋住いも出来ませんので、今日はお暇乞いにお詣りをしたのでございます」
語り終って、お豊はよよとばかり、地べたに泣き伏した。
アア、そうであったか、忠義者のお豊でさえ、見限る程の悪党だ。何で天が見逃して置くものか。神様はわしという人間の心に宿って、恐ろしい天罰を下し給うのだ。
そこでわしは、罪を悔いているお豊を慰め、持っていた財布をはたいて、国へ帰る旅費なり、帰ってからの生活費なりにしてくれと多額の金を与え、一日も早くこのいまわしいS市を立去る様悟して、彼女と別れた。
お豊はわしが大牟田敏清であることは信じていない様子だ。その人は確に死んでしまったのだし、仮令どうかして生きていたとしても、本当の大牟田なら、何も覆面などする必要はない筈だから、彼女が小暗い森の下蔭で、人間ではない、大牟田の死霊かなんぞに出会ったと迷信していたのは決して無理ではない。わしの目的にとっては、却ってその方が好都合なのだ。
さて、わしは愈々姦夫姦婦の大秘密を握った。土の中の赤ん坊。何というすばらしい武器だろう。わしはこの絶好の武器を思うさま利用して、憎みても余りある二人の大悪党を、こらしめなければならぬ。
わしが志村を大阪へやって、例の奇怪な実物幻燈と、壜詰の赤ん坊を手に入れる様に命じたのは、それから三四日あとのことであった。
「お豊お待ち、怪しいものではない。わしだよ」
再び声をかけたが、おびえ切ったお豊は身を縮めて、容易に近づこうとはせぬ。
「どなたです。その覆面を取って下さい」
甲高い震え声だ。
「イヤ、これを取らずとも、お前にはわしが誰だか分る筈だ。この目をごらん。この声をお聞き」
わしはジリジリと婆やに近づいて行った。
「イイエ、わたくし、分りません。そんな筈がございません」
お豊はまるで悪夢にうなされている様に、死にもの狂いだ。
「そんな筈がないといっても、こうしてわしがここに立っているのが、何より確な事実ではないか。わしはお前の主人だ。大牟田敏清だ。サア、白状しなさい。お前はここへ何をしに来たのだ」
お豊はまるで死人の様に青ざめて、石になったかと息さえもせぬ。
「白状しないのだね。よろしい。それではそこを動かないで、わしのすることを見ているのだ。いいかね、わしが何をするか、よく見ているのだよ」
わしは別荘の物置小屋へ走って行って、一挺の鍬を持ち出して来た。そして、アッとたまげる婆やを尻目にかけながら、矢庭に紅葉の根元を掘り始めた。柔かい土がゴソリゴソリととれて、見る見る穴は深くなり、その底から、何か白い板の様なものが現れて来た。
「いけません。いけません。そればかりはお許しなすって下さい」
耐り兼ねたお豊が、泣き声になって、わしの手に縋りついた。
「では貴様、何もかも白状するか」
「します。します」
お豊奴とうとう泣き出してしまった。
「では尋ねるが、この土の中の白木の箱には何が入っているのか」
「それはアノ、……イイエ、わたくしがしたのじゃございません。わたくしはただ見ていたばかりでございます」
「そんなことはどうでもいい。ここに何が入っているかと尋ねるのだ」
「それは、それは……」
「云えないのか。ではわしが云ってやろう。この土の中の小さな棺桶には、生れたばかりの赤ん坊の死体が入っているのだ。しかも、その赤ん坊は実の父親と母親の為に、殺されたのだ。そして、ここへ埋られたのだ。母親というのは瑠璃子だ。父親は川村義雄だ。いいか、瑠璃子は不義の子を生みおとす為に、病気でもないのに、この別荘にとじこもって、人目を避けたのだ。わしが三月も病院住いをしている間に、宿った子だ。いくら悪党でも、それをわしの子と云いくるめることは出来なかったのだ。腫物なんて嘘の皮さ。ただ甘い亭主をだます悪がしこい手段に過ぎなかったのさ。オイ、お豊、わしの推察に少しでも間違った所があるか。あるなら云って見るがいい。それとも、この土の中の箱を掘出して、中を更めようか」
グングン押しつめられて、せっぱ詰ったお豊は、いきなりガックリ大地に膝をついて、サメザメと泣いた。泣きながら途切れ途切れに喋り出した。
「アア、恐ろしい。わたしは悪い夢を見ているのでしょうか。それともこの世の地獄に落ちたのでしょうか。おかくれ遊ばした旦那様が、こうして生きていらっしゃる。その上、誰知るまいと思っていた、この土の中の秘密をあばいておしまいなすった。アア、天罰です。これが天罰でなくて何でしょう。だから、だから、わたしは云わない事ではないのです。……
お生れ遊ばすとからお育て申した瑠璃子様が、こんな大それたお方とは、この乳母は、あまりのことに空恐ろしうございます。旦那様の御承知ないやや様を、こっそり産み落す丈けでも罪深いことですのに、その生れたばかりのやや様を、押殺してこの淋しい庭へ埋めてしまうとは。……
わたしは、奥さまにも、川村さんにも、やや様を里子におやり遊ばす様、どんなにお勧めしたかしれません。でも、お二人様はそんな事をしては、発覚のおそれがある。殺してしまうのが何より安全な手段だとおっしゃって、止める婆やをつきのけて、とうとう、こんなむごたらしいことをなすってしまったのです……。
忘れも致しません。丁度三月前の今日でございました。今日はやや様の御命日なのです。こんなとこに、葬うものもなく一人ぽっちでいらっしゃるやや様がおいとしくて、わたしはコッソリお詣りに来たのです。……
旦那様、イイエ、旦那様ではない、旦那様によく似たお方、婆やを可哀相だと思召して下さいませ。わたしは、もう一月も前に、瑠璃子さまからお暇が出たのでございます。正直者の婆やが、あの方達のお気に召さぬのでございましょう。国へ帰れといって旅費を頂いているのですけれど、ここに眠っていらっしゃるやや様がお可哀相で、つい一日延ばしに今日までグズグズ致して居りました。でも、そうそうは宿屋住いも出来ませんので、今日はお暇乞いにお詣りをしたのでございます」
語り終って、お豊はよよとばかり、地べたに泣き伏した。
アア、そうであったか、忠義者のお豊でさえ、見限る程の悪党だ。何で天が見逃して置くものか。神様はわしという人間の心に宿って、恐ろしい天罰を下し給うのだ。
そこでわしは、罪を悔いているお豊を慰め、持っていた財布をはたいて、国へ帰る旅費なり、帰ってからの生活費なりにしてくれと多額の金を与え、一日も早くこのいまわしいS市を立去る様悟して、彼女と別れた。
お豊はわしが大牟田敏清であることは信じていない様子だ。その人は確に死んでしまったのだし、仮令どうかして生きていたとしても、本当の大牟田なら、何も覆面などする必要はない筈だから、彼女が小暗い森の下蔭で、人間ではない、大牟田の死霊かなんぞに出会ったと迷信していたのは決して無理ではない。わしの目的にとっては、却ってその方が好都合なのだ。
さて、わしは愈々姦夫姦婦の大秘密を握った。土の中の赤ん坊。何というすばらしい武器だろう。わしはこの絶好の武器を思うさま利用して、憎みても余りある二人の大悪党を、こらしめなければならぬ。
わしが志村を大阪へやって、例の奇怪な実物幻燈と、壜詰の赤ん坊を手に入れる様に命じたのは、それから三四日あとのことであった。