見ていると、その僅の間にさえ、離れているに耐えないのか、川村の奴はコソコソと瑠璃子のソファへ席を換え、彼女にすりよってその手を取った。
「およしなさい。里見さんが帰っていらっしゃるわ」
瑠璃子は満更らいや相でもなく、小声で男をたしなめた。
「ナアニ構うもんか。里見さんも薄々は感づいているのだ。先生僕等を似合いの夫婦だと云ってたぜ」
川村は美しい顔に似合わぬ図々しさで、ギュッと女の手を握りながら、
「だが、大丈夫かい。僕は少し気がもめるぜ」
と、早ややきもちを焼き始めた。
「アラ、何なの」
瑠璃子が空とぼけると、川村はわしの覗いているドアの方を顎でしゃくって、
「あの先生さ。君はどうも慾ばりだからね。子爵にさえ惚れたんだから、子爵の何倍という金持の里見さんは、いくら老人でも危いよ。君の様な虚栄女は、どうも不安で仕様がない」
アア何という口の利き方だ。これがS市社交界の紳士とあがめられる人物の言い草だろうか。
「まさか。……それにあの方は女嫌いだって云うじゃありませんか。さもしい邪推はお止し遊ばせ」
瑠璃子はちょっと川村を打つ真似をして、あでやかに笑った。
と、その時、突然部屋が真暗になってしまった。
「アラ」という瑠璃子の軽い叫び声。
「停電の様だね」と川村の声。
フフン、何が停電なものか。わしの秘書役の志村が、約束通りホテルの配電室に忍入り、そのスイッチを切ったのだ。Sホテル内丈けの人工停電だ。わしがさっき定めの時間といったのは、このことであった。
わしは急いで、部屋の一方に仕掛けて置いた小型の機械の側へ走って行った。すると間もなく、隣りの客間から、たまぎる様な女の悲鳴が聞えて来た。瑠璃子の声だ。
なぜ彼女は悲鳴を上げたのか。
それは無理もないのだ。停電で真暗になった客間に、いとも不思議な妖怪が現われたのだ。
暗闇の中に、薄ぼんやりと、何かモヤモヤしたものが二つ現われたかと思うと、徐々にそれが恐ろしい物の形に変って行った。闇の空間に二つの目が、各々が畳半畳もある、ギョッとする程巨大な二つの目が、ジッとこちらを睨んでいたのだ。
川村も瑠璃子も、幻影だと思ったに違いない。併し、幻影にしては、いつまでたっても消えぬのが少し変ではないか、しかも、その巨人の目は、決して初対面ではなかった、見ている内に、それが、嘗つて実在したある人物の目に似て来るのだ。オオそうだ。死んだ大牟田敏清の目だ。それが百千倍に拡大されて、今姦夫姦婦の前に浮上り、闇の中から彼等を睨み据えているのだ。
流石の毒婦もそれと悟ると、余りの恐ろしさに、思わず悲鳴を上げて、川村にしがみつき、川村も叫び出し相になるのをグッと噛みしめて、巨人の目を見つめたまま、腋の下と額とから、冷たい油汗を流した。
と想像するのだ。わしが見た訳ではない。見ようにも見られないではないか。なる程わしの目は千倍の大きさになって彼等の前にあったけれど、それはわしの目の影に過ぎなかった。本物のわしは、隣りの部屋に仕掛けた実物幻燈の中へ、黒眼鏡をはずした顔をさし入れて、屋外の電燈線につないだ二百燭光の電球とすれすれに、まぶしいのを我慢しながら、瞬きもせず目を見はっていたのだ。つまりお化の様な巨人の目は、わし自身の両眼を実物幻燈の仕掛けによって、客間の壁に写したものなのだ。
種を割ればあっけないが、当時実物幻燈なんて誰も知らなかったのだ。姦夫姦婦は、死者の亡魂がなせる業か、心の呵責から起った幻かと、迷いながらも、極度の恐怖に脅え、その効果は予期以上のものがあった。
瑠璃子の悲鳴を合図の様に、パッと電燈がともった。云うまでもなく、配電室の志村が頃を見はからってスイッチを入れたのだ。
電燈がつくと、わしは何食わぬ顔でドアを開き、客間に戻った。
「オヤ、どうかなすったのですか」
予期したことながら、余りにも覿面な効果に、わしは思わず声をかけた。
瑠璃子も川村も、真実幽霊を見た人の様に、空ろな目でキョトキョトと部屋を見廻し、額には玉の汗を浮べ、唇は乾き、青ざめた顔色は彼等こそ幽霊ではないかと怪しまれるばかりであった。
「イヤ、別に。突然暗くなったので、ちょっとびっくりしたのですよ」
川村は弁解する様に云って、ソッと唇を嘗めた。
ワハハハハハハ、愉快愉快、わしは先ず小手調べに成功したのだ。この分だと、前芸もうまく行き相だぞ。ではボチボチ取りかかることにしようかな。
「およしなさい。里見さんが帰っていらっしゃるわ」
瑠璃子は満更らいや相でもなく、小声で男をたしなめた。
「ナアニ構うもんか。里見さんも薄々は感づいているのだ。先生僕等を似合いの夫婦だと云ってたぜ」
川村は美しい顔に似合わぬ図々しさで、ギュッと女の手を握りながら、
「だが、大丈夫かい。僕は少し気がもめるぜ」
と、早ややきもちを焼き始めた。
「アラ、何なの」
瑠璃子が空とぼけると、川村はわしの覗いているドアの方を顎でしゃくって、
「あの先生さ。君はどうも慾ばりだからね。子爵にさえ惚れたんだから、子爵の何倍という金持の里見さんは、いくら老人でも危いよ。君の様な虚栄女は、どうも不安で仕様がない」
アア何という口の利き方だ。これがS市社交界の紳士とあがめられる人物の言い草だろうか。
「まさか。……それにあの方は女嫌いだって云うじゃありませんか。さもしい邪推はお止し遊ばせ」
瑠璃子はちょっと川村を打つ真似をして、あでやかに笑った。
と、その時、突然部屋が真暗になってしまった。
「アラ」という瑠璃子の軽い叫び声。
「停電の様だね」と川村の声。
フフン、何が停電なものか。わしの秘書役の志村が、約束通りホテルの配電室に忍入り、そのスイッチを切ったのだ。Sホテル内丈けの人工停電だ。わしがさっき定めの時間といったのは、このことであった。
わしは急いで、部屋の一方に仕掛けて置いた小型の機械の側へ走って行った。すると間もなく、隣りの客間から、たまぎる様な女の悲鳴が聞えて来た。瑠璃子の声だ。
なぜ彼女は悲鳴を上げたのか。
それは無理もないのだ。停電で真暗になった客間に、いとも不思議な妖怪が現われたのだ。
暗闇の中に、薄ぼんやりと、何かモヤモヤしたものが二つ現われたかと思うと、徐々にそれが恐ろしい物の形に変って行った。闇の空間に二つの目が、各々が畳半畳もある、ギョッとする程巨大な二つの目が、ジッとこちらを睨んでいたのだ。
川村も瑠璃子も、幻影だと思ったに違いない。併し、幻影にしては、いつまでたっても消えぬのが少し変ではないか、しかも、その巨人の目は、決して初対面ではなかった、見ている内に、それが、嘗つて実在したある人物の目に似て来るのだ。オオそうだ。死んだ大牟田敏清の目だ。それが百千倍に拡大されて、今姦夫姦婦の前に浮上り、闇の中から彼等を睨み据えているのだ。
流石の毒婦もそれと悟ると、余りの恐ろしさに、思わず悲鳴を上げて、川村にしがみつき、川村も叫び出し相になるのをグッと噛みしめて、巨人の目を見つめたまま、腋の下と額とから、冷たい油汗を流した。
と想像するのだ。わしが見た訳ではない。見ようにも見られないではないか。なる程わしの目は千倍の大きさになって彼等の前にあったけれど、それはわしの目の影に過ぎなかった。本物のわしは、隣りの部屋に仕掛けた実物幻燈の中へ、黒眼鏡をはずした顔をさし入れて、屋外の電燈線につないだ二百燭光の電球とすれすれに、まぶしいのを我慢しながら、瞬きもせず目を見はっていたのだ。つまりお化の様な巨人の目は、わし自身の両眼を実物幻燈の仕掛けによって、客間の壁に写したものなのだ。
種を割ればあっけないが、当時実物幻燈なんて誰も知らなかったのだ。姦夫姦婦は、死者の亡魂がなせる業か、心の呵責から起った幻かと、迷いながらも、極度の恐怖に脅え、その効果は予期以上のものがあった。
瑠璃子の悲鳴を合図の様に、パッと電燈がともった。云うまでもなく、配電室の志村が頃を見はからってスイッチを入れたのだ。
電燈がつくと、わしは何食わぬ顔でドアを開き、客間に戻った。
「オヤ、どうかなすったのですか」
予期したことながら、余りにも覿面な効果に、わしは思わず声をかけた。
瑠璃子も川村も、真実幽霊を見た人の様に、空ろな目でキョトキョトと部屋を見廻し、額には玉の汗を浮べ、唇は乾き、青ざめた顔色は彼等こそ幽霊ではないかと怪しまれるばかりであった。
「イヤ、別に。突然暗くなったので、ちょっとびっくりしたのですよ」
川村は弁解する様に云って、ソッと唇を嘗めた。
ワハハハハハハ、愉快愉快、わしは先ず小手調べに成功したのだ。この分だと、前芸もうまく行き相だぞ。ではボチボチ取りかかることにしようかな。