その郊外の家というのは、向島の吾妻橋から少し上流のKという町にあった。そこは近くに安待合や、貧民窟がかたまってい、河一つ越せば浅草公園という盛り場をひかえているにも拘らず、思いもかけぬ所に、広い草原があったり、ひょっこり釣堀の毀れかかった小屋が立っていたりする、妙に混雑と閑静とを混ぜ合わせた様な区域であったが、そのとある一廓に、このお話は大地震よりは余程以前のことだから、立ち腐れになった様な、化物屋敷同然の、だだっ広い屋敷があって、柾木愛造は、いつか通りすがりに見つけておいて、それを借受けたのであった。
毀れた土塀や生垣で取まいた、雑草のしげるにまかせた広い庭の真中に、壁の落ちた大きな土蔵がひょっこり立っていて、その脇に、手広くはあるけれど、殆ど住むに耐えない程、荒れ古びた母屋があった。だが、彼にとっては、母屋なんかはどうでもよかったので、彼がこの化物屋敷に住む気になったのは、一つにその古めかしい土蔵の魅力によってであった。厚い壁でまぶしい日光をさえぎり、外界の音響を遮断した、樟脳臭い土蔵の中に、独りぼっちで住んでみたいというのは、彼の長年のあこがれであった。丁度貴婦人が厚いヴェイルで彼女の顔を隠す様に、彼は土蔵の厚い壁で、彼自身の姿を、世間の視線から隠してしまいたかったのである。
彼はその土蔵の二階に畳を敷きつめて、愛蔵の異端の古書や、横浜の古道具屋で手に入れた、等身大の木彫の仏像や、数個の青ざめたお能の面などを持込んで、そこに彼の不思議な檻を造りなした。北と南の二方丈けに開かれた、たった二つの、小さな鉄棒をはめた窓が、凡ての光源であったが、それを更らに陰気にする為に、彼は南の窓の鉄の扉を、ぴっしゃりと締切ってしまった。それ故、その部屋には、年中一分の陽光さえも直射することはなかった。これが彼の居間であり、書斎であり、寝室であった。
階下は板張りのままにして、彼のあらゆる所有品を、祖先伝来の丹塗りの長持や、紋章の様な錠前のついたいかめしい箪笥や、虫の食った鎧櫃や、不用の書物をつめた本箱や、その他様々のがらくた道具を、滅茶苦茶に置き並べ積重ねた。
母屋の方は十畳の広間と、台所脇の四畳半との畳替えをして、前者を滅多に来ない客の為の応接間に備え、後者は炊事に傭った老婆の部屋に当てた。彼はそうして、客にも傭婆さんにも、土蔵の入口にすら近寄らせない用意をした。土蔵の出入口の、厚い土の扉には、内からも外からも錠を卸す仕掛けにして、彼がその二階にいる時は、内側から、外出の際は外側から、戸締りが出来る様になっていた。それは謂わば、怪談の明かずの部屋に類するものであった。
傭婆さんは、家主の世話で、殆ど理想に近い人が得られた。身寄りのない六十五歳の年寄りであったが、耳が遠い外には、これという病気もなく、至極まめまめした、小綺麗な老人であった。何より有難いのは、そんな婆さんにも似合わず、楽天的な呑気者で、主人が何者であるか、彼が土蔵の中で何をしているか、という様なことを、猜疑し穿鑿しなかったことである。彼女は所定の給金をきちんきちんと貰って、炊事の暇々には、草花をいじったり、念仏を唱えたりして、それですっかり満足している様に見えた。
云うまでもなく、柾木愛造は、その土蔵の二階の、昼だか夜だか分らない様な、薄暗い部屋で、彼の多くの時間を費した。赤茶けた古書の頁をくって一日をつぶすこともあった。ひねもす部屋の真中に仰臥して、仏像や壁にかけたお能の面を眺めながら、不可思議な幻想に耽ることもあった。そうしていると、いつともなく日が暮れて、頭の上の小さな窓の外の、黒天鵞絨の空に、お伽噺の様な星がまたたいていたりした。
暗くなると、彼は机の上の燭台に火をともして、夜更けまで読書をしたり、奇妙な感想文を書き綴ったりすることもあったが、多くの夜は、土蔵の入口に錠を卸して、どこともなくさまよい出るのがならわしになっていた。極端な人厭いの彼が、盛り場を歩き廻ることを好んだというのは、甚だ奇妙だけれど、彼は多くの夜、河一つ隔てた浅草公園に足を向けたものである。だが、人嫌いであったからこそ、話しかけたり、じろじろと顔を眺めたりしない、漠然たる群集を、彼は一層愛したのであったかも知れぬ。その様な群集は、彼にとって、局外から観賞すべき、絵や人形にしか過ぎなかったし、又、夜の人波にもまれていることは、土蔵の中にいるよりも、却って人目を避ける所以でもあったのだから。人は、無関心な群集のただ中で、最も完全に彼自身を忘れることが出来た。群集こそ、彼にとってこよなき隠れ簑であった。そして、柾木愛造のこの群集好きは、あの芝居のはね時を狙って、木戸口をあふれ出る群集に混って歩くことによって、僅かに夜更けの淋しさをまぎらしていた、ポオの Man of crowd の一種不可思議な心持とも、相通ずる所のものであった。
さて、冒頭に述べた、柾木愛造と木下芙蓉との、運命的な邂逅というのは、この土蔵の家に引移ってから、二年目、彼がこの様な風変りな生活の中に、二十七歳の春を迎えて間もない頃、淀んだ生活の沼の中に、突然石を投じたように、彼の平静をかき乱した所の、一つの重大な出来事だったのである。