不思議なる恋
それから又数日が経過した。
その間にわしは一方では川村を手なずけ、このわしを無二の親友と思い込ませること、又一方では瑠璃子に接近し、彼女の心を得ることに、全力を尽した。
その甲斐あって、今では川村はわしを実の父の様に思い、何もかも打開けてわしの意見を求め、はては悪い相談まで持ちかける程になった。
わし達は車を連ねて、よく料理屋へ行ったものだ。そこではいつも、土地の売れっ子芸者をすぐって、弾けよ歌えよの乱痴気騒ぎが始まった。呑み助の川村は、酔っぱらうと優しい顔に似げなき狂態を演じた。
わしはそのグデングデンに酔っぱらった川村をそそのかして、よく瑠璃子の住まいへ送ってやったものだ。女が酔っぱらいを好く筈はない。
瑠璃子の心は、この狂態を見せつけられる度毎に、川村から離れて行く様に見えた。
川村を離れてどこへ行く。云わずと知れたわしへ来るのじゃ。瑠璃子め、嘗ては嫌い抜いたこのわしを愛し始めたのじゃ。女の心程えたいの知れぬものはない。白髪白髯のこの親爺のどこがよくてか。云わずと知れた金である。栄耀栄華と一緒にこのわしの白髪頭までが尊く見えたのかも知れない。
「あなたは、年寄りだ年寄りだと、一人で老込んでいらっしゃいますけれど、お見受け申した所、決してそうでございませんわ。その艶々したお顔色、立派なご体格、まるで三十そこそこの青年でいらっしゃいますわ。おぐしだって、見事に混りけのない真白で、赤茶けたのなんかよりは、どんなに美しいか知れやしませんわ」
彼女はそんな風に、このわしを褒めたたえるのだ。
わしは彼女と親しくなるにつれて、父親が娘をいたわる様に、時として彼女の身体に触ることもあれば、手を握ることさえあった。そんな時、瑠璃子は、何気なくわしの手を握り返して、ニッと艶めかしい笑顔を向けるのだ。
その度毎に、わしはまるで背筋へ氷でも当てられた様に、ゾーッと身の毛がよだった。うっかりしていると、復讐のことなぞ忘れて、真から身も心もとろけてしまう様に思われた。
彼女はその頃はもう、あてがい扶持の別邸住いになっていたが、そこから川村の目を忍んで、独でわしのホテルへ遊びに来ることもあった。
ある月のよい晩に、ホテルのバルコニーへ出て、瑠璃子と二人きりで、話をしたことがある。わしは今もその時の何とも云えぬ変な気持を忘れることが出来ない。
わしは月の光りを全身にあびて、籐椅子に凭れていた。瑠璃子は、うしろから、椅子の肩によりかかって、肩越しにわしの顔を覗き込む様にして、あの悩ましい微笑を見せていた。
月光が彼女を夢の国の妖精の様に美しく見せた。わしはウットリと彼女に見入り、覚めながら夢見ていた。
お前はこれでも不満足なのか。仮令嘘にもせよ、これ程の女の愛情を買うことが出来るのだ。お前には使い尽せぬ財宝もある。その財宝とこの美女とを我がものとし、平和に余生を終る気にはなれないのか。
恨みというのか。恨みがなんだ。仮令一夜にしてお前の髪の毛を白くした程の恨みにもせよ。いずれ浮世の道化芝居の一幕に過ぎないではないか。
月光の魔力であったか、美女の魔力であったか、一刹那、わしは心弱くもそんなことを考えた。併し、先祖以来伝わった復讐心が、忽ちにして、束の間の夢心地を追い退けてしまった。「目には目を、歯には歯を」この外に真理はないのだ。
わしは所詮、地獄の底から這い出した、白髪の復讐鬼の外のものではなかった。