穴蔵へ
かくして、わしの復讐前奏曲は、見事に成功した。瑠璃子はまだ少しも真相を悟らず、しかも、気絶する程の恐怖を味ったのだ。彼女の気絶はこれが二度目であった。二度もそんな目に逢いながら、わしの正体を看破出来ぬとは、彼女程の妖婦としては、余りにも迂闊な様に思われるかも知らぬが、一度墓穴に埋葬された男が、白髪の老人となって生き長らえているという、この事実の奇怪さが、人間の想像力を越えていたのだ。決して瑠璃子の迂闊ではなかった。
さて、その夜の披露宴も、S市始まって以来の華かさで、滞りなく終った。わしと瑠璃子とは、ヘトヘトに疲れて、ホテルの広間から、わしの新居へと帰りついた、芳醇な酒の香、かしましいお祝いの言葉、蜘蛛の巣の様にからみつく五色のテープ、耳を聾する音楽の響、それらのものが、いつまでも頭にこびりついて離れなかった。何かこう紫の雲に包まれて、春の空を漂ってでもいる様な気持であった。イヤ、少くとも瑠璃子丈はそんな気持であったに違いない。
帰宅して、婚礼の衣裳のままグッタリとソファに凭れて、お茶を飲んでいると、鳩時計がホウホウと十二時を報じた。
「お前眠くはない?」
「何だか妙ですわ。ちっとも眠くありませんのよ」
瑠璃子は上気して艶々した頬をニッコリさせて答えた。
「じゃ、これから出掛けよう。今夜お前に見せるものがあったのだね」
「エ、どこへですの。何を見ますの」
「オヤ、もう忘れたのかえ。ホラ、婚礼がすんだらきっと見せて上げると約束したじゃないか。わしの財産、わしの宝石」
「マア、そうでしたわね。あたし見とうございますわ。どこですの。どこにしまってありますの」
彼女はその財宝故にこの老人と結婚したのだもの。早く見たいのも無理ではない。
「秘密の倉庫があるのだよ。少し淋しい場所だけれど、お前これから出掛ける勇気があるかね」
「エエ、あなたと一緒なら、どこへでも」
「よしよしそれじゃすぐ出掛けよう。実はその倉庫は昼間だと人目にかかる心配があるのだよ。わしは夜でなければ出入りしないことにしているのだよ」
そして、わし達は、まるで駈落者の様に、手に手をとって、邸の裏口から忍び出した。
「遠いのですか」
瑠璃子は暗い町を、わしのうしろから急ぎながら尋ねた。
「ナニ訳はないよ。五六丁歩けばいいのだ」
「でも、そちらにはもう町はないじゃありませんか。どこへ行きますの」
わしの新居はS市の町はずれにあったので、少し歩くと、淋しい野原であった。その向うには、満天の星の下に小高い丘が見えている。
「黙ってついておいで、何も怖いことはありやしないよ」
「あなた、そこに何を持っていらっしゃいますの」
「蝋燭と鍵だよ」
「マア、蝋燭ですって、そんなものが要りますの」
「ウン、わしの倉庫には電燈がないのだよ」
云いながら、わしは瑠璃子の手をしっかり握って、グングン歩いて行った。野中の細道を、星明りにすかしながら、行手の丘へと急いだ。
「あたし怖いわ。明日にしましょうよ。ね、あすにしましょうよ」
瑠璃子がおびえて尻ごみをするのを、わしは無言のまま引ずる様にして丘の坂道を昇って行った。彼女はまさか悲鳴を上げる訳にも行かず、仕方なくわしについて来た。
「サア来たよ。ここがわしの宝物蔵だ」
立止まった目の前に、黒い鉄の扉があった。丘の中腹に穿った穴蔵の入口だ。
「マア、あなた、ここはお墓じゃありませんか。大牟田家の墓穴じゃありませんか」
瑠璃子はやっとそれに気づいて頓狂な声を立てながら、わしの手を振り放そうともがいた。
「そうだよ。大牟田家のお墓だよ。なんとうまい金庫じゃないか。わしの財産がこんな所に隠してあろうとは、どんな泥棒だって気がつくまいよ。ちっとも怖いことはありやしない。穴蔵の中は綺麗なものだ。わしはしょっちゅう出入りしているので、まるで自分の家へ帰った様な気持だよ」
事実そこはわしの家に相違なかった。白髪の鬼と化してこの世に再生したわしの産屋に相違なかった。
瑠璃子はわしに片手をとられたまま小さくなってワナワナと震えていた。彼女の手先が俄に冷くなったのが感じられた。でも、悲鳴を上げる様なことはしなかった。強いて逃げ出す気力もなかった。そんなことをすれば、わしの顔が恐ろしい鬼となって、彼女に噛みつくかも知れないことを恐れたのだ。わしは暗闇の中で鍵穴を探して、さびた鉄の扉を開いた。キイイ……と死人のうめき声と共に、ポッカリ黒い口が開くと、その奥から、ゾッとする冷気が襲って来た。あの世の風が吹いて来た。
その洞穴へ進み入ろうとした時には、流石に瑠璃子は懸命に踏止ろうとしたけれど、わしは情容赦もなく、か弱い彼女を、地底の墓穴へと引ずり込んでしまった。引ずり込んで、中から入口の鉄扉をピシャリ閉めてしまった。
数秒間、わし達は盲目になった様な真暗闇に、無言のまま佇んでいた。死の静寂の中に、瑠璃子の烈しい息遣い丈けが聞えていた。
「瑠璃さん、怖いかね」
わしが囁き声で尋ねると、わしの妻は存外しっかりした調子で答えた。
「エエ、少しばかり。でも、こうしてあなたが手を握ってて下さるから、あたし心丈夫ですわ。それに、私達の宝物を見るんですもの」
「わしのすばらしい宝石を早く見せて上げ度いよ。お前どんなにびっくりするだろう」
「エエ、早く見たいわ。こんな淋しい恐ろしい場所に、宝物が隠してあるなんて、まるで何かの物語りみたいですわね」
「お待ち。今蝋燭をつけるから」
わしは燐寸をすって、用意の蝋燭に点火し、墓穴の中に置いてあった、例の古風な西洋燭台にそれを立てた。